2-2 竜
戦闘服から制服に着替えた後、歩は保健室近くの空き教室へ移動した。
入ってすぐに、直立するように言われて並んで立った。並びは、唯、歩、そして置かれた机の上にアーサー。
鼻から重い息をもらしながら、雨竜が言った。
「お前らさ、高二にもなったんだから自制しろ。分別っつうもんを理解してくれ」
「「すみません」」「ふん」
鼻を鳴らしただけのアーサーに視線を合わせたが、雨竜は何も言わなかった。
「私にもうこんなんことさせんな。わかった?」
「「はい」」「ふん」
「アーサー。ふん、は返事にならない」
「わかった」
雨竜はざっくばらんな口調に似合わず、一人称は私だ。一時期男好きなのではという噂が出回ったが、林間学校という名のサバイバル訓練前夜、クラス全員揃った場での野郎トークの結果、少なくとも男子生徒が同性愛者扱いすることはなくなった。
唯の様子を覗うと、無駄に抵抗するアーサーを睨んでいたあ。
雨竜は疲れたとでも言うようにため息をつくと、再度の鉄拳をアーサーに振り下ろした。アーサーがたたらを踏みながら短い手で頭を抱え、恨めがましく雨竜を睨んだ。
「返事は、はい。しっかり返せ」
「はい」
返事だけは良くなったアーサーを見て、雨竜が言った。
「お前らさ~、明日の学期末模擬戦のトリ務めんだから、仲良くしろとは言わないが喧嘩腰はやめてくれ。醜態さらすのは学校側としても痛いが、一番はお前らだぞ?」
「私は相手に応じてです」
「相手によって対応を変えるなど低俗に過ぎる……」
唯のアーサーを見る視線が更に鋭くなるのを見て、歩は自分が動くことにした。流石にやりすぎだ。
アーサーの手を掴み、親指の付け根あたりに歩の人差し指をつきこんだ。アーサーの顔が面白いことになった。そこは竜の急所の一つで、圧力を加えると激痛が走る。その威力は凄まじく、これをやるとアーサーの機嫌が三日は傾く。八つ当たりされるのはまず歩なので余りやりたくないのだが、仕方がない。
「ぉ、ぃ」
「やりすぎ」
消え入りそうな声でアーサーが不満を垂らすが、歩はやめなかった。そのまま五秒ほど掴んでいると、雨竜が声をかけてきた。
「もういいよ」
「わかりました」
「……裏切り者め」
手を離すと、アーサーが恨めがましくこちらを睨んできた。
まだ懲りてないのか、と歩がもう一度手を伸ばそうか迷っていると、こんこんと戸が叩かれる音がした。
雨竜がどうぞ、と促すと、担任の藤花が入ってきた。彼女は一人だけでなく、後ろに巨大な影もあった。
その影を見て、唯がそれまでしかめていた顔を一転させて叫んだ。
「キヨモリ!」
藤花の後ろにいたのは、竜だった。隣でアーサーが更に身体を震わせたのが分かった。アーサーが苦手とする、本物の竜だ。
「長田先生、二人とも連れ出されたと聞いたのですが、何をしたんです?」
「いえ、少し言い合いをしていて、迷惑になっていたので。私が説教しておいたので大丈夫ですよ。な、お前ら」
じろりとこちらを見ながら、雨竜が言った。歩はこくこくと頷いて返す。
返答もそこそこに、唯が藤花に尋ねた。
「先生、キヨモリ大丈夫でしたか?」
「ええ。軽い風邪でしょうって。明日の模擬戦にも出ていいとのことです」
「そうでしたか。わざわざ病院まで連れていってもらって、ありがとうございます」
「いえいえ」
どうやらキヨモリこと彼女の竜は病院に行っていたようだ。担任がわざわざ連れていったあたり、流石特別扱いの竜だ。
キヨモリは、藤花の後ろからのしのしと唯のところまで歩いてきた。アーサーの身体をそのまま大きくしたような姿だ。ちょこんと突き出た二本の腕に、大木のような両足。たたまれてはいるが、広げた姿は容易に想像できる。角はなく、ごつごつとした鱗が後頭部を包んでいた。巨躯はこの教室にはおさまりきらないようで、天井で頭を擦りそうになっている。
