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■第5章■ この町が好きです…

■第5章■ この町が好きです…


「チャオ、アンナ!ボンジョールノ!」

ノックもしないでドアを開けた相手に怒りもしないで

ドアを全開した男性は、挨拶を交わした後、アンナにハグをした。

そして、後ろにいる真由に長い手を差し出して握手を求めた。

真由はアンナの肩越しに男性と握手を交わすと

「チャオ、アンナ。君たちはこの匂いに誘われてやってきたんだね?」

そう言いながらアンナを部屋の中に誘い、真由にも続くように

顔で合図を送ってきた。それでもドアの前で躊躇していると、

先に入ったアンナがリビングの中央から真由を手招いた。

恐る恐る中に入った真由は、ドアの外で部屋を見て想像するより、

広い部屋だったので驚いた。そして、たった今案内された自分の部屋も

こんなに広かったのかどうか記憶にない自分が可笑しくもあった。

それほど慌しく今を過ごす自分が信じられなくもあった。

不思議な時間の経過を経験している…。そう思いながら、

真由は改めて向かい側に宿泊している男性の部屋を見回した。


中央に小さなテーブルが置かれたリビングの左側には綺麗に

メーキングされたベッドがあり、その奥にライティングデスク、

その右側から大きな窓が広がり、ベッドの対面にはキッチン、

隣が洗面所とバスルームに続く部屋があった。

真由は自分の部屋と並び方が相対しているだけで、

造りも広さも同じだと観察結果を出した後、今まで部屋を見回していた

自分の視線が足元まで戻っていたので、最後、まだ見ていない

自分の背後を何気なく振り返った…。


さっきから何か背中に感じるものがあったから、だから、

振り返った真由であったが、案の定、リビングの廊下に

沿った壁面に置かれた濃い緑色のソファの上部に一葉の絵画が

掛けられていた。陽光が遮断されている場所だったから、

昼というのにその絵画は人物像だということしか

判別できなかった真由は、身体ごと向きを変えてしっかり見ようと

思った矢先、アンナがキッチンに戻ろうとしている彼に声を掛けた。


キッチンの前まで歩いた男性は、アンナの声の中で

さっきから点けていたコンロの火を止めるべきか否かを

ためらっているように見えたが、背中に真由の視線を感じたのか、

火を止めてタオルで手を拭きながらアンナと真由の視線に応えた。

まずは真由を深いまなざしで見つめた。興味深げな目でもあった。

部屋に初めて入ったときには感じられなかった鋭さもあった…。

真由はこれから自己紹介が始まることをその鋭い目線で知った。


自分を見つめる青い目…。真由はいつしか引き込まれるようにして

男性の青い目を凝視していた。そして、困惑し、たじろいだ…。

青い目の奥に悲しみを湛えた小さな光を見てしまったから…。

見てはいけないものを見てしまった気がしたから…。

真由はアンナの傍らを離れ、後ずさりを始めていた。


真由の困惑に気が付いたアンナは、その場を取り繕うようにして、

焦りながら言葉を探していた…。なぜ真由がたじろいだのか、

理由が解らなかったアンナだったが、前に立つ男性の鋭いまなざしに

気がつき、なぜか開口一番、相手に謝罪の言葉を発していた。


「突然、ごめんなさい。たった今我がホテルに迎えたお客様を

あなたに敬意を表して真っ先に紹介しようと思ってお連れしたのよ。

彼女はあなたの隣人、といっても向かい側の部屋の住人になる人だから。

それと彼女はあなたと同じように長期滞在をなさるから、

これから仲良くして頂こうと思ってね」

優しい口調でそう言ったアンナは、男性のまなざしが柔らかくなった

のを見逃さなかった。気持ちが和らいだ証しを見たアンナは、

すかさずその機を逃すまいと、下を向いたままの真由を自分の前に出し、

言葉を加えた。

「お二人で自己紹介をしてもらおうかな。真由さんはイタリア語が

とてもお上手だから。それともう名前は真由って呼んでいいわね?

じゃ、改めて真由、やってもらえる?それとも私が?」

アンナと真由のやり取りを見ていたルチアーノは、まだ少しだけ

苛立っていたから、態度がはっきりしない真由を無視して言った。


「僕からしょう。時間が掛かりすぎて料理の味が壊れてはたまらないからね」

思いもかけない男性の声で、下を向いていた真由の潤んだ目が男性に向けられた。

戸惑いとたじろぎの中にいた真由だったから、その目は少しだけ

悲しみを湛えていたが、しかし、視線はしっかりと男性に向けられ、

男性の優しい声の中に真由は入っていった…。


声は想い出にあるような茜色の故郷を突然、彷彿とさせた…。

寂しさを衝くようにした懐かしい声だったから…。

真由は家族の温かい懐に抱かれたときのように、

緊張していた気持ちが和んでいった…。

声の中で肩を落としてくつろいだ真由は、

そのまま和みの時間の流れの中に身を置いた…。

それは瞬時であったが、パリからここまでの緊張をほぐし、

いつもの自分を取り戻すための貴重な時間となった。

そして、疲れが取れたのを機に声の中から出た真由は、

今度は下を向かずに目の前の男性を大きな目でしっかりと見つめた。

現実をしっかりと見据えようと、青い目の奥にあった

あの悲しみを湛えた小さな光を探すようにして男性を見つめた。

そして、相手の自己紹介をアンナと共に静かな時間の中で待った…。


“私はこの町が好きです…。とても好き…。ラクイラという町に、

私の愛する故郷のように、私の居場所を見つけられそうな、

そんな気が今しているから…”

誰につぶやくのでなく、真由はそう心中で言いながら、

男性の自己紹介を笑顔で待った…。


★第6章に続く★

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