■第7章■ ラファエロのマドンナ
■第7章■ ラファエロのマドンナ
簡単明瞭に自己紹介を終えたルチアーノは、真由に向けた笑顔のまま
キッチンに立った。アンナが所望した第二弾のランチを作るために
リビングと繋がったキッチンに立った。そして、
振り向いて真由に催促の合図を送った。真由の自己紹介の催促であった。
彼がパリに住んでいると聞いたときから、二人の共通点を見出していた
真由だったからうれしくアンナを見つめると、アンナは頷いて言った。
「そうなのよ。彼もパリ在住。といっても彼の言う通りイタリアが本拠地かな。
パリは彼の仕事場のある街といった方が合っているのかもしれない。
それにしても彼のイタリア語は綺麗でしょう?
まるで音楽流れに沿って言葉を発しているように、
意味が判らなくても聞いているだけで心地よくなっちゃうって、
いつだったか、中東から来たお客様が言っていた」
真由はアンナの説明にうなずいた。ルチアーノのイタリア語は
滑らかな流れの中で朗々と謡うようだったから…。
そして、彼と最初に言葉を交わしたそのとき、既に彼の声の中に
入っていた真由だったから、今はその声の素敵さに素直に頷いていた。
ルチアーノを見上げるようにして頷く真由は、
汚れのない優しさが眩いほど輝いていた。
輝きはルチアーノはもちろん、アンナにも届いていたから、
誰しもこんな一時があるのかしら…、もしかして、
彼女だけがこんな清らかな美しさを手にしているのかしら…。
などと真由の清らかさに酔いしれるようにしてアンナは
自問を繰り返していた。ルチアーノも料理の手を止め、
真由を視線の中に入れるために振り返ったままであった…。
しかし、二人は自己紹介を始めた真由の声で現実に戻った。
部屋には昼下がりの静かな時間が流れていた…。
「初めまして。三枝真由です。今日はローマから来ましたが、
私も三日前にルチアーノさんの住むパリからローマへ。
そして、ルチアーノさんと同じくパリは学ぶという目的のための居場所で…。
つまり私はパリの大学で学ぶために日本から留学をしています。ですから、
学校が終わればパリに住む目的がなくなるわけで…」
ここで真由は話すべき言葉を見失ってしまった…。
ルチアーノの視線があまりにも強く、真由は矢で
射抜かれたように、痛みが伴っていたし、身体も精神も
自由を失って身動きが取れなくなってしまったから…。
言葉も縛られているかのように、動きの取れないものになっていた…。
自分を見失いそうになった真由は、意を正した。
現状に流されている自分を勇気を出して叱咤し、
目の前にいるルチアーノを思い切り見つめた…。
自分をコントロール出来なくしてしてしまった
相手を思い切り見つめ、呪文のような視線から早く解き放ってほしいと
懇願するために、睨むようにして見つめていると…。
ルチアーノは真由の視線に驚き、視線を真由から外した。
そして、恥ずかしそうな素振りを見せながら苦笑した…。
苦笑しながらアンナに助けを求めたが、アンナも怒っているように
見えたルチアーノは、四面楚歌であることに観念した。
「いや…。失礼をしました…。急に自分をコントロールできなくなって…。
実はあなたには何かオーラみたいなものを見た気がして…。
いや、そうではない…。どう言っていいのか…。そうです。
どことなく似ているので思わず見つめてしまった…。
いや、そうじゃない。もしかして、そっくりかもしれない…。
ラファエロのマドンナに…」
アンナは驚いた。社交辞令にしてはあまりにも古風で古めかしい人を
例に出したルチアーノに驚いていた。
真由は真由でどう答えたらいいのか判らなかったが、とっさに
「ありいがとうございます…」
そう答えていた…。悔いの残る返事だったけれど、
思わずお礼の言葉が口に出ていた…。
アンナはまた驚いた。賛辞と信じて素直に喜びを表した
真由に驚き、思わずルチアーノに言った。
「ラファエロのマドンナってこんなに華奢ではないし、真由よりも
ずっとずっと丸い顔立ちよ。似ているとは思えないけれど…。
真由だって心外だと思っているはずよ…。だって当時の美人の基準は、
顔も胸もお尻もふくよか、みたいな。現代の基準からは大幅に
外れているのよ。真由がその人に似ているって…」
真由は二人の会話を遠くにして聞いていた…。
ルチアーノが自分をラファエロのマドンナに似ていると言って
くれたその言葉に感激していた真由だったから…。
奇しくも大好きなラファエロのマドンナだったから…。
だから、実際のラファエロのマドンナが例え美しくなくても、
例え、見られない顔であっても、あのラファエロが愛した相手に
似ていると言われたことが最高にうれしかったから…。
だから、ルチアーノの言葉はその日、一日中真由を夢の世界に
誘い、幸せにしていた…。
そして、明日には彼が勧めてくれたサン・シルヴェストロ教会を訪れて
みようと思った。パリでの下調べでは14世紀に創建された内部には、
1519年に礼拝堂に飾るために描かれたラファエロの作品「マリアの
エリザベツ訪問」のパプリカがあるはずだから…。
自分とてこの作品を見たいがためにこの町を訪れたのだから…。
★第8章に続く★