表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生して10歳のカフェ店主になった元・凄腕暗殺者〜至高の珈琲と暗殺術で、大切な孤児院を狙う悪党を容赦なく駆除します〜  作者: 黒崎 隼人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/16

第1話「路地裏の幼女店主と至高の珈琲」

 王都ルミナスの東区は、朝日が昇る前から活気に満ちている。

 石畳を叩く荷馬車の重々しい蹄の音が響く。

 市場へと向かう人々の生活のざわめきが、遠くから波のように押し寄せてきた。

 大通りから入り組んだ路地を三つ抜ける。

 さらに人一人がやっと通れるほどの細い通路を抜けた先。

 陽の光が届きにくい入り組んだ場所に、その小さな店はひっそりと佇んでいた。

 雨上がりの湿った空気が苔むした石壁にへばりつく。

 独特の冷たい匂いが路地裏を満たしていた。

 建物の軒先には古びた木彫りの看板が吊るされている。

 精緻な蔦の模様とともに『隠れ木』という文字が深く刻み込まれていた。

 店先の小さな花壇には、朝露に濡れた白い花がひっそりと咲いている。

 冷たい路地に、わずかな彩りを添えていた。

 真鍮のドアノブは長年の使用で角が丸みを帯びている。

 朝の柔らかな光を受けて鈍く輝いていた。

 小さな手がそのドアノブを握る。

 ゆっくりと押し開いた。

 よく油の差された蝶番は音を立てない。

 澄んだ冷気が店内の空気を押し流していく。

 店内に足を踏み入れたのは、一人の少女だった。

 月明かりをそのまま紡ぎ出したかのような美しい銀色の髪を持つ。

 年齢は十歳になるかならないかといったところだ。

 湖面のように透き通った青い瞳が、静まり返った店内を正確に掃過する。

 不自然な影はないか。

 昨晩から動かされた物はないか。

 空気の流れに違和感はないか。

 ほんの数秒の間に店内のすべての情報を視覚と嗅覚で処理する。

 彼女は短く息を吐いた。

 少女の名前はリゼ。

 この路地裏の小さなカフェの若き店主である。

 リゼは身の丈に合わない大きな前掛けを締め直した。

 掃除用の箒を手に取る。

 彼女の動きには、一切の無駄がない。

 足音を殺す。

 体重移動だけで滑るように床の上を移動した。

 手首のわずかな返しだけで箒の先を正確に操る。

 隅の埃まで掃き出していく。

 それは長年の訓練によって骨の髄まで染み込んだ身体操作だった。

 だが、その技術が今向けられているのは、標的の命を奪うためではない。

 ただ単に、店を清潔に保つためだ。


『今日も、いい朝だ』


 リゼはカウンターを布巾で拭き上げながら、内心で静かにつぶやいた。

 彼女の記憶の底には、この小さな身体とは似ても似つかない別の人生が横たわっている。

 鉄と硝煙の匂い。

 冷たい雨に打たれながら、スコープ越しに見つめ続けた標的の顔。

 刃が肉を裂く感触。

 命が指先からこぼれ落ちていくときの、ひどく生々しい感覚。

 現代日本において、裏社会で伝説とまで謳われた初老の暗殺者。

 それが、リゼの魂の真の姿だった。

 組織の非道な裏切りによって路地裏で命を散らした。

 気がつけばこの剣と魔法の世界で孤児として生を受けていた。

 血に濡れた過去を深く悔いる。

 もう二度と誰の命も奪わないと誓った。

 今度こそ、ただ穏やかに、誰かを笑顔にするための人生を送るのだと。

 掃除を終えたリゼは、特製の木箱の上に立った。

 両手で丁寧にコーヒーミルを回し始める。

 豆が硬質な音を立てて砕け、一定のリズムで店内に響き渡る。

 焙煎された豆の香ばしく深い匂いが鼻腔をくすぐる。

 彼女の心を静かに満たしていく。

 かつて銃のトリガーを絞るためだけにあった指先。

 今はただ、珈琲豆の挽き具合を確かめるために使われている。

 その事実に、リゼはかすかな喜びを感じていた。

 店のドアが開く。

 来客を告げる真鍮の鈴が軽やかな音を立てた。

 リゼは手を止め、顔を上げる。


「おはようございます、ルーク様」


 花がほころぶような、年相応の無邪気な笑みを浮かべる。

