■第28章■ アンナの言伝
■第28章■ アンナの言伝
パリを去ってから一ヶ月の経過があった。
ローマでの生活は、一週間もしない内に慣れ親しんだ
真由であったから、二週間目から旅行会社の窓口で
アルバイトをしながら、ローマ大学の
聴講生となり、ラファエロの研究も始めていた。
元よりイタリアが好きだったし、イタリア語も堪能であった
真由は、ルイジの家族とも難もなく心を通い合わせることが
できたし、クリスも時間をやりくりして真由をドライブや食事に
誘ってくれたりもしたことで、一ヶ月という月日はあっという間の
経過であった。そして、そうこうする内に夏期休暇が訪れた。
真由はかねてから夏季休暇にラクイラを訪れたいと考えていた。
フィリッポの行方が気になっていたこととルチアーノとの想い出を
ラクイラのアンナと共に振り返ってみたかったから…。
もちろん、ルチアーノのことは遅い春が訪れようとする四ヶ月前の
あの日、ラクイラを後にした時点からあきらめていた相手であったが、
シルヴィアの面影の中で苦しんでいたルチアーノの苦しみに歪んだ
あの顔が気になっていたことも確かだったから…。
今、真由にとって一番の相談相手であり頼りにしている
クリスには、ルチアーノのこともフィリッポのことも
包み隠さず話してはいたけれど、ラクイラに旅立つ二日前に
なったその夜、何の前触れもなくアパートにやってきた。
早番だったホテルの仕事を終えた午後七時過ぎだった。
クリスは二週間の予定で出かける真由に伝言を携えてやってきた。
「さっき、ラクイラのホテルから連絡があったから。
電話でも済むことだったけれど、二週間真由の顔を見られないと
思ってね…」
冗談とも本気ともとれる軽口を叩いた後、真由を強く抱きしめた。
「向こうに行ったら、しっかり現実を見てくるんだ。真由の
今の中途半端な気持ちから解放されるにはそれしかない。
アンナさんの言伝はそのことのような気がする。僕も同感だから」
そう言ってアンナからのファックスを真由に渡した。
真由がラクイラを離れた二週間後に体調を崩したアンナは、
病院にそのまま入院し、今なお退院のめどがつかない重病だった
ことを知ったのは、真由が二週間の予約をホテルに入れたとき
だった。新しいホテルの主の話から、アンナが入院していることと
ホテルはその主の手によって経営されているということだった。
真由のショックは大きく、同じ世界に生きるクリスに色々
調べてもらったことで、現在、回復状態にある
アンナの病状が把握でき、安堵した真由であった。
しかし、期待したことよりも重い病気であったことで、
真由の心配は募ったままで、明後日にラクイラに発ってゆく。
そんな真由に、新しいホテルの主がクリスに一枚のファックス
を送ってきた。真由宛であった。病院では携帯が手元に
なかったのだろうか、或いはあっても使うことの出来ない何らかの
事情があったのだろうか…。そんな思いのまま、クリスは
真由に渡した。
印刷された用紙には、いつだったかのバールの客だった
ジーナの言葉がそのまま書かれていた…。
“お嬢さん、外は凍るほどの寒さです。今出てはいけません。
身体も心も凍り付いてしまいますから…。先を急ぐとろくなことが
起こりませんしね。哀しみや後悔を作るのはすべて先を急ぐことが
原因なのです。それに私と違ってあなたには明日という日がずっと
先まであるんですよ。今を逃しても明日があります。ですから、
明日のために今を大切に生きなければいけない…。先を急いでは
いけません”
八月の暑い朝を迎えたローマでの真由は、翌々日、アンナの待つ
ラクイラに発った。最初訪れたときと同じように、
フィリッポお勧めのティブリティーナ駅からバスに乗って…。
★第29章に続く★
■30章からは2月半ばから掲載予定です。よろしくお願い致します。
■30章からは2月半ばから掲載予定です。よろしくお願い致します。