1-8 本当の真実
なんでこんなことになってしまったんだ。
リズは泣きそうになった。
「申し訳ありませんでした」
知らせを聞いて、戻ってきた綾辻明乃が開口一番そう言った。
「いえ、綾辻さんのせいだけではありません。バウスネルンも聖竜会も会長も、仕方がないとはいえ彼等に酷なことをしました。私達全員で、やつらに着いていってもいいと思わせるような下準備をしてしまったようなものです」
おじい様がおだやかに言う。その通りだ。
なんで私は気落ちする彼等の傍に行かなかったのか。
近付くべきではない、彼等の問題に、自分はまだ関われていない、そう判断したからだったが、今となってはただ逃げていただけだと思ってしまう。しぼんだ風船みたいな彼等に、何をしていいのかわからなくて。
「彼等と母親の関係は改善すべき、なんて感傷に浸ってしまいました。彼等に着いていく決定的な仕事をしてしまいました」
「それを言い出したら襲撃を許したのは我が家です。巡回もしていたのですが――」
「やめましょう。やつらがもう、これだけ周到かつ大胆に動くなんて、誰も予想していませんでした」
母さんが煙を断ち切るように言った。
「うちも掴めてなかったからアレだけど、やつらこのタイミングで一線越えていけると思ってるのかね? 会長はどう判断されてるかわかる?」
「私は存じませんが、類さん――遺跡組のトップは、彼等には野心があると言っていました。ただ現状、戦争にはなりえないレベルだとも」
「――私達の知らない手札があるのかもしれませんね。侮っていたか」
やつら。私はその指すものを知らない。
これまでも知らないことは多かったが、教えてくれるまでは聞かないようにしていた。
おじい様が私に話していいと判断したことは、私が尋ねる前に全て伝えてくれたから。
だがそれも今日で終わりだ。
「やつらって誰ですか?」
全員の視線が集まってきた。少し痛い。
だけど、もう黙っているつもりはない。子どもじゃいられない。
「やつらって、誰ですか? 教えてください、ヨハン・E・バウスネルン卿。私ももう大人です、仕事もしています」
「機械族の連中だ」
答えは簡潔だった。大人の乾いた言葉であり、責任の石がくくりついた札だった。
歩とアーサーは、ごつごつとした岩山にいた。
バウスネルン邸から外に出てすぐに牛車――馬の速さで鋼鉄の荷車を引く――に乗せられ、半日の道程だった。
牛車に乗ったのは朝日が昇るころだったが、降りるときは太陽も沈む時間になっていた。
足元はカンナで削ったような灰色の岩が敷き詰められていて、間からはわずかな草花が生えている。初夏の日差しを岩が照り返していて、暑いというより熱い。歩は上着を脱いだ。
大型のパートナーでも入れそうなテントがいくつも張ってあり、隅には牛車用の馬とコンテナ箱がいくつも並んである。その隙間を縫うように、慌ただしく軍服姿が走りまわっていた。
この熱気じゃ、中も暑そうだ。
「竜はいない、か」
機械族って熱に弱いんじゃなかったっけ、と聞こうとしたとき、先にアーサーが呟いた。
聖竜会が絡んでいない第二の組織?