 入り口に立っていたのは、一人の青年だった。

 王都の治安維持を担う騎士団の制服に身を包んでいる。

 王都の騎士団は、華やかな表舞台とは裏腹に泥臭い仕事の連続だ。

 特にこの東区は貧困層も多く、大小さまざまな犯罪が日常茶飯事に起きている。

 ルークはその中でも、常に最前線で体を張り続ける実直な男だった。

 彼の銀色の胸当てには細かい傷が無数に刻まれている。

 日々の激しい任務を物語っていた。

 手入れはされているものの、マントの裾は泥で汚れている。

 激しい立ち回りの跡が窺えた。


「おはよう、リゼちゃん。今日も一番乗りかな」


 ルークは穏やかな声で返す。

 カウンターの一番端の席に重い腰を下ろした。

 彼の顔には、隠しきれない深い疲労の色が張り付いている。

 目の下には暗い影が落ちていた。

 いつもは真っ直ぐに伸びている背筋が、今日はわずかに前へと傾いている。

 腰に帯びた長剣の柄に、知らず知らずのうちに何度も右手が伸びる。

 夜通しの警戒任務から、まだ神経が戦闘状態から切り替わっていない証拠だった。

 右足のブーツの踵がわずかに外側へすり減っている。

 歩く際にほんの数ミリだけ右膝を庇うように体重を逃がしていた。

 リゼの目は、それらの情報を瞬時に見抜いていた。


『徹夜の巡回任務明け。右膝の古傷が痛み、神経が過敏になって胃腸も弱っている』


 リゼは思考を高速で巡らせる。

 ルークのためのカップを選び出した。

 厚みのある、手の中にすっぽりと収まる温かい色合いの陶器のカップ。

 酸味を極力抑える。

 深いコクと甘みを引き出した中深煎りの豆をドリッパーに移した。

 細口のポットから、計算し尽くされた温度の熱湯を細くゆっくりと注いでいく。

 最初は中心から、円を描くように。

 粉がふわりとドーム状に膨らむ。

 表面に細かな泡が弾けた。

 その瞬間、店内に濃厚で甘い香りが広がる。

 数秒の蒸らし時間を経て、再びゆっくりと湯を注ぐ。

 フィルターを通り抜けた琥珀色の液体が、ガラスのサーバーへと静かに滴り落ちていく。

 雨だれのような一定のリズムが、時計の針のように時を刻む。

 湯の温度は、指先の皮膚感覚だけで把握している。

 かつて標的の動脈の拍動を探り当てた指先。

 今はただ、至高の一杯を淹れるためだけに集中していた。

 胃への負担を減らすため、温めたミルクをたっぷりと注ぎ込む。


「どうぞ。特製のカフェオレです。お砂糖は控えめにしてあります」


 リゼは両手で丁寧にカップを持つ。

 ルークの目の前に置いた。

 立ち上る湯気が、ルークの強張った表情の輪郭をわずかに曖昧にする。


「ありがとう。いつも悪いね」


 ルークは分厚く節くれだった手のひらでカップを包み込むように持つ。

 ゆっくりと口に運んだ。

 喉仏が上下する。

 温かい液体が彼の体を満たしていく。

 肺の底から古い空気を押し出すように、彼は深いため息をついた。

 背もたれに深く体を預ける。

 肩から重荷が落ちるように強張りが抜ける。

 騎士としての鋭く張り詰めた眼光が、気のいい温厚な青年のそれへと変わっていく。


「リゼちゃんの珈琲を飲むと、本当に生き返る思いだよ」


「お口に合って嬉しいです。昨晩は、お仕事が大変だったのですか」


 リゼはカウンターを布巾で拭きながら、小首を傾げてみせた。

 純真な子どもからの問いかけに、ルークは困ったように眉尻を下げる。


「少しね。最近、東区の裏通りで質の悪い連中がうろついているんだ。商会を名乗ってはいるが、やっていることはただのならず者と変わらない」


 ルークはカップを見つめながら、声を落とした。


「リゼちゃんも、戸締まりはしっかりするんだよ。何か困ったことがあったら、すぐに僕たち騎士団を頼ってほしい」


「はい。気をつけます。ありがとうございます、ルーク様」


 リゼは素直にうなずき、ほほえんだ。

 ルークが忠告してくれた連中とは、十中八九、裏社会を牛耳るガルド商会のゴロツキたちのことだろう。

 最近、この周辺の土地を強引に買い上げようとする動きがある。

 リゼもすでに情報として把握していた。

 表向きは合法的な取引を装いながら、裏では脅迫や暴力を平然と用いる腐りきった連中だ。

