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幻影の城  作者: 亜同瞬
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第四話 あじあ号

 翌朝、飛鳥は美鈴とともにヤマトホテルから車で出発し、大連駅に到着した。車を降りた飛鳥の目に映ったのはモダンで立派な駅舎だった。

「……上野駅に似てるな」

「大連駅は満鉄(南満州鉄道)が駅舎を設計する際に上野駅を参考にしたと言われてるんですよ」

「そうなんだ……」

「さあ、行きましょう。特急あじあを予約してます」

「ああ、知ってるよ。あの超特急に乗れるとは嬉しいね」


 プラットホームに入場すると、鮮やかな青色の未来的な流線型の美しいフォルムをした南満州鉄道が誇る高速豪華客車超特急あじあが止まっていた。最高時速は百三十キロで、当時の最新技術を駆使して設計され、列車はパシナ型蒸気機関車が先頭になり、その後ろに豪華な客車、食堂車、郵便車の七両編成となる。


 二人はあじあに乗り込み、二等客車の座席に座った。飛鳥は車内の温度が低い事に気づく。

「この客車、涼しいね」

「あじあには空調設備が付いていて、冷房が効いているんですよ」

「それはすごいな、快適な旅ができそうだ」

 汽笛が鳴り、新京行きの超特急あじあはゆっくりと走り出した。飛鳥は車窓に流れる大連の街の風景を眺めていた。

「この南満洲鉄道は日露戦争で日本が勝って、ロシアから譲り受けたんだよね?」

「ええ、日露戦争後に日本政府と民間の共同出資で設立されました。満鉄は鉄道運営にとどまらず、鉱山開発や農業、工業、商業など多岐にわたる経済活動を展開して、満洲の開発と経済成長の中心的役割を果たしているんです」

「それで満洲がこんなに発展しているんだな……」

 飛鳥は満州の発展に感心しながら、焼け野原と化した横浜の街並みを思い浮かべた。満州の発展にくらべたら、日本は戦禍で荒廃し続けている。

 ――日本の未来はどうなるのだろうか?

 飛鳥は暗澹たる思いにくれた。


 正午、飛鳥と美鈴は昼食をとるために食堂車へとやってきた。白いクロスのかかったテーブルが整然と並び、モダンで洗練された雰囲気が漂っていた。二人が席に腰を下ろすと、金髪で青い目の美しいロシア人のウェイトレスが優雅な動作でメニューを持ってきた。