だが軍のことなんて知らないから、軍服を見てもただそれっぽいとしかわからない。
ここに来るまでに何の説明もなかった。右竜は別の仕事がある、後で行くから今はおとなしく乗ってくれ、と牛車に押し込められて以来だし、同乗者は例の棒と箱でできたような男だけ。歩達が何を言おうと、ずっと黙っていた。
「こちらでお待ちください」
無口な男に案内されて行った先は、小さめのテントだった。人が十人入れば一杯になる位の広さで、高さも人の身長より少し余裕がある程度、だが中には椅子や机、それと書類が山積した棚などがあり、端には簡易コンロもあった。アーサー用と思しき、クッションが敷き詰められた籠もある。その上、岩陰に設置されているためか涼しい。
説明を終えると、無口な男は出て行った。見知らぬテント内でアーサーと二人っきり。
「待遇は悪くないね」
「それがどういう意味なのかはわからんがな」
悪くない待遇の意味。
『待ち望んでいました大歓迎です』
『大歓迎です!――お前達をおとなしくさせておくための罠だがな』
『あ? お前ら如きこの程度の扱いでいいだろ』
『貧乏所帯ですみませんが、これが私達の精一杯なんです』
歩達の受けた待遇はこれらのどれでもない。
豪華でも粗末でも、ある程度相手の意図はわかる。
だが今歩達の待遇はどれでもない。
半ば誘拐のような連れ方をしてきたのに、監視役もつけずに事務所のような部屋に通して放置する。
「逃げたり暴れたりしないと思ってるような判断? 甘くない?」
「もしくはやつらの持つ真実とやらがよほど大層なものか」
それからしばらくの間、テントの中は沈黙の帳が落ちた。
バウスネルン家に被害は出ていないか、ついてくるべきではなかったか、気になることはいくつもあり、ずっと考えてはいたが、薄暗い雲の中にいるように何もできないまま時間が過ぎた。
夕日でテントの中が赤く染まりはじめ、肌寒さを感じはじめたころ、右竜ともう一人がきた。
明るい中で見ると、右竜は以前見たときよりも、ごつくなっていた。雰囲気が堅くなり、陰がある――軍服も相まって軍人らしく見えた。
アーサーから聞いた、幼竜殺しのときに反抗したペナルティを受けた結果かもしれない。
「待たせてすまない。バウスネルンの襲撃後の後処理に手間取った誰にも怪我はさせていません。機械族の名にかけて」
「ようこそ、我らが城へ」
右竜に引き継いでもう一人の男が言った。
歩は彼の顔に見覚えがあった。
といっても面識があったわけではない、新聞で目にしたことがあるだけだ。
竜使い以外で、初めて軍の実行部隊の頂点に立った機械のパートナーを持つ男。
「桐谷始です。よろしく」
不快に感じる要素を排除したような男だ、と歩は思った。
くっきりとした顔立ちに柔和な笑みを浮かべ、黒髪は綺麗に撫でつけている。
背は右竜より少し高い百八十位、軍服を盛り上げる肉体は、ひょろくもごつくもない。
誰からも嫌われない人を一人上げなさい、と言われたら自分は迷わずこの人を推薦する。
だけど――この人は誰からも嫌われない人には、限りなく近いが、もっともありえない人でもあると思う。
「我らにご教授いただける真実とはいかなるものか」
アーサーも同じ気分なのか、いきなり言った。
「犯罪行為をしてまで我らを招いた、本題を頼む」
アーサーの慇懃無礼にも一切反応を見せずに、桐谷は言った。
「はい。私も初めからそうする予定でした。しかし真実を話す前に一つやってもらいたいことがあります――右竜」
……はい、と答えると、右竜はテントの外に行き、すぐに戻ってきた。
その手には彼等の着ている軍服と全く同じもの、そして漆黒の槍とマントがあった。
その漆黒を見て、歩は思わずアーサーに振り返った。
「なんだ」
「いや――」
本人には自覚がないらしい。それもそうか、自分の姿なんてそう見ないのかもしれない。
――槍はアーサーの牙にマントは翼に、それも竜殺しの竜となったアーサーのものに、そっくりだった。
装飾のないマントと槍は、まるでアーサーの皮と牙を剥ぎ取って紐と柄をつけただけのように見える。
夕日の赤に晒されてもなお冷たさを失わない黒色は、生きたアーサーそのままだ。
「これから行くところはこの世界で最も危険な場所です。戦えとこちらから言うことはありませんから、どうか装備ください」
言いようには引っ掛かったが、歩は大人しく着替えた。
黒の下着に動きやすいカーゴパンツに厚い素材のブーツ、そして厳めしいジャケットの上着という軍服は、高校時代の訓練着とそう変わらなかったが、槍とマントが違った。
はっきりしたことは言えない。だけど、それは違った。
重いでも、しっくりくるでも、ない。
ただこれは今まで自分が扱ってきた武器や防具とは、なにかが違った。
それから桐谷に先導されて外に出た。
いつのまにか外にいた人達は全員いなくなっており、テントと輸送用の牛だけが残されている。閑散としている。そのせいか、余計に寒く感じて、歩は上着を身に付けた。
夕日も終わりにさしかかり、空を見上げるとうっすらと星が見えた。
明かりを持った桐谷について歩いていく。
途中からほぼ登山になった。ごつごつとした岩肌は歩きやすかったが、同時に疲れやすくもあった。いつでも逃げる用意をしなければならない現状、できるだけ疲労は避けたくゆっくりと歩いたが、桐谷は何も言わなかった。
そうして振りかえると壮大な景色が広がるようになったころ。
いきなり異変を感じた。空気が変わるのを感じた。
いや、違う。歩とアーサーだけが反応するものが空気に混じってきだしたのだ。
「さすがですね。もうわかるなんて」
「竜が近くにおるのか?」
「いえ、竜ではなく龍がいます。外の世界のドラゴンです」
外の世界のドラゴン? 人間の住む領域外――外地にもいるのか? いや、いてもおかしくない。問題なのは、なぜそんなところに自分達を――?