 孤児院の土地すらも狙っているという噂もある。


『私の大切な場所を乱すというのなら、それなりの覚悟をしてもらわないとな』


 リゼの青い瞳の奥底に、一瞬だけ零下のような冷たい光が宿る。

 だが、ルークがカップを置く小さな音に合わせて、その光は瞬時に消え去った。


「さて、そろそろ行くよ。今日も美味しい珈琲をありがとう。これでまた一日頑張れそうだ」


「いってらっしゃいませ。またお待ちしております」


 ルークは銅貨を数枚カウンターに置く。

 ゆっくりと立ち上がった。

 彼が落としていった銅貨は、珈琲の代金よりもいつも少しだけ多い。

 孤児であるリゼを気遣う、彼なりの不器用で温かい優しさだった。


「……優しい人だ」


 リゼは銅貨を手のひらに乗せる。

 その温もりを確かめるように強く握りしめた。

 前世では決して得ることのできなかった、無償の思いやりと温かな関係。

 昼が近づくにつれ、路地裏の小さなカフェにも少しずつ活気が満ちてきた。

 扉の鈴が何度も鳴り、顔なじみの客たちが次々と姿を見せる。

 近くでパン屋を営む恰幅の良いおかみさんは、焼き立ての白パンを差し入れに持ってきてくれた。

 工房を構える無口な老職人は、いつもの指定席に座り、無言で濃いめの珈琲をすする。

 リゼは彼らの顔と好みをすべて記憶していた。

 砂糖の量、ミルクの温度、座る席の位置から、その日の体調に合わせた微細な味の調整まで。

 客から注文を聞く前に、最も彼らが欲している一杯をテーブルへと運ぶ。

 その洗練された接客術は、街の人々から魔法のようなおもてなしと称賛されていた。


「リゼちゃん、今日もいい香りだねえ」


 パン屋のおかみさんが、カウンター越しに目を細める。

 彼女の大きな手が、リゼの銀色の髪を優しくなでた。

 リゼは嫌がるそぶりも見せず、心地よさそうに目を閉じる。

 前世の暗殺者時代であれば、他人に背後を取られることすら許さなかった。

 ましてや頭をなでられるなど、即座に相手の手首をへし折っていただろう。

 だが今は違う。

 この温かな手のひらの感触が、リゼにとっては何よりも尊いものだった。


「いつもありがとうございます、マリアおばさん。いただいたパン、後で美味しくいただきますね」


「ああ、たくさんお食べ。子供はしっかり食べて大きくならないとね」


 おかみさんは豪快に笑う。

 常連客たちと世間話を始めた。

 店内には穏やかな笑い声と、カップとソーサーが触れ合うかすかな音が満ちている。

 リゼはトレイを片手に、テーブルの間を縫うように歩く。

 誰の邪魔にもならず、足音ひとつ立てず。

 暗殺術の歩法は、混雑した店内を移動するのに驚くほど適していた。

 熱い珈琲の入ったカップを複数持ち歩いても、表面の水面は微塵も揺れない。

 制御された重心移動が、澱みない給仕を実現している。


『平和だ。本当に、ここは平和で温かい』


 リゼは空になったカップを下げながら、店内の景色を見渡した。

 窓から差し込む陽だまりの中で、人々が笑顔で語り合っている。

 前世では決して見ることのできなかった光景。

 血と硝煙にまみれた過去を持つ自分には、もったいないほどの幸せな空間だった。

 この穏やかな日常こそが、今のリゼにとってのすべてだった。

 何に代えても守り抜くべき宝物だ。

 だが、窓枠の隅に目をやったリゼの視線が、ふと鋭く細められる。

 外壁の石の隙間に、一匹の黒い毒蜘蛛が這い上がってくるのが見えた。

 リゼは持っていた布巾を放り投げる。

 カウンターの下から短い千枚通しを引き抜いた。

 銀色の閃光が宙を走る。

 毒蜘蛛は壁に深々と縫い付けられ、身動きひとつしなくなった。

 その間、わずか一秒未満。

 息を乱すこともなく、足音ひとつ立てることもなく。

 リゼは壁に近づく。

 千枚通しを引き抜くと、汚れた壁を布巾で丁寧に拭き取った。


『害虫は、店に入る前に早めに駆除しないとな』


 リゼは誰に向けるでもなく静かにほほえむ。

 再びコーヒーミルへと手を伸ばした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