「いらっしゃいませ」と流暢な日本語で話しかけてくる。

「ご注文が決まりましたら、お呼びください」

 そう言って微笑んで去っていった。

 飛鳥はウェイトレスを見送りながらつぶやく。

「外国のレストランに来たみたいだな」

「満州にはロシア人が結構いるんですよ」

 美鈴がメニューを飛鳥に渡す。

「好きなものを選んでください」

 飛鳥は興味深げにメニューを眺める。

「さて、何にしようか」


 メニュー

 ・スープ・・・二五銭

 ・ハムエッグス・・・四五銭

 ・ビーフカツレツ・・・四五銭

 ・ポークカツレツ・・・四五銭

 ・チキンカツレツ・・・四五銭

 ・チキンライス・・・四〇銭

 ・ハヤシライス・・・五〇銭

 ・ライスカレー・・・三〇銭

  ※現在の価値で一〇銭が約五〇〇円

「ライスカレーが三〇銭か……高いな。君に任せるよ」

 美鈴はロシア人のウェイトレスを呼んで料理を注文した。

 飛鳥は背広のポケットをまさぐる仕草をしている。

「何してるの?」と美鈴が不思議がる。

 飛鳥はズボンのポケットから硬貨を取り出した。

「一〇銭玉があったよ」

「昼食代には足りないわね」

 右手に持った硬貨が左手と交差した瞬間、右手のひらを開くと硬貨が消えていた。

「消えた!あなた、手品ができるのね」

「趣味でやっててね。お酒の席では受けるんだよ」

「へぇー、もっと見たいわ」

 美鈴は好奇心旺盛な表情で身体を乗り出す。

「いいよ」

 次々とコインマジックを美鈴に披露する。

 彼にとって手品は単なる娯楽ではなく、人間観察の一環でもあった。人は目の前のものを全て見ているようで実は見えていない。

 ――見たいものを見ているのだ。

 手品師は、巧みな手の動きや話術を駆使して、観客の視線を誘導することができる。手品の基本テクニックの一つ“ミスディレクション”である。

 これは観客の注意を意図的に逸らす技術で、手品の極意と言える。

 例えば、右手で大きな動きを見せて観客の注意を引きつけ、その間に左手で秘密の仕掛け(タネ)を用意する。この方法により、観客は目の前で起こった奇跡に、驚きと感動を味わうのである。


 ロシア人のウェイトレスが料理を運んできた。

「おー、ビーフカツレツか!」

「気に入ってもらえて嬉しいわ。召し上がれ」

 飛鳥はビーフカツレツに舌鼓を打った。

「お味はどうですか?」

「美味いよ。こんな贅沢な料理は日本ではなかなか食べれないよ」

「日本で探偵やってたと聞きましたけど、どんな事をやってるんですか?」

「人探しとか個人や企業の調査かな」

「殺人事件の推理をしたりしないんですか?」

「それは小説や映画の世界の話だね。実際はそんなドラマチックなものじゃないよ」

「あら、残念だわ」

 二人は食事をしながら、しばらく談笑していた。

 食事が終わると飛鳥は席を立つ。

「ちょっと用を足してくる」

 そう言って食堂車を出てトイレに向かった。


 飛鳥がトイレから出てくると男が立っていた。男は暗灰色のスーツにフェドラハットを目深に被った紳士の出で立ちをしている。

「飛鳥さんですね」

「そうですが、何か用ですか?」

「はじめまして三浦と申します。あなたとお話したいという方がいらっしゃいまして、ご同行いただけますか?」

「いえ、結構です。妻を待たせているので」

 飛鳥が立ち去ろうとすると三浦は拳銃を飛鳥の腹部に押し当てる。

「そう言わず、ご同行ください」

 飛鳥は手を上げてうなずく。

「ご案内します」

 飛鳥は仕方なく男に付いていくことにする。

 三浦は飛鳥を列車の最後尾へ連れていく。

 超特急あじあの最後尾は展望一等車となっており、大きな曲面ガラスをはめ込んだ窓により豪華な安楽イスやソファでくつろぎながら満州の景色を楽しめるサロンのような客室になっていた。

 一等車に入ると、背の高いボディガードが一人立っていて、奥の椅子に英国人の小太りの中年男性が座っている。

「ご紹介します。ネヴィル商会のベネディクト・ネヴィル社長です」

 ネヴィルは立ち上がって笑顔で手を差し出す。

「ハロー、ミスターアスカ」

 飛鳥はネヴィルと握手する。

「どうぞ、お座りください」

 三浦は飛鳥をソファに座らせる。

「我々ネヴィル商会は香港を拠点とする貿易会社です。茶、絹、綿、鉱物、鉄道事業、保険、銀行業務など多岐に渡る商売をやっております」

 ネヴィルはウィスキーのグラスをゆっくりと回しながら、飛鳥の反応を見つめている。

「設立は一八三二年で、もともとは茶と生糸の買い付けから始まったのですが、阿片貿易を通じて大きな利益を上げたことで、会社は大きく成長しました。日本でも幕末の時期に江戸幕府にアームストロング砲などの武器を売っていました」

