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2-3




これは歩なのだろうか。

目の前の狂鬼を見て、みゆきは呆然と思った。


黒い刃を一度閃かせただけで己の何倍もの巨躯をひざまずかせる小鬼の王。

体内に入りこむや腱や内臓を的確に捉える人食いネズミ。

目は獲物を吟味するように絶え間なく動き、唇には絶えず残忍な喜びが現れる、狂気の生物。


竜殺しの竜、そのパートナー。

今、目にしている姿こそが、本来のミズシロアユム?


イレーネ、ひとまず高度上げて。そんな声が耳に入ってきた。リズの声だ。自分ではなくイレーネに言っている。ああ、今の自分は呆けて見えるんだ。そうぽつんと理解した。


リズとリンドヴルムに先導されてイレーネが高度を上げていく間も、みゆきは呆然と地上の喧噪を、アユムを見ていた。


細かく走りまわり、たいていの龍に反応すらさせず薙刀を振るっている。歩の得手は槍だったが、そんなことを感じさせない位、黒刃の軌跡は残酷なまでに美しい。龍はひたすら翻弄されるのみ。上空から見ると、押し寄せる波を飲み込む渦潮のような様相になっていた。


そのとき、ふと渦潮が別の箇所にもあることに気付いた。むしろそちらのほうがアユムの作るものより大きい。そこは光源となる野炎が多く、余計に目につくのかもしれない。一つ一つの炎自体が大きく、他とそこでは、星空とホタルの群れ位の違いがあった。


唐突に、轟音と共に炎が走った。堤防が決壊したかのような噴出だった。


灼熱の蛇が、山の稜線に走る。道中にあるものは岩だろうと龍だろうと全て呑みこんでいった。蛇がようやく止まったときには、煌々とした一筆が、龍の群れに刻まれていた。炎で一気に鮮明になった絵図は悲惨の一言。炎に喰われ踊り狂うシルエットになった多足、その横で転げまわる右半身を呑みこまれたねじまがった角持ち、立ちつくして炎を見る人形になった小型の像まで、鮮烈だった。


その灼熱の蛇の尾の先、根元を見る。ずいぶん遠くのためはっきりとは見えないが、その先にはやはり竜がいた。全身黒のドラゴンオブドラゴン。みゆきは納得した。アーサーだ、竜殺しの竜の。みゆきがこの姿を見たのは幼竜殺しのときの一度だけだったが、この圧倒的な姿は忘れようがない。


そうだ、アユムがこうなっているなら、アーサーも同じくなっているはず。それもおそらく、アユムよりも重傷だ。


説得なんて、できるのだろうか?


もう一度、アユムを探す。真下にいた。その影しか追えない位、俊敏に動き、凶悪に血しぶきを作っている。十分見える距離なのに表情を覗うことができない。

いや、そもそも見たとしても、自分に何ができるのか?

みゆきは空を見上げた。雲一つない闇の世界で、星が微かに光っている。月はない。

上は星空、下も星空ときどきホタル――――


「みゆき」


リズの声。同時に肩を揺さぶられる。強く、しっかりとして、と言うように。


「あなたは何をしに来たの? 歩を取り戻しに来たんでしょ? しっかりして。

――あなたが頼りなんだから」


消え入りそうな声でリズはそう付け加えた。


そうだ。しっかりしないと。私は何をしにきた。歩を説得しに来た。覚悟はしたはずだ。どんな姿の歩でも――竜殺しの竜のときの歩でも――

みゆきが頷いて返すと、お願いね、とリズが言った。


そう経たない内に戦闘は終わった。

龍殺しの竜の被害に負けたのか、他の戦線でも思うような成果が得られなかったのか、龍達はゆっくりと引いて行った。アーサーとアユムはその後を追うことなく、その場にたたずんでいた。どこにいたのか、保護役――監視役の機械族らしき人影が現れ出す。


「今がチャンスよ。機械族は燃費が悪くって、パートナーを連れて動くことはまれだから」


リズと顔を見合わせて頷いた後、滑空。


第三独立騎竜部隊隊長リーゼロッテ・A・バウスネルンである! 我がバウスネルン家の客人であるアユム・ミズシロおよびそのパートナーであるアーサーを保護しに来た!


そう言って周りにいる機械族を牽制するリズを横に、みゆきはアユムのすぐ隣に降りた。みゆきとイレーネが降り立った余波で、アユムの黒いマントと少し伸びた髪がばさばさと揺れた。


「イレーネの技また増えたんだね。久しぶり」


イレーネから降りるみゆきに、アユムが柔らかく言った。みゆきの知る歩の声だ。

ただし頬には血で髪が貼り付き、手にした巨大な刃を持つ手は赤黒い液体にまみれている。


目があった。変わらない、どこか気弱げな眉と黒の瞳。少し陰のようなものが見えるが、本当に自分の知る歩だ。

だがその顔を見て、みゆきは説得は無理だ、と思ってしまった。


「歩、帰ろう。ここにいたらダメになっちゃうよ」


気を取り直し、そう言った。歩は薄く笑い、目線を隠すように頭を下げた。


「みゆきこそ折角入った大学いいの? 帰りなよ。俺らは大丈夫。ここでやることあるから」

「やることって龍を倒すこと? それならリズのとこでもできるよ。こんな風に二人だけで戦うなんて、ダメだよ」

「二人だけで戦うほうが楽なんだ。周りに気を使わなくって済むから」


ダメだ。何度も頭の中でそう木霊する。歩は決めてしまっている。決意が、覚悟がある。

私にそんなものがあるのか? 覚悟があるものを、ないものが説得なんてできるのだろうか?

