■第23章■ ローマの安らぎ
■第23章■ ローマの安らぎ
「今日から僕はしばらくパリを離れる。君のパパには一昨日、
了解を得ているから心配しないで。仕事の段取りも三日前から
昨日に掛けてちゃんと済ませたから。君のパパ、つまり僕にとっては
社長だけれど、彼にはなぜ急にパリを離れるのか説明をして
おいた。正直にね…。もちろん、了解も得た。社長にとっては
仕方なくだったと思うけれど…。だから申し訳ないと思っている。
もし、チャンスがあったら友人の好で僕のことを謝っておいてほしい。
そして、イザベラにも僕がパリを去る理由を話さなければいけないと
思っているが、今は駄目だ…。社長にはイザベラのことには
一切触れないで、真由と僕との世界を整理しながら伝えたけれど、
君にはどう説明していいのか、今の僕には判らないから…。
ただ、勘違いだけはしてほしくないから、一言だけ言おうね。
決して君が嫌だからとか嫌いだからとかという理由でパリを
去り、職場を去るのではない。僕の身勝手な怒りと哀しみに
耐えられなくなったから…。このパリに居てはその怒りも
辛さも拭えないから…。だから僕はこの街に居てはいけない…。
いずれ戻ってくるつもりはあるけれど、君との世界は僕の
未来図にはないから…。ごめん…。でも、いずれ伝えなければ
ならない僕の君への気持ちだからね…。イザベラにはとても
お世話になったし、とても親切にしてもらったね…。
ありがとう。そして、いい男を見つけて幸せになるんだよ」
真由はもう感情的なものはなかった…。
淡々とフィリッポの言い訳を読み、淡々としてイザベラの
悲しみを察していた…。
ここまで言われてもまだパリに戻ってくることを信じている
イザベラの気持ちが美し過ぎて涙すら流していた…。
愛する人を信じる気持ちのなんと清潔で静かなのか…。
フィリッポという一人の男性にしてもそれは言えることで、
名前こそ出していなかったけれど、フィリッポの思う人が
自分であることを知っているだけに、真由はイザベラに
書いたフィリッポの優しい別れの言葉に涙があふれて止まらなかった…。
イザベラから五分後に再びメールが送られてきた。
フィリッポの二通目のメールだった。
「さっきのメールで言い忘れていた。僕の行方(笑)を。
誰も心配させるわけにはゆかないからね。
今の心積もりでは僕の故郷であるラクイラに行くつもり。
もちろん、自分の実家に行くから心配無用。じゃ元気で」
先のメールとは違って最後まで明るく笑って文章は終わっていた。
携帯電話を閉じた真由は、フィリッポと過ごした昔日を振り返った…。
淡い色に彩られた過日はまだ色褪せていないはずだから…。
“…真由は俺を必要としていないのかもな。解ってはいたけれど、
でも、こんなにいい男なのに。真由には見る目がないんじゃないの?”
イザベラの気持ちを伝えたあの日、冗談を交えてそう言って
自分の前から姿を消したフィリッポだった…。
大学の同級生であり、親友であり…。そして、恋人候補の
一人でもあったけれど、そのときの真由は、
まだ彼を受け入れる気持ちにはなれないまま、今があった…。
でも、彼のぬくもりは知っていたし、彼と過ごす時間には
いつも温かな故郷の香りがあった…。
だから真由は寂しいときには常にフィリッポと過ごした時間を
振り返っていたし、彼の残した言葉に思い切り甘えもしていた…。
もちろん、彼はそんな自分を知りはしなかった…。
真由は明日、もう一度ラクイラに行こうと決心をした。
フィリッポがいるとは思えなかったが…。
午後六時になったすぐに、クリスチャンが待ち合わせの
バールにやって来た。真由のキャリーバッグを抱えて。
そして、支払いを済ませると真由の手を取って店を出た。
その間、何も言わずに笑顔だけで真由と会話を楽しんでいた。
“一人で大丈夫だった?僕はホテルマンだから、時間には
正確だろう?ぴったり二時間後にこうして真由を迎えに来た。
だから安心していいからね。僕にも今から僕に託す時間にも。
さあ、行こう。まずは真由の今夜の宿に”
クリスチャンに手を引かれた真由の顔も笑っていた…。
自分でも解らない不思議な安堵感に包まれた優しい笑いの
中にいた…。だから再び真由は思った。
“ここに私の居場所があるのかな…。ローマにあるの?真由?”
そう疑問を自分に投げかけていた真由は、トラステレベに
行くと言っていたクリスチャンの顔を見つめた…。
トラステベレにはラファエロが愛したマドンナの実家である
パン屋さんがあったはず…。
★第24章に続く★