「そうか、あんたらは武器商人だったのか」

 三浦は深くうなずいた。

「そうです、我々は武器も世界中に売ってます。そこで、あなたに相談があります」

 ネヴィルが三浦に耳打ちする。

「あなたが持っているマイクロフィルムを売ってください」

「中身を知ってるのか?」

「陸軍が開発している最新兵器という事まではわかってます」

 飛鳥はこの時に気づいた。

 ――こいつらが木村を殺したのか。

「いくらで買うつもりなんだ?」

 ネヴィル社長が三浦に耳打ちする。

「百万円(現在の一億円)でどうでしょうか?」

 飛鳥が深いため息をつく。

 その様子を見てネヴィルが三浦に合図する。

「それでは二百万円でどうですか?」

 飛鳥は肩をすくめて首を横に振る。

 ネヴィルが顔を真っ赤にして三浦に合図する。

「さ、三百万円では?」

 飛鳥はニッコリと微笑みながらうなずく。

 安堵の表情をする三浦とネヴィル。

「あんたらは、これが欲しいんだろ」

 飛鳥がポケットからアルミ缶を取り出す。

「三百万円は用意できてるのか?」

 ネヴィルが三浦に耳打ちする。

「小切手でお渡しします」

「まあ、いいだろう」

 飛鳥が三浦にアルミ缶を渡す。

 三浦が興奮気味にアルミ缶をネヴィルに渡す。

 ネヴィルが英語で感謝の言葉を喋りながらアルミ缶を眺めている。

「社長は中身を確かめてから小切手を切るそうです」と三浦が通訳する。

「了解!」

 飛鳥はポケットから丸いサングラスを取り出してかける。

 ネヴィル社長が蓋を開ける。

 その瞬間、アルミ缶の中から白い閃光が放たれた。

「オーマイガッ!」

 ネヴィル社長があまりの眩しさに目を瞑って悲鳴を上げる。

 三浦やボディガードも眩しさに手で目を覆った。

 アルミ缶に仕込んだマグネシウム、硝酸ナトリウムなどを混ぜた閃光粉フラッシュパウダーが発光したものだった。

 飛鳥は立ち上がって、目を瞑っているボディガードを押し倒して走って一等車を出た。見張りの英国人がこちらに向かってくると、彼は走った勢いで飛び蹴りを食らわせ倒して逃げる。


 走って食堂車へ戻り、コーヒーを飲んでいる美鈴の所へ辿り着く。

「あら、息を切らしてどうしたの?」

「行くぞ!」

 美鈴の腕を掴んで席を立たせる。

「何をそんなに急いでるの?」

 飛鳥は美鈴の手を引きながら後ろを見ている。

「次の駅までどれくらいかかる?」

「あと三十分くらいかしら」

 ボディガード二人が食堂車へ入ってくると、すかさずドアを開けて食堂車を出る。

「途中下車するぞ」

「えっ?」

 呆気にとられる美鈴。

 車窓を一瞥する飛鳥。

 列車は川に差し掛かり鉄橋を渡っていた。

 飛鳥は乗降口のドアを開ける。

「今だ、飛び降りろ!」

 美鈴は驚愕の表情を浮かべた。

「え、いやよ。私泳げないの」

「溺れるのと殺されるのどっちがいいんだ?」

 究極の二択に困惑する美鈴。

「どっちもいや!」

 そう言い終わるや、飛鳥は美鈴の手を引っ張って列車から飛び降りた。

「きゃあああ!」

 美鈴は落下しながら絶叫する。

 列車のスピードと風の勢いで、二人の体は宙に舞い、やがて川の水面に向かって急降下していった。

 その様子を走る列車の乗降口から二人のボディガードが悔しそうに見ている。


 二人の体が川の水に突入した瞬間、激しい衝撃が体を貫いた。

 水の中で激しくもがく美鈴の身体に飛鳥が腕をかけて水面まで持ち上げていく。

 水面に顔を出した美鈴はパニック状態になっている。

「助けてー!」

 美鈴が水中で手足をバタバタさせている。

「落ち着け」

 飛鳥は美鈴の身体を抱えたまま横泳ぎで川辺に向かって泳いでいく。

 あじあ号は汽笛を鳴らしながら鉄橋を通り過ぎ、走り去っていった。


 二人はようやく川辺に辿り着いた。

「大丈夫か?」

 美鈴は地面に座り込んで水浸しになった身なりを整えていた。

「ええ、なんとか・・・死ぬかと思ったわ」

「銃弾で死ぬよりましだろ?」

 深いため息をつき、うなずく美鈴。

「機嫌を直してくれ」

 飛鳥が手を差し出して美鈴を立たせる。

「ここから近い街は?」

「奉天よ」

「じゃあ歩いていくか」

 飛鳥と美鈴は奉天へ向けて歩き出した。


 つづく

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