唯の隣まで行くと、ぼう、と鼻から炎を漏らした。アーサーと似たような癖だが、まるでスケールが違った。
「寝惚けてるなー、身体は大丈夫?」
唯が嬉しそうに言葉をかけると、キヨモリは大きな首を下に伸ばし、唯の肩口あたりで制止させた。無邪気に喜ぶ顔には、先程アーサーとやりあった剣幕は消え去っていた。もしかしたらアーサーにつっかかったのは、キヨモリが心配で苛立っていたからかもしれない。
唯はキヨモリの喉元と額に手を伸ばし、上下からさすり始めた。途端にキヨモリは目を閉じ、リラックスした様子で頭を委ねていた。尻尾が時折左右に振られ、地面を強烈に叩いている。
地面を叩いた時の力強さと、鈍く光る爪と大木のようなふともも、そして今は折りたたまれてはいたが、広げるとこの部屋が占領されてしまうような翼。
そのたくましい姿を見ると、どうも悲しくなる。これが明日の学期末試験の模擬戦相手だとはわかっていたが、いざこうして目の前にすると、逃げたくなる。
ただ、今はそれ以上の心配の種があった。
ちらり、と相方の様子を覗う。
やはりおかしな挙動をしていた。背筋を伸ばし、前を向いて精一杯気丈に振る舞ってはいたが、歩の眼には時折ぴくぴくと震えているのがわかる。必死に自分を抑えつけているのだ。
苦手な竜を目の前にすると、アーサーはいつもこうなる。この姿が何故竜を苦手にするか聞けない理由だ。こんな姿を見せられると聞くに聞けなくない。懸命に耐えるこの姿は、余りにも痛々しい。
速くこの場を離れたいと思い、もう要件は終わったのか聞こうとしたところ、先に雨竜が言った。
「ま、そういうことだから。お前ら、明日は分かってるな?」
「「はい」」
「……ならいい。教室に戻っていいぞ」
「いえ、少し待ってください」
ここで、藤花が割り込むように言った。早くこの場から離れたいというのに、もどかしい。
「丁度良いですし、『竜殺し』について言っておいた方がいいでしょう?」
『竜殺し』
歩にとっては非常に遠く感じるが、危険な話だ。
「ニュースで見ましたか? 『竜殺し』については勿論知っていますよね?」
歩はこくりと頷いた。
『竜殺し』とは、意図的に竜を殺した人、魔物、パートナーのことを指す。そのあだ名には強力な竜を殺すことができたものへの憎悪と憧憬が入り混じっている。
「報道の通り、『首都幼竜殺し』が出てきました。十年前から未成年の竜を対象として犯行を続けている竜殺しです。みんな知ってるよね」
歩は頷いて返した。首都幼竜殺しは有名だ。
首都幼竜殺しはその名の通り、生まれてそれほど経っていない竜ばかりを狙う。被害者は二桁に登っているが、犯人は捕まる気配すらなく、その完璧な犯行は史上最悪の竜殺しとも呼ばれている位だ。
通常、竜殺しの犯人は簡単に捕まる。まず竜殺しを出来るもの自体が少ない。竜の膂力は他をよせつけないためだ。狙われたのが若い竜とはいえ、それは変わらない。そうなると最初から容疑者が絞られ、特定が容易になる。
竜使い達の逆鱗に触れることも要因だ。竜使いの社会的地位を考えると、警察も全力をあげて捜査をせざるをえない。軍も動員される上、いざ捕まえる際には多くの強力な竜使いが場に現れる。逃げきることは困難なのだ。
だが、幼竜殺しは未だに捕まっていない。有名にならないわけがない。
続けて藤花が言った。
「『幼竜殺し』の件で学校に通達がありました。あなたたちのことに気を配っておくように、とのことです。外出もできるだけ控えるよう言うこと、登下校の際には教師が付くことにも言われました。帰るときは歩君には雨竜先生が、唯さんには私が同行するので、待って置くようにしてください」