「歩、止まれ」
アーサーがそう言って、歩は我に返った。
「これ以上は説明されなければ行かぬぞ」
「自分の中の竜殺しの竜が怖いのですか?」
「ああ怖い。だからこそタダで成るつもりも、殺すつもりもない」
「そうですか。ではこちらを見てください」
そういうと桐谷は手で歩いていた方向の先、上空を指した。
歩は目を凝らして見た。もう夕闇も終わり、真っ暗になっている。星と月しか見えない。
いや――違う、星と月の間に何かがいる。光が変な点滅をしているのだ。
これは――
どくり、と心臓の音が聞こえた。
「では行きましょう」
桐谷はまるで全てをわかりきっていたように言った。
いや違う、多分、本当にわかっていたのだ。歩とアーサーがこうなることを。
しかしどうでもよかった。
歩は走りだした。肩に乗ったアーサーの足裏は、まるで燃えているかのように熱い。
その感触も途中でぽん、と飛び上がる感触を残し無くなった。
歩は全力でひたすらに走った。まるで五十メートル走を駆けるように全身をふりしぼって、走った。地面が岩の坂なのに、整備された土グラウンドのように強引に走った。
疲れも痛みも感じる。だがそれが逆に気持ち良い。気持ち悪いことに、気持ちいい。
歩は自分がアーサーについてまだ誤解していたことに気付いた。
アーサーが竜殺しの竜になったとき、歩もまた同じ存在になったつもりだった。
同じ感覚を共有しているのだと思った。
だが違った。これが本当の竜殺しの竜だ。
いや、違う。龍殺しの竜だ。
頭の中は風のふく草原のように澄み、身体は赤熱する炭のように炎を上げずに燃えている。
そしてそれらがどうでもいいと感じさせるほどの衝動が全身を支配する。
槍を強く握る。感触は悪くない。ただ強烈に頼もしい。
どれだけ暴れても、これは壊れない。
山を一気に駆けのぼり、眼下に広がる光景を見た。
そこには無数の竜と龍が戦っていた。
手前に人の姿も見えるあたり、竜使い対龍の形式。
隊列を組む竜使いの竜達と有象無象の――餌。
「歩」
上空からよく響くパートナーの声が聞こえてきた。
ばさりと強烈な風が全身を叩くまでもなく、アーサーが竜殺しの竜に成っていることを知っていた。
「「行くぞ」」
ほぼ同時にそう言うと、歩は山を駆けおりた。
そして目の前の龍を、いただいた。
「見えましたか?」
「……はい、瞳の隅に刻印されています。DDSです」
「私にも見えた。私の目にもあんなのが浮き出るの?」
「やつらと対峙すれば間違いなく出ますよ」
「ふーん、まあ私はお腹満たせたらそれでいいんだけど」
「……ひとまずこれで全てのDSが揃ったことになります。それが重要です――右竜、教え子たちのあんな姿を見るのは辛いですか?」
「――はい」
「あーすご。竜の首パンみたいに引きちぎってる。あ、竜の肌って人の手で裂けるもんなのね」
「……真実を知らない幸運と真実を知る不幸、後者のほうがマシだと思った。同じ境遇の人達を知らされないままで放置する方より、知ってもらう方を選んだ。彼等にとってもマシな選択になると思ったから――でも実際目の前にすると、間違った選択のような気もするね」
「……いえ、正しいと思います」
「どうですかね……だがひとまず、これで更に進むことができますね。貴女もそう思います、キメラ使いのナナシさん」
「どうでもいいけど、あいつらって本当に美味しそうね。あー食べたい」
続きは来週中に