西の空の向こうに、きっと君がいる
【第33作目】今回は、唐突に異世界に放り込まれた主人公の話です。自分と同じ世界から来た人が居ると聞いたらどうしますか?
----------------
ユウが異世界に来たのは十六歳の夏だった。
学校帰りだったと思う。
友人と別れ、信号を渡ろうとして。
気づけば森の中にいた。
理解できなかった。
夢だと思った。
三日間泣いた。
五日間さまよった。
七日目に魔物に襲われた。
そして偶然通りかかった冒険者に助けられた。
それが始まりだった。
二年後。
ユウは十八歳になっていた。
異世界の言葉も覚えた。
簡単な生活魔法も使える。
村で畑を耕し、たまに薬草採取を請け負う程度には、この世界に馴染んでいた。
だが故郷を忘れたわけではない。
夜になると空を見上げる。
日本の夜空とは少し違う星々。
見知らぬ月。
知らない風。
そのたびに思う。
今ごろ家族はどうしているだろう。
自分は行方不明者になっているのだろうか。
そんな答えのないことを。
異世界での暮らしは、決して楽ではなかった。
最初は言葉が分からなかった。
何を聞かれているのか分からない。
何を言えばいいのかも分からない。
村の人々は優しかったが、それでも異邦人であることに変わりはない。
はじめてパンを買いに行った日、数を言い間違えて店主を困らせた。
水を汲みに行けば手順が違うと笑われた。
市場へ行けば見知らぬ食材ばかりだった。
夜になると毛布の中で泣いた。
母の料理が食べたい。
父の声が聞きたい。
友人たちとくだらない話がしたい。
そんな願いばかり浮かんだ。
泣いても帰れない。
それが一番つらかった。
だからユウは前を向いた。
働いた。
言葉を覚えた。
笑う練習もした。
そうして少しずつ、この世界の中で居場所を作っていった。
そんなある秋の日。
旅の商人が村へやって来た。
広場で荷を広げながら商人は笑って話していた。
「面白い若者がいてな」
「面白い?」
村人が尋ねる。
「ああ。別の世界から来たって言うんだ」
ユウの手が止まった。
「別の世界?」
「空を飛ぶ鉄の乗り物や、小さな箱で遠くの人と話す話をしてたな」
「若いのか?」
「ああ。十七、八くらいだったかな」
心臓が大きく跳ねた。
日本人?
少なくとも自分と同じ世界の人間だ。
ユウは会話に割って入った。
「その人はどこにいるんですか!?」
商人は目を丸くした。
その夜。
ユウは眠れなかった。
自分以外にもいた。
同じ世界から来た人間が。
歳も近い。
男の人らしい。
どんな人なのだろう。
学生だったのだろうか。
部活は何をしていたのだろう。
どんな学校に通っていたのだろう。
自分と同じように突然この世界へ来たのだろうか。
もし会えたら何を話そう。
コンビニの話。
文化祭の話。
スマートフォンの話。
テレビ番組の話。
そんな当たり前だったものを。
言葉にしただけで胸が熱くなった。
この二年間。
ずっと一人だった。
日本を知る人など誰もいなかった。
だから。
会いたかった。
どうしても。
翌朝。
ユウは村を出た。
荷物は少ない。
魔法杖一本。
短剣一本。
保存食。
そして希望。
それだけだった。
商人に教えられた町へ着くまで二週間かかった。
最初の町に着いたユウは宿屋へ飛び込んだ。
「すみません! 別の世界から来た若い人を知りませんか?」
女主人は首を傾げたが、すぐに頷いた。
「ああ、あの子かい」
ユウの胸が高鳴る。
「知ってるんですか!?」
「去年の秋までいたよ、たしか西に向かうとか何とか…」
去年の秋。
ユウは少し肩を落とした。
一年近く前だ。
遠い。
遠すぎる。
だが女主人は笑った。
「いい子だったよ。宿の掃除まで手伝ってくれてね」
まだ会ったこともないのに。
ユウの胸が少しだけ温かくなった。
さらに西へ向かった。
次の町ではパン屋の主人が言った。
「ああ、知ってるぞ」
「本当ですか!?」
「半年くらい前だったな。朝から晩まで店を手伝ってくれた」
半年前。
一年が半年になった。
少しだけ距離が縮まった気がした。
「どんな人でした?」
「よく笑う奴だったな」
ユウは町を出た後も、その言葉を何度も思い出した。
よく笑う人。
どんな笑顔なのだろう。
目を細めて笑う人だろうか。
くしゃっと顔を崩して笑う人だろうか。
困ったように笑う人だろうか。
きっと優しい笑顔なのだろう。
根拠はない。
ただ、そうだったらいいと思った。
想像すると不思議と心が軽くなった。
山間の村では橋の修理をしていた職人に話を聞いた。
「その若者なら春までいたぞ」
「春って……三か月前ですか?」
「ああ」
ユウは顔を上げた。
三か月。
確実に近付いている。
「あいつは器用だったなぁ」
「そうなんですか?」
「いや、最初は全然だったけどな」
職人は豪快に笑った。