「はい、わかりました」
「じゃあお前ら、帰っていいぞ」
予想外に早く済んで拍子抜けした。なにはともあれ、この場を早く離れられるならそれに越したことはない。
そう思い、廊下に足を向けようとしたとき、重苦しい声が聞こえてきた。
「それだけか?」
アーサーだ。顔を横に向けてみると、いつになく真剣な表情をしているアーサーが写った。先程までのじゃれあっていた様子も、キヨモリの姿を見ての震えもない。歩は目を凝らしたが、本当になくなっていた。どういうことだろうか。
アーサーがもう一度言った。
「それだけか? 自分達を狙う馬鹿者がいるが、各自で気を付けておけ、一応教師も見ているから、とはどうか。相手は竜殺しぞ?」
アーサーの強い口調というのは聞き慣れたものだが、これほどまえに真剣味に溢れるものは余り聞いたことがないように思った。
雨竜が答えた。
「それだけだ」
「お粗末すぎやしないか」
「大丈夫です! 私とキヨモリは『竜殺し』ごときには負けませんから! むしろ捕まえてやりますよ!」
話を遮るように、唯が勢いよく言った。隣にいるパートナーの絶対的な力を考えると、歩には虚勢には聞こえなかった。むしろこの竜なら竜殺しでも倒せてしまいそうだ。
雨竜は便乗するように言った。
「まあ、そんな感じだ。こっちもできるだけお前らから目を離さないから。アーサー、頼む」
アーサーは顔をしかめていたが、首肯した。それを見て雨竜と藤花が出ていった。
ふと隣に目を向ける。
『竜殺し』のことなど気にも留めず顔をほころばせている唯の隣で、アーサーは深刻そうに顔をしかめたままだ。
『竜殺し』といえばアーサーの天敵であり、ひいては歩の命を脅かす存在ではある。しかし歩には妙に実感がわかない。ニュースで聞いた程度の存在でしかない『竜殺し』に実感を持つのが難しい。先程の唯の返答にも、それが現れていた。アーサーも同じはずだ。
なのに何故これほどまでにこだわるのか。近くに竜がいることも忘れるほどに。
理由はわからないが、ひとまずアーサーに声をかけた。
「アーサー、帰るぞ」
「ん、うむ」
声をかけるといつものように歩の肩に飛び乗ってきたが、顔は厳しいままだ。ひとまず空き教室から外に出て歩は自分の教室に、アーサーはパートナー用の待機棟に向かうことにした。今いる教員棟からは途中までは同じ道のりのため、ア―サーを肩に乗せて歩いているのだが、アーサーはなにやら黙りこんだままだった。
口を挟んでいいのか迷いつつも、気になったことをたずねてみる。
「なあ」
アーサーは視線を動かさず、声だけで答えてきた。
「なんだ」
「そんなに竜殺し気になるか?」
「当然であろう。何を言っておる」
「いや、そうなんだけどさ、いまいち実感湧かなくないか?」
「危機感が薄い」
「いや、なんつうかさ。……お前、キヨモリがいたこと忘れてないか?」
「……なにがだ?」
とぼけるように曖昧に返して来る。相変わらず自分の弱みは見せようとしないやつだ。こう返されると、これ以上突っ込めない。
だが意外にも、アーサーは少しためらった素振りを見せながら、視線をどこか遠くを見やるようにしながら続けた。
「……まあ、忘れていたのは違いない。竜を弑すものなど、この世に存在していいのかわからぬ代物故。忘我しても仕方あるまい」
確かに竜にあり得ないほどの愛着と苦手意識を持つアーサーなら、自分とは違う感覚を持っても仕方のないことなのかもしれない。
丁度よく教室棟と待機棟二つに分かれる分岐についたので、話題はそこで終わった。




