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思わずリズと顔を見合わせる。眠気と疲れがどこかへ消えた。
イレイネにそのまま待機を命じてから、ぱっと外に出た。ほぼ同時に出てきたリズの指示で、おずおずとした小柄な、多分年上の女性に案内してくれた。リズの部隊のキャンプの入口で待たせているらしい。
整然と並んだテントの林の中を進んでいき、キャンプをずらりと囲む柵に行き着いた。その柵の内側にそっと歩いて行くと、出入り口用に柵のない箇所が見えた。警戒した様子の男とそのパートナーらしい飛竜、そしてキャンプの外側にゆったりと立つ右竜がいた。
「何か御用ですか?」
着いて、見張りをしてくれていた男に下がるよう指示した後、リズが強圧的な口ぶりで言った。みゆきは驚いたが、すぐに理解した。交渉術か。
右竜はひどく疲れた様子だった。目元は暗くくすんでいて、肩が落ちている。一眠りしたみゆき達と違い、戦が終わった後もいままで作業していたのだろう。だが同情はできない。今は敵――少なくとも、歩との間の障害だ。右竜もわかっているようで、疲れ切った様子を微塵も感じさせない口調で言った。
「説明をしに来た。釈明ではないことははっきりと断っておく」
「ほう、では何の説明に? バウスネルン家に無断侵入して、歴史ある屋敷を破壊し、客人を連れ去ったことの?」
「そのことに関してうちは関知していない」
見え透いた嘘を言いますね、と挑発するリズに対し、右竜はあくまで平静な様子だ。
「まず、これは部隊同士の縄張り争いでも、竜族に対する機械族の陳情でもないことを言っておく。水城歩とアーサーに深い関わりを持つ者同士の情報共有だと思ってもらいたい」
「深い関わりを持つ、ね」
「少なくとも我らは歩とアーサーを尊重している」
「戦場で二人だけで戦わせているのに?」
「本人たちの意思だ。直接聞いただろう」
「本人たちが望んでいるにしても、無謀でなくて? それにあなたたちはそれを利用しているのでしょう? 軍は利害なしに動くものではないですから」
「――それはその通りだ。だが理由がある」
「理由? 二人だけに命を張らせるに足る理由って、一体何なんです?」
思わずみゆきが口を挟むと、右竜が初めてぐっと何かが喉に詰まったような表情をした。
「あら、もしかして、ないんですか?」
「君達はどこまで知っている? この世界の成り立ちに関して。推聖書の内容はうちも知っている」
話が飛んだ。それに何の関係があるのか、と思ったが、リズが説明をしはじめて何も言わなかった。みゆきの聞いた内容をもっとかいつまんだ内容だったが、右竜は納得した様子で、なら話は早い、と言った。
「どういうこと」
「歩達が戦っているのは、自分達の出自を、インテリジェンスドラゴンの謎を探るためだ」
「……えっ」
リズの素の声が飛んだ。まさか、の最上位版。
みゆきもリズほどではないが驚いた。インテリジェンスドラゴンについて詳しいことは、現存しないはず。人類の図書館ともいえるバウスネルン家と聖竜会会長も知らないのだから。
「なぜあなた達が知っているの?」
「それは言えない。ただ一つだけ確かなことは、私達の祖先の残した遺跡は、他にもあるということ。そしてそれは、今の人類圏の外、龍どもの領域にあるということ。歩達の戦いはそのためなこと」
ちらり、と右竜の視線がみゆきを撫でる。
「もう一度言おう。歩達は自分達の意思で戦っている」
だから放っておいてくれ、右竜の続きの声はまるでどこか遠くから聞こえているみたいだった。
みゆきの頭に静かな衝撃がやってきた。ゆっくりと、まるで孤島の波のように。
しかしその波は行き渡った瞬間、沸騰した。
猛烈な恥ずかしさと化して。
歩は言っていた。ここにいるのは自分の意思だと。自分の意思で戦っていると。
なのに自分はそれをただの戯言と切り捨てていた。聞かずに、ただ帰ろうと言っていた。
なんてピエロだったんだ。
静かだった。先程まで血と悲鳴を吸いこんでいた夜の空は、神様のように静かだった。
全てわかっていましたよ、とでも言うように。みゆきの小ささを責めるように。
なんで歩は言ってくれなかったんだ。説得してくれなかったんだ。
次から次へ浮かんでくる自弁の声も、恥ずかしさに呑みこまれては消えて行った。
「それが確かな情報なんですか? それほど重要な情報を、なぜ私が、バウスネルン家に知らされていない?」
「それはわからないし、言う義務もない。ただ私達と歩とアーサーはそのために行動していることは事実だ。機械族が戦場に出ないのも、遺跡が見つかってからに備えているからだ」
