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■第8章■ バールで

■第8章■ バールで


ラクイラに着いたその日からアンナといいルチアーノといい、

素敵な隣人ができたことで真由はうれしく興奮して、

その晩はなかなか眠りに就くことができなかった。

もちろん、枕が変わったこともあったが、眠れない最大の理由は

昼から持続しているその興奮からであったし、幸先の良さで

この先に大きな期待が持てそうなそんな予感に浸っていたから、

いつまでも頭が冴えて、とうとう朝まで喜びの中にいてしまった。


眠れないまま翌朝を迎えた真由は、一旦は午前二時に起き上がっては

いたが、そのまま一日を迎えるには早すぎたから、

仕方なくまたベッドにもぐりこみ、持ってきたMP3を耳にして

美術書を片手に三時間を過ごした。読みたかった美術書だったから、

退屈はしなかったけれど、睡眠不足も加わって目の疲れが激しく、

待ちわびた午前五時、我慢しきれずにベッドから出て、

シャワールームに入った。そして、いつもより時間を掛けて顔を洗った。

パリではいつも目覚めの悪い自分だったから、この新しい町では

いつもの自分を捨てて、新しい自分で生きたかったから…。

洗顔を丁寧にし終えた真由は、こうしてラクイラの二日目の朝を

心新たにスタートさせた。


昨夜の話で、まだ買い物をまったくしていない真由のために、

アンナが特別にウエルカム・ブレックファーストを用意してくれる

約束をしてくれた。それも隣人となったルチアーノも一緒にという

ことであった。アンナとしては昨日のフィットチーネのお返しに

したかったからであろうが、その心積もりをアンナが話した時、

ルチアーノはこう言った。

「パリではこんな歓待は最初からしない。イタリアでも都会ではそうそう

ないと思う。田舎のこのラクイラとてホテル経営者が簡単に

客に大盤振る舞いをするとは思えない。つまり、アンナが真由さんを

とても気に入ったからであって、だから、僕のところに連れてきたり、

明日の朝食を無料で招待したりするんだ。そうだろうアンナ?

真由さんを誤解させないように、また、イタリア人のすべてがアンナのように

気のいい人たちばかりではないことを真由さんに知っておいてほしいと思って、

老婆心ながら一言付け加えたんだが…」


なぜかルチアーノは夢見る真由が心配になり、自分でも知らぬ内に

辛辣な言葉を放っていた。そして、アンナも頷きながら少しだけ言葉を添えた。

「真由さん、楽しい語らいの中に現実味を帯びた彼の言葉だけれど、

私もあなたを見ているとなぜか心配になってしまうの。心もとない顔を

しているからかしらね…」

アンナは汚れない顔つきと言いたかったけれど、子供に言うような気がして

言葉にはしなかったが、二十四歳といえばイタリアではもう大の大人。

しかし、目の前の真由は成人前のようなあどけなさの中にいる…。

育ちがそうさせるのか、性格がそう見せるのか、心配でいつも傍らに置き、

何か事ある度に抱きしめ守ってあげたくなる…。

アンナの愛情こもったまなざしは真由の心にも届いたのか、また、

うれしそうにして自分を仰いでいた。

アンナは真由の手を握り締め、ルチアーノの料理に舌鼓を打った。


朝日が眩しい二日目のラクイラの朝を迎えた真由は、

昨日の出来事を思い出しながら、午前七時、アンナの待つ階下に

降りて行った。レストランなどの施設のないプチホテルだったが、

サン・シルヴェストロ教会を前にした東側の部屋を改造した

小さなバールがあった。地元客の他、教会を訪れる参拝客を相手に

したこじんまりとしたバールであった。

アンナはそこで朝食を用意していると昨夜連絡をしてきた。

クッキーとコルネット、少しのハムなどのコンチネンタルだからと

注釈をつけながら…。

真由はパリでも朝はカフェで朝食をとっていたから、イタリアでも

それができるとあってうれしかった。


パリにしてもイタリアにしても忙しげにカフェを飲み、

菓子パンを頬張る通勤途中の人々の合間にいる自分が好きだったから…。

誰もが自分を見ているようで見ていない…。

そんな時間の流れの中に身を置く異邦人の自分を垣間見ることが

うれしかったから…。そして、異国の人々に混じって今を生きている

自分があまりにも不思議に思えるから…。


そして、いつの日かその不思議な世界にたった一人の愛する人を

みつけるかもしれない…。夢の中の世界に生きることができる

たったひとつの手段のバールで…。

真由はそうしてラクイラの早朝のバールに初めて立っていた。

先に来ていたルチアーノの傍らに立っていた…。


★第9章に続く★

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