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■第10章■ 愛しい人に

■第10章■ 愛しい人に


アペニン山脈の山塊の裾野に広がるラクイラは、真由の想像通り

素朴な人々の吐息がそこかしこに聞こえるほど清新な空気に

包まれていた。昨夜も町の人たちの吐息が聞こえるのではないかと、

思わず耳を澄ませたほど、町は静かで汚れのない空気のなかにあった。


標高721㍍の丘の上のこの町に最初足を踏み入れたときの真由は、

まだ、パリからの苦しい想い出を背負っていたらか、

優しい自然と清らかな空気に包まれた町であっても息苦しく、

少しだけこの町を訪れた悔いがあったけれど、

一夜明けた今朝の真由は違った…。

さほど期待をしていなかった町がとても素敵だったことで、

バールの入り口で踊ったほど歓びに包まれていた。


それはアンナの招待でご馳走になった朝食を終えた後、

友人になったルチアーノとこれから教会の前で落ち合う

約束をしていたから…。そして、昨夜も今朝もずっと

彼らの会話の中で時間を過ごしていた真由だったから、

ラクイラを訪れた途端親しくなれそうな素敵な友人と隣人に

同時に巡り会えたことに感謝もしていた。

そして、今朝、バスルームの鏡を見ながらアンナと

ルチアーノの顔を思い浮かべた真由は、自分の顔が

昨日とはどこか異なっているのに気が付いた。

歓びに包まれていたから顔色も良くうれしそうな顔であったが、

どこか辛そうな…。憂いのある顔に気が付いた…。


真由は鏡の中の自分にもしかして…と首をかしげた。

友人と隣人に巡り会えただけではなく、もしかして…。

そう予感がした真由は、約束の時間まで町を歩こうと

慌てて着替えを済ませ、ホテルを出た。

約束の時間までに自分の思いを

確認しておく必要に迫られて、慌てて歩き始めた。

気が付くと、中世の石畳の坂道を無心に上り続けていた…。

思いもかけない自分の今の気持ちを確かめるために、

中世の風情を残す趣きある情景の中に身を置きたくて…。

新しい自分の何かを見つけたいと必死だったから…。


でも、真由はホテルから離れてゆく自分が怖くなって途中で足を止めた。

一時間後という約束も気になっていたからであるが、

これ以上、丘を登ると雪に包まれて帰れなくなるのでは、という

恐怖が突然襲ってきたから…。

そして、既に自分の何かを見つけたから…。

自分の心に宿った思いをもう見つけたから…。

元来た道を帰りながら、真由はその答えを反芻していた。


“もしかして私はルチアーノに恋をしてしまったの…?

初対面の彼に恋をしてしまった…?違うわよね?

だって歳だってきっと離れているし、だから彼には奥様がいる…。

いないかもしれないけれど…。でも、彼の視線の中で生きたい…。

あの大きな手の中で一度でいい眠りたい…。奥様がいるとしたら、

神様はお許しにはならないかもしれないけれど、でも、私は彼が好き…”


真由は自問自答したままルチアーノとの約束の一時間後に

ホテルの前に立っていた…。気持ちの整理が出来ないまま、

石畳の坂道を降りてきてしまった真由は、少しだけ開き直って

いるかのように、ルチアーノはきっとホテルから出て来る

だろうからと思って教会を横に見ながら立った…。

でも、すぐに思いなおした。アンナに見られたら

言い訳をしなければならないことに気がついたから。

だから素直にホテルの前から離れた…。ホテルの前で待たなくても、

彼とは数十歩先の教会の前で会う約束だから…。

そう思いながらも、もしかしてルチアーノが後ろから自分を追うようにして

歩いて来るかもしれない、そんな予感の中で真由はゆっくりと歩き始めた。


真由の後ろから新雪を踏む柔らかな足音が聞こえ出した…。

後ろにしっかりと付くようにして、足音は真由と共にあった…。

ゆっくりと歩く真由だったから、時折、リズムを崩しながら、

それでも頑張って真由の足音に追随している…。

真由の予感は当たった…。真由はうれしくて声が出そうに

なり、思わず口を押さえていた…。

そして、振り返りたかったけれど、振り返った途端、

夢が覚めるようにしてルチアーノが消えて無くなりそうに思えたから、

約束の場所が目の前になっても振り返ることができなく立ち尽くすんだ…。

真由の前には美しい扉口とシンプルなバラ窓を持つ

教会のファサードがあった。そして、真由の後ろには

足音を止めたルチアーノがいた…。


真由が勇気を出して恐る恐る振り返ると、

足を止めたその人は優しく笑った。

そして、真由の肩を抱きハグをした…。

大きな手で真由の背中を抱きながらハグをした…。

サン・シルヴェストロ教会のファサードの前で…。

ルチアーノのハグが初めてだったから、緊張して胸の高まりを

抑えられなくなっていた真由に、その人は言った。


「真由は僕を愛し始めているね?そうだろう?そうだね?

僕も君を愛し始めたから解るんだ…。その胸の高まりの意味が…。

まだ早いって君は思っている…。そうだ、僕も同じ思いだから

真由の気持ちが手に取るようにして解ってしまう…。

でも、この気持ちは誰にも止められない。僕にも真由にも…」


静かな雪の朝、真由はイタリア人男性と初めて唇を合わせた…。

真綿雪の舞うラクイラの綺麗な朝景色の中で…。

教会のファサードの前で真由はルチアーノの世界に静かに入って行った…。


★第11章に続く★

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