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■第18章■ 流される明日に

■第18章■ 流される明日に


真由の予想は外れ、ルチアーノは八時になってもバールに

降りて来なかった。昨夜、約束をしていただけに真由は気になった。

“明日の朝、アンナのバールでカフェを飲んだ後、一緒に教会に行こう。

そして、ラファエロの作品を観た後、僕の用事に付き合ってほしい。

例の風邪を引いた友人のところに届け物があるんでね。でも、友人の

ところに行く目的はそれだけじゃない。真由と雪の積もったアペニン山脈を

楽しみたいと思っているから、彼の車を借りようと思ってね。

だから、明日は身支度を整えてバールで待っていてほしい”


約束のことはアンナには言わなかったけれど、でも、さっき自信ありげに

もうじきここに来るはずよ、と言ってしまったことが恥ずかしかった。

真由はルチアーノの心配とアンナへの恥ずかしさで、

バールを出るに出るに出られず、既に来るはずのないルチアーノを

待つ振りをしながら、その後二時間近くも店内にいた。

アンナはそんな真由に言葉も掛けられずに、客が居なくなると奥に行き、

しばらくは戻って来なかった。真由はその方が気が楽だったから、

アンナが店を離れるときには、店番を任せて、と言って送った。

しかし、午前十時少し前、一人で店番をしていると息を切らせながら

ルチアーノが店に入ってきた。

走ってきたのであろう、乱れた呼吸を懸命に立て直しながら、

真由に小さな箱を手渡した。赤い小さな箱だった。


真由は首を傾げながらその箱を両手で包んだ。ルチアーノの自分への

プレゼントだと判ったから、そっと手の中に包んで、彼のぬくもりを

脳裏に記憶させた。そして、赤い箱の蓋を開けた。

赤色の綺麗な携帯電話が箱の中で転げていた…。

走ってきたからであろうが、まるで笑い転げているように明るく

転げていたから、真由はうれしくて思わずルチアーノに飛びついていた。


真由をしっかり受け止めたルチアーノは

「僕と真由だけの交信電話だからね。他の誰にも見せてはいけない。

というより番号を知らせてはいけない。いいね?」

そして、奥から出てきたアンナにハグをし、真由との約束の時間に

遅れた理由を言葉少なく話した。それは嘘を交えた本当の話

だったから、真由は可笑しくもありアンナを騙すルチアーノが

哀れでもあった…。なぜ、すべて真実が言えないのか、そのときは

知らなかったから…。だから、アンナにも哀れみを覚えた真由は、

二人の会話が終わるまで、窓辺で通り行く人に心を預けていた…。


「あそこのメルカートには鮮魚がないのよね。金曜日しか仕入れを

しないからって、頑固親父が頑張っているから。昔の習慣ってやつ?

それを未だに守っている。でも、一人ぐらい昔気質の頑固親父が

いてもいいかなって思ったりしてね。今から?その頑固親父のいる

メルカートに行くのよ。もう店じまいする時間だけど」

町の人の取りとめのない会話の中に、時折、ルチアーノのアンナへの

言い訳の言葉が混じった。


「風邪を引いた友人がまた熱をぶり返したって電話があってね。

それも今朝早い時間に。だからとりあえず様子だけでも見てこようと

走って行ったんだ。真由との約束はそれは気になって仕方なかった

けれど、友人の方がもっと気になったから。でも、駆けつけたときは

熱も下がってベッドから起き上がっていた。何たることと怒り心頭の

僕に、心配をかけた見返りに一日車を貸すからって申し出たから、

ドライブの予定がなかったけれど、借りてきてしまった。車?このホテルの

駐車場に置いてきた。それで考えたのだけれど、アンナの今日の予定は?

もし、良ければ真由も一緒にドライブに誘おうと思っている。急だから

駄目かな?もし良ければこれからアペニン山脈を見に行こう」


真由はこの誘いはルチアーノの口からでまかせの嘘とは思えなかった。

真剣なまなざしでアンナを見つめ、誘っていたから。

アンナは少しだけ間をおいて答えた。

「とても行きたい。アペニン山脈の見えるところまで行きたいけれど、

でも、今日は新しいお客様がみえるのよ。こんな寒い山の上を

訪れてくれるお客様をアルバイトの子に任せておけないし、

二年前にこのホテルに宿泊してくださった方々なの。私はあなたの

ように再びここに戻って来てくれるお客様が一番うれしいから。

だから今日はここで待って彼らを歓待したいの。残念だけれど…」


ルチアーノも残念がっていたけれど、アンナを誘うついでに今日は

真由と一緒に時間を過ごすことを報告できたことに安堵していた。

少しだけ嘘を交えての報告だったけれど…。

二人はアンナの見送りを受けて十時半、バールを出た。

約束の教会には立ち寄らず、ホテルから北に歩いて

十分ほどの駐車場に向かった。

ルチアーノは真由の手を取り先を急ぎながら歩いていたが、

駐車場前にあるバールを見つけると立ち止まった。

そして、哀しそうな視線で真由を見つめた後、真由の身体を

自分の胸に引き寄せて強く抱きしめた。

真由の肩に顔を埋めたルチアーノは小さな声で言った。


「あのときから臆病になっている僕だから、真由を好きになって

しまった今が少し怖いんだ…。今日も真由と一日一緒に過ごしたいと

思っているのに足が竦んでしまって…。大の大人が真由みたいな

若い子に泣き言を言うなんて恥ずかしいとは思うが…。でも、

僕は今回、この町に居られるのは後一週間しかない。

だから、その間だけでも真由と時間を共有したいと願っていたのに…。

君を傷つけるかもしれないと思うと怖くなってしまって…」


真由は辛そうに告白をするルチアーノを前にして当惑しながらも、

一週間ほど前にアンナに告げられた愛する人の過去を振り返っていた。

だから“あのときから…”というのは、妻のシルヴィアが彼の前から

消えていったその日のことを差しているのだと了解した。

アンナはこうも言った。

“一ヵ月後の花がようやく開き始めた春の日、顔色も良くして

パリに帰って行った…。でも、目の奥には来た時と変わらない

哀しみがあった…。隠そうとすればするほど湛えていた哀しみが

深くなってね。青い目は涙で赤くなっていたのよ…。

それから毎年、数回の頻度でこの町にやってくるようになったの。

でも、いつだって愛しい人との別れの哀しみを抱えたままだった…”


真由は強く抱きしめられたまま、愛しい人の青い目が赤く染まり、

冷たい涙が頬に流れ落ちて行く様を、遠いアペニン山脈の空の

彼方に見つめていた…。未だ二年前の心の傷が癒えないルチアーノの

声と共に風に流されるようにして自分の明日も空の彼方に

消えてゆく予感に襲われながら…。


★第19章に続く★

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