違う。今ここで覚悟を決めろ。絶対に歩を連れ帰る、そう絶対に……


「そこまでだ」


聞き覚えのある声が割って入ってきた。みゆきには、時間切れだ、と言われたような気がした。

久しぶりな声、だが忘れようとしても忘れられない記憶とセットになっている、一人称私の低音。


「バウスネルン殿、彼等は現在私達、第一独立機竜部隊の所属です。彼の処遇に関しては、公式に文書でお願いします」


長田右竜。高校二年のときの歩やみゆきの副担任にして、その実、幼竜殺しの捜査のために潜入していた、軍の機械族部隊に所属の軍人。唯と歩を幼竜殺しをおびき出すための餌にする計画に反旗を翻し、みゆき達の前から消えて行った男。


その男が、リズの前に立ちはだかっていた。グレーの作業着のような服を着ているが、肩口には階級章が光っている。竜に乗ったままのリズを見上げる姿勢ながら、臆することなく対峙する右竜の頬は、みゆきの知るものよりこけている。


「たった一対で龍の群れの相手をさせておいて所属? 機械族でないものならいくらでも使い捨てしてもいいと? 竜族にも劣らない差別主義者ですね」

「それも文書でお願いします。ただ彼等は自分達の意思であそこに立っている、ということだけは理解を」


右竜の目がみゆきに向けられた。なんであなたがここに。疑問が口に出る前に、右竜はぱっと視線を切り、歩の方を向いた。


「キャンプに戻ってシャワーを浴びろ」

「歩!」


リズの声に歩が振り向いた。だが歩は一瞥しただけで、いつのまにか集まってきていた右竜と同じ服を来た集団の中に歩いて行った。追いかけようと思ったが、集団の両脇には機械族のおパートナーがいた。二体とも竜を模した姿だ。それぞれ左右ずつの片翼の機械竜。ガチャガチャと四角い四肢に、宝石のような目。幼竜殺しのときに見た右竜のパートナーを思い出す。キメラには負けてしまったが、地を真っ二つに分けた熱光線の威力は尋常ではなかった。それが二体、何かあればここにいる人数分が飛んでくる。みゆきは動けなかった。歩の姿が人ごみと夜闇に消えていった。


「遅いぞ」

「なに、少しばかり働きすぎただけだ」


頭が硬直しかけていたとき、右竜ともう一つ聞き慣れた声がした。


「アーサー!」

「久しぶり、とあいつは言ったであろうが、まあそれが相応しかろう。学校が変わると人は変わるというが、お前はあまり変わっておらんな」


竜殺しの竜。山を両断するような火炎。龍の群れを焚き木の山にする黒い竜。

その姿をそのまま小さくした竜――アーサーが右竜の横をばさばさと飛んでいた。

相変わらずの軽口だ。話が通じるかも――


「聞いて、アーサ「悪いが、ここは我らの戦場だ。今の我らなら遅れはとらん。後は任せよ」」


そのみゆきの機先を制するように、被せてきた。


「アーサー、私には話がないの?」

「いずれ話す。バウスネルンにもまあよかろう。だから待っておれ」


それだけ言うと、アーサーは右竜をひきつれるようにしながら、歩の消えた方へと飛んで行った。戦場にはみゆきとイレイネ、リズとリンドヴルム、そして無数の龍の屍だけが残った。


ぱちぱちと燃える屍の音。麻痺してほとんど感じないが、微かな死臭の匂い。罪なまでに美しい星空。やけに静かな夜だった。


ひとまず戻ろう。静かなリズの呼びかけに答え、ゆっくりと空を飛んで自分達のキャンプに戻った。飛行中の風切り音が、胸にむなしく響いた。


「あきらめるなんてできない」


隊長用のテントに入り、リンドヴルムに付けた騎乗帯を外しながらリズが言った。

いきなりのことで、リズが何を言いたいのかすぐにわからなかったが、少しして激励しているのだと気づいた。私とリズ自身を励ます言葉。


「私もよ」


目と目がある。切れ長の綺麗な碧眼。こんなことでもなければ、交わらなかったであろう視線。


でも、それから先の会話はなかった。疲れていたせいだ。半日牛車に揺られた挙句、すぐに戦場へ、三度の飛行をこなした。ひどく眠い。歩をどうやって説得するのか、手だてがないからではない。


やることもあった。イレイネに新鮮な水を与え、自身の汗をぬぐう。顔を洗うとずいぶんさっぱりした。全てが終わると、一気に身体がだるくなった。それはリズも同じなのは顔を見ればわかった。リズがなにやら部下に指示を出しているのを見つつ、みゆきは毛布を二つ探しだすと、一枚をリンドヴルムの首筋にかけた。残りの一枚を持ってイレーネの傍に行き、もたれかかって瞼を閉じると、すぐに意識は落ちた。




「失礼します、客人です」


どれくらい経った頃か、鉛のように重い意識の中、声に気付いた。まぶたを開けると、リズがゆっくりと身体を起こすのが見えた。


「……どなたかしら」


そう言いながらリズは身体についたほこりをはたき落とし、手ぐしで髪を梳いている。

みゆきも重い身体を起こし、ざっと身支度を整えた。


「それが……」

「ミユキも副官だから、構わなくてよ」

「いえ、そうではなく……」


歯切れの悪い声。髪を整えるリズの仕草が荒くなっている。


「なにか都合の悪い相手なんですか? 驚くような相手で?」


ええ、まあ、と言いながら、まだはっきりとした声は返って来ない。

しかし少しして、ようやく、といった体で言った。


「……機械族の副隊長です。名前は長田右竜と」



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