■第27章■ 旅立ちの日
■第27章■ 旅立ちの日
ローマから戻った真由は、計画通り一ヵ月後の五月半ばパリを離れた。
ルチアーノのこともフィリッポのことも何も考えずに、
ルイジとクリスの待つローマに向けて旅立った。
静かで迷いのない旅立ちだった…。
それは、ローマでの仕事はまずはアルバイトという形で
クリスの仕事仲間の紹介された旅行代理店に
勤め口が決まっていたからであり、ローマでは
トラステベレの一角に建つ四階建ての最上階の小さな片屋根の部屋で
新しい生活を始められるように段取りを組んでいたから…。
最上階の片屋根の部屋は、パリで憧れた部屋であったから、
真由には格別の思いがありうれしかった…。
ローマに自分の拠点を置くことの準備は、あのルイジのホテルに
滞在している間に、ルイジは元より、クリスや彼の友人たちの
協力で万全を期した形で整ったことで、
真由はパリでは勉学を途中していた大学の聴講を
差し止めたり、借りていた部屋の整理と支払いなどを済ませた後、
友人たちとの別れを一ヶ月間という長い期間を掛けて、
悔いのないように惜しむことができていた。
そして、パリを去る二日前にイザベラに電話でパリを去ることを告げた。
会って話をしても良かったけれど、
真由はイザベラが嘘をついてまでフィリッポとの間を
固執していたことにこだわりがあったから、
尋常な気持ちで会えない今があった…。
イザベラは真由がパリを離れることを報告しても大した驚きはなかった。
というより真由がどこにいようと関心がないような感じであった。
ただ、最後にローマへ行っても時にはメールの交換をしたいと言った。
このまま行方知らずになるのは嫌だから、とも言って電話を切った。
親友ではなかったが、フィリッポのことで気まずい思いがあった
二人だったから、いつしか疎遠になっていた。
しかし、別れともなればやはり髪を引かれるものがあるのだろう、
真由も最後には哀しみの中でイザベラの声を聞いていたような気がしていた。
そして、パリでの最後の日、真由は大好きなカルチェラタンの街を歩き、
いつしかセーヌ河畔のフィリッポと逢瀬を楽しんだあのカフェテラスまで
足を延ばしていた。想い出を振り返るためではなく、淡い恋の世界に
未練を残しているのでもなかった…。
ただ、カルチャラタンの街角のショーウインドーに映った自分の姿を
見たとき、突然、パリを去ることに悲しみを覚えたから…。
だから、センチメンタルな思いのまま街の中を彷徨うように歩き始め、
気がつけば慣れ親しんだカフェテラスの椅子に座る自分がいた…。
真由はカフェを飲みながら夕刻のセーヌ河畔に身を置いた…。
そして、少しだけパリの自分を振り返っていた。
“これで良かったのね?ローマに今を託していいのね?”
そう自問した真由は、決してすべて満足できる決断では
なかったけれど、先々に楽しみの持てる選択だったと
自分に言い聞かせ、最後のパリの散策を終わらせた。
ただ、ヨーロッパ美術に関しての勉学を途中で止めることだけが、
少し心残りではあったが、それはパリでなくても続けられる
自分の世界であり研究だったから、落ち着いたら始めればいいと
自分に言い聞かせ、テーマも今一番気になっている
ラファエロの世界一本に絞って学んでゆこうと決心した。
偶然にもルイジといい、クリスといい、ラクイラで知合った
ルチアーノといい、そして、アペニン山脈を背にした小さな町の
ラクイラに生まれたフィリッポ…。
自分の周囲を取り巻く大切な人々のすべてが直接的であれ、
間接的であれ、あのルネッサンス期に活躍した三大巨匠の
一人であるラファエロに縁があり関わっている…。
そして、自分すらも偶然とはいえ、ラファエロの愛した女性が
住んでいたローマのトラステレベに居を構える…。
神様の悪戯とも思える重なり合ったこの偶然の先を
真由はしっかりと見たいと思ってもいた…。
だから、大好きだったパリの街を去る決心が出来たのだと
思った。
真由は翌朝、計画通り一ヵ月後の五月半ばパリを離れた。
ルチアーノのこともフィリッポのことも何も考えずに、
ルイジとクリスの待つローマに向けて旅立った。
静かで迷いのない旅立ちだった…。
★第28章に続く★