■第13章■ 不思議な縁(えにし)
■第13章■ 不思議な縁
一人だけいた客もいつしか消え、店内には自分とアンナしかいなかった。
雪が止むまでお客さんは来ないわね、そう言ってアンナは
カウンターの中から出てバールの出口のドアを閉めた。
といっても客の誰もが入れるように鍵はかけず、
ドアの前にわざわざ「OPEN」と書いた掲示を掲げた。
入り口近くのテーブルに座っている真由の前に腰を落ち着けた
アンナは、何も言わず降りしきる雪を見つめた…。
椅子に座る瞬間、アンナの表情が少しだけ歪んで見えた。
改めて話しがあると告げられたそのときから、
心の構えを準備していたけれど、その表情からもしかして、
あまり話したくない話なのではないかと思った真由は、
今一度背を伸ばし話に構えた…。
アンナは降りしきる雪の音の中に未だいたが、
雪の音を見つめながら静かに口を開いた。
「…本当に不思議だわ。今まで雪の降る音を聞いたことがなかったのに。
真由が来た途端、降ったことのない真綿雪が降ったり、
雪の音が聞こえ始めたりして…。
ラクイラと真由の関係がこの雪に象徴されているとしたら…。
私は今朝からそんな風に考えてしまって…。
どう判断していいのか判らないけれど、
でも、昨日、真由に初めて会ったそのときから、
私はなにか不思議な縁を感じていた…。
あなたとの距離を最初から感じていなかったのがその証拠…。
ずっと以前から知っていた真由のような気がして。
そして、思ったの。多分、ルチアーノも私のそれに
似た思いでいるのではないのかしらって…。
だって彼もそう簡単に初対面の人に気を許すような人ではないのよ。
彼とは随分長いからよく解るの…」
そこまで言ったアンナは視線を窓から外し、真由に向けた。
さっきの表情とは異なり、真由に向けた顔は笑顔だった…。
だから、真由は黙って頷いた。
アンナが思っていることに間違いはないと信じたかったから。
自分との縁がずっと以前から繋がっていたなんて、
とても素敵だったたし、とてもうれしかったから…。
ましてやルチアーノもアンナと同じ思いかもしれない…。
そう言ってくれたアンナがとても好きだったから…。
だから頷くと。
アンナはそんな真由を目でたしなめた。まだ話の続きがあるのだから、
目はそう言って真由をたしなめた後、再び真由を言葉の中に招き入れた。
その仕草はまるで姉のように愛情深いものであったから、
真由はことさらこれから聞かされる話は、自分にとって
辛いものではないのかと思われた。アンナはそんな真由に言った。
「そんなに構えないでいいのよ。ただ、どんなことでも我慢しないで。
泣きたければ泣けばいいし、うれしくなったら遠慮なく踊ればいいのよ。
昨日の真由のように踊ればいいの。昨日の真由はとっても素敵だった…」
そう言ってアンナは今一度、真由を自分の言葉の中に招き入れた。
「話したかったのは、ルチアーノのことなの…。
真由が彼を愛し始めていることを今朝知ったから心配になって…。
それと彼も真由をとっても意識していた…。だから余計心配で。
もちろん、ルチアーノは真由に会って私と同じ思いにかられて
いるのは解るし理解もできる。でも、私と違うことは彼は真由が
異性であることなの。私が真由を思う気持ちとは異なるはず…。
もちろん、二人が愛し合うのは自由よ。私も止めたくない…。
でも、とても心配なの…。だって、彼はまだ愛妻の想い出から
抜け出せないでいるはずだから…。妻のソフィアとの離別は
彼の性格を変えてしまったほどルチアーノには大きなショックだった…。
それだけに未だ傷は癒えていないと思うの…。でも、私が見る限り、
彼は真由を気にし始めている…。真由も彼を愛し始めてしまった…」
アンナは真由に極力ショックを与えないように、言葉を選んで静かに
話を始めた。真綿雪の音の中でアンナは優しくそう言って言葉を休めた。
ここまでの話を真由がしっかり受け止め、消化するまで待とうと、
アンナは立ち上がった。そして、ドアの外で中に入るのを躊躇って
いる一人の客を招きいれた…。
真由はその客に頭を下げ、挨拶を交わした後、外に出るためにドアに向かった。
ラクイラに降りしきる真綿雪を見たくなったから…。
そして、ルチアーノと交わした始めての接吻を雪の中に
埋めなければいけないと思ったから…。
だから、真由は目に涙を溜めたままドアのノブに手を掛けると、
一旦は椅子に座った客が真由の傍らに来て言った。
初老の上品な顔つきの女性だった。
「お嬢さん、外は凍るほどの寒さです。今出てはいけません。
身体も心も凍り付いてしまいますから…。先を急ぐとろくなことが
起こりませんしね。哀しみや後悔を作るのはすべて先を急ぐことが
原因なのです。それに私と違ってあなたには明日という日がずっと
先まであるんですよ。今を逃しても明日があります。ですから、
明日のために今を大切に生きなければいけない…。先を急いでは
いけません」
真綿雪の降りしきる音の中で、真由を守るようにして
アンナの視線も初老の女性の視線も真由の身体に止まっていた…。
そして、真由はその女性の言葉でルチアーノの今朝の言葉を
反芻していた。
“僕は君のことを昨夜から思い続けていたから、
外で会ったとき、ただ君をこの胸に抱きしめることしか頭になかった。
真由、寒かっただろう?ごめん…。
君の凍えるような冷たい身体に接しても、
僕はすぐには教会の中に入ることに考えつかなった…。
でも、ここに入って気が付いた…。
温かなこの空気で真由を早く包んであげれば良かったのにって…。
いつだって先を急ぎすぎる僕だから…”
ルチアーノも自分と同じように先を急いでいたことを真由は知った…。
でも、これから何があってもまだ間に合う、そう思った。
さっきの初老の女性が言ったように、先を急がない限り、
後悔はしないし間違いも犯さないはずだから…。
今を大切にすれば明日があるはずだから…。
★第14章に続く★