「毎日失敗してたが、諦めなかった」
ユウもつられて笑った。
目の前に光景が浮かぶ。
慣れない作業に苦戦する少年。
何度も叱られながら食らいつく姿。
異世界に来たばかりの自分もそうだった。
失敗ばかりだった。
泣きたかった日も多かった。
だけど生きるしかなかった。
きっと彼もそうだったのだろう。
そう思うと胸が締め付けられた。
旅は決して楽ではなかった。
雨の日もある。
泥だらけになる日もある。
魔物から逃げた夜もある。
お金がなく、納屋で眠ったこともあった。
焚き火の横で夜を明かしたこともある。
冷たい毛布に包まりながら眠れない夜もあった。
そんな時は決まって日本を思い出した。
暖かいベッド。
風呂の湯気。
家族の笑い声。
帰りたい。
会いたい。
何度もそう思った。
そして、ふと考える。
彼も同じだったのだろうか。
日本の夢を見て目覚めたことがあるのだろうか。
家族を思い出して眠れない夜があったのだろうか。
その想像だけで、少しだけ一人ではない気がした。
ある雨の夜。
ユウは納屋を借りて休んでいた。
屋根を叩く雨音を聞きながら膝を抱える。
眠れなかった。
もし会えたら。
どんな声なのだろう。
日本語を聞いたら驚くだろうか。
最初に何と言おう。
「こんにちは」だろうか。
「やっと会えた」だろうか。
顔も知らない。
声も知らない。
それなのに。
気づけば彼のことばかり考えていた。
おかしかった。
でも嫌ではなかった。
この世界へ来てから初めて。
未来を想像すると少しだけ嬉しかった。
ある村で、ユウはついに名前を知った。
畑仕事をしていた老婆が教えてくれた。
「ああ、トーヤのことかい?」
ユウは固まった。
「トーヤ?」
「そうさ。それがあの子の名前だよ」
トーヤ。
初めて聞く名前だった。
それなのに。
胸の奥が温かくなる。
「どんな人でしたか?」
老婆は優しく笑った。
「優しい子だったよ」
その言葉が耳に残った。
優しい人。
よく笑う人。
諦めない人。
ユウの中で少しずつ輪郭が出来上がっていく。
顔のない誰かが。
特別な誰かになっていく。
旅を始めて一年近く経った頃。
ユウは宿場町へ辿り着いた。
疲れた足を引きずりながら尋ねる。
「トーヤという人を知りませんか?」
宿の主人は驚いた顔をした。
「知ってるぞ」
ユウの息が止まる。
「い、いつですか?」
「一か月前までここにいた」
一か月。
ユウは言葉を失った。
去年の秋だった距離が。
半年だった距離が。
三か月だった距離が。
今は一か月になっている。
会えるかもしれない。
本当に。
主人は続けた。
「あいつ、旅費を稼ぐために荷運びしてたぞ」
「そうなんですか」
「働き者だったな」
少し笑ってから付け加える。
「でも時々寂しそうだった」
ユウは俯いた。
同じだ。
きっと同じだ。
夜になると家族を思い出したのだろう。
帰れない現実に苦しんだのだろう。
それでも前へ進んだのだろう。
ユウはそんなトーヤの姿を想像した。
夕焼けの中を一人で歩く姿。
誰も知らない空を見上げる姿。
寂しくても笑おうとする姿。
胸が少し痛んだ。
会ったこともないのに。
なぜこんなに気になるのだろう。
その夜。
宿の窓から星空を見上げた。
会いたい。
本当に会いたい。
日本の話をしたい。
家族の話をしたい。
笑い合いたい。
この二年間の寂しさを聞いてほしい。
だけど少し怖かった。
もし想像と違う人だったら。
もし自分だけが一方的に会いたいと思っているのだから。
もし会っても何も変わらなかったら。
不安は尽きない。
それでも。
「トーヤ……」
名前を呟く。
優しい人らしい。
よく笑う人らしい。
頑張り屋らしい。
そしてきっと。
自分と同じように故郷を想っている人だ。
翌朝。
宿を出ようとした時だった。
掲示板の片隅に古びた依頼書が貼られていた。
荷運び依頼。
何気なく目を向けたユウは足を止める。
依頼完了者の署名があった。
この世界の文字ではない。
見慣れた文字。
日本語。
震える指でなぞる。
そこには確かに書かれていた。
『井上桃矢』
ユウの目に涙が滲んだ。
本当にいた。
想像なんかじゃない。
夢でもない。
同じ世界から来た誰かが。
確かにこの場所にいた。
ユウは荷物を背負った。
まだ会えてはいない。
けれど距離は確実に縮まっている。
西の空には虹が架かっていた。
その向こうにトーヤがいる。
そう信じて。
胸の中の希望を抱きしめながら。
ユウは再び西への道を歩き始めた。
----------------
距離は縮まる、想いは膨らむ、その先は…
会えるのか、会えないのか、どっちなんだい!
5分程度で読める短編ばかり書いています。 もしよければ以前の作品も読んでみてみてください。
(ジャンルも多種多様になってきました。)