これ以上はもういいだろう、右竜は拒絶するようにそう言うと、こちらに背を向けた。リズはまだ何か話しかけていたが、途中でその声は夜空に吸いこまれて行った。
二人残された。
リズの顔を真っ赤になっていた。汗すら滲んでいる。くやしさと恥ずかしさで一杯。
「リズ、戻ろうか」
「ねえ、みゆき。私、歩に合わせる顔がない」
「言わなかった歩も悪いよ、きっと」
「でも、話を聞かなかったのは私達だ」
ゆっくりと歩いて、自分達のテントに戻った。
抜けだしたときのままの寝床とパートナーに、そのまま飛び込んだ。
眠気はすぐにやってきた。だがみゆきは眠れなかった。恥ずかしさはまだ頭の中を巡って、少しも冷めてはくれない。叫んでみればマシになるかとも思ったが、もっと恥ずかしくなるだけだろう。
歩に謝る? 困らせるだけだ。手伝う? 拒否されているし、今の二人には足手まといにしかならない。帰る?…………
答えが出ないまま夜が明け、日々が始まった。
同じく寝ていないであろうリズの後ろについて、軍の仕事をしていく。
戦いの被害報告、補修、物資や人の搬入搬出、他の部隊との会議。
機械族とは会議で会ったが、何も言ってこなかった。
そうして一週間を過ぎたころ、事件は起きた。
「平さん、新入りの修練終わりました!」
「御苦労さま。あなたもしっかり休んでね」
はい、と元気のよい返事が返ってくる。ごつい顔を嬉しそうに歪めながら、唯のテントから引いて行った。
「レイ・ヴァレー、でしたか。戦力になりそうですか」
「まだ無理ね。だけどバウスネルンの騎竜部隊にいたから、下地はある」
部下の東宮博文に返答しながら、唯は手元の資料に目を通す。入隊希望者の申請書だ。その枚数を十二と数えてから、唯は嘆息した。少しずつだが、進めている。
唯の戦い方、竜と隣で助け合って戦う、という戦法は少しずつだが評価が高まってきていた。当初はみんな馬鹿にしていたが、唯がキヨモリと一対で築き上げた屍の山を見て、黙った。それだけでなく、唯のように戦いたいという人もでてきている。竜に任せて人は安全なところで隠れるだけ、という情けない戦争の仕方をふがいないと思っていた人はやはりいたのだ。
現在、家柄もあったのだろうが、唯は戦果を評価され、自分の部隊を作る許可を得たところまで来ている。
唯は資料をまとめて机の隅に置き、テントの天井を見上げた。これからだ。唯の目的――聖竜会を立て直す、竜使い達の歪んだ現状を、社会を、変える一歩――
そのとき、警報が鳴り響いた。耳に触る、見張り竜の鳴き声。唯は簡易鎧を身につけると、外に出た。
外で陽に当たっていたキヨモリは既に身を起こしている。ずいぶん傷が増えた、しかしたのもしくなったパートナーは、目配せするだけで唯が乗れるよう、首を下げた。
「待て、平」
キヨモリの背に乗ろうとしたところで、声をかけられた。
振り返って相手を確認すると、唯はすぐに地面へ降り膝をついた。熊倉公。現在、唯のいる戦場の統括にして、公の称号を戴く実力者。
「何でしょうか」
「起こるべきことが起きた。お前は出るな」
「理由を伺ってもよろしいですか」
唯が頭を下げたまますっと返したが、熊倉の返答はない。
どういうことか、と目だけで熊倉の顔を覗うと、熊倉はじっと自分を見ていた。
顔を上げ、その視線を真っ向から受け止めると、熊倉はゆっくりと口を開いた。
「襲ってくる龍達の質が変わった。今お前が戦場に行けば、十中八九死ぬ」
「質が変わったとは」
「やつらの戦い方が変わる、ということだ」
「どんな風に?」
「やつらは人を狙い始める」
戦い方が変わる。今まで龍の戦い方はシンプルだった。数で襲ってきて、目の前のやつを倒す。ただの喧嘩だ。だからこそ数で劣る人間達が、竜使い達が勝ててきたのだが、熊倉の言うことが本当なら大変なことになる。唯の背中を冷たいものが流れた。
だが唯は別に気になることがあった。熊倉の言い方だ。
「それをどうしてご存じなんですか?」
熊倉は、まるで大雨が降って川が氾濫することを予見するみたいだった。自分の経験に照らし合わせているかのような言い方だった。
「昔、同じことがあった」
「昔とはいつでしょうか」
返答はない。そのまま押し黙っていると、自分の名が呼ばれた。同時に熊倉の名前も聞こえてくる。悲痛な叫び。唯はこの戦場のエースであり、熊倉は総大将。どちらも現場の士気にかかわる存在だ。
「平」
「わかっています、出過ぎません」
唯はそう言いながらも、頭の中ではどうすれば熊倉の口を開くことができるのかを考えていた。
知らないままでいるのは、もう沢山だから。
短いですが、区切りなので