第二話 羽田
地面に着地した飛鳥は、バランスを失って転倒してしまった。
「痛てて・・・」と呻き声を上げながら、ヨロヨロと立ち上がる。
その時、車が勢いよく走り込んできて、ヘッドライトが飛鳥を強く照らした。
車の運転手の声が響く。
「乗れ!」
飛鳥はその声に導かれるように車へと駆け寄り、後部ドアを開け飛び乗った。
車のエンジンが唸りを上げ、タイヤがスリップする音と共に勢いよく発進した。
黒い帽子の男が二階の窓へ駆け寄ると、車は猛スピードで走り去っていった。
車の後部の窓から遠ざかる事務所の入ったビルを眺める。
「助けてもらって何だか、あんたは誰だ?」
運転席の五分刈り頭で厳つい顔の男は振り向きもせず答える。
「特務機関の遠藤だ」
特務機関とは日本軍の諜報活動をする組織のことである。
「木村がおまえに託したのは軍事機密にあたるものだ」
「木村を知っているのか?」
「ああ、相棒だった」
遠藤が憂いを帯びた表情になる。
飛鳥は木村から受け取ったアルミ缶を背広のポケットから取り出し、蓋を開けてみると、中にはマイクロフィルムが入っていた。
「マイクロフィルム?」
「奴らは、そのマイクロフィルムを狙っている」
「そんな重要なものを頼まれても困るな。俺はしがない探偵なんだ」
「もう遅いんだよ、やつらはすでに、おまえを標的にしているんだ」
「そんな、無茶言うなよ……」
遠藤が封筒を後部座席に放り投げる。
封筒の中身を見ると紙幣の札束がぎっしり入っていた。
「当座の費用だ」
「まだ引き受けるとは言ってないぜ」
「諦めが悪いな」
すると銃声とともに後部の窓ガラスが割れる。
飛鳥が後部の割れた窓から覗くと後ろから車が追いかけてくる。
「追ってきたのか!しつこいな」
遠藤が後部座席に二十六年式拳銃を放り投げる。
「運転で忙しいから、代わりに撃ってくれ」
「俺が?」
「銃くらい撃てるだろう」
仕方なく拳銃を手に取り、後部の窓から車を狙おうとすると、何発も銃弾が飛んでくる。
「くそっ!」
遠藤は車を蛇行させ銃撃をかわそうとする。
車体が左右に振れると、飛鳥の身体も揺さぶられて銃で狙うこともできない。
「これじゃ、まともに狙えない。まっすぐ走ってくれ」
「わかった!」
車の揺れが収まると飛鳥は横の窓から身を乗り出して狙いを定め、後ろの車の前輪タイヤに向かって撃つ。
銃弾がタイヤに当たって、パンクした車がコントロールを失い道路から飛び出して川に突っ込んでいった。
「お見事!」と遠藤が嬉々としてハンドルを叩く。
「まぐれだよ」
そう言いながら拳銃を背広のポケットに入れた。
飛鳥を乗せた車は京浜国道(現在の第一京浜)を北上し、羽田空港へ到着。そのまま滑走路へ入り、車のヘッドライトが照らす先に、陸軍が用意した一〇〇式輸送機が姿を現した。
車が輸送機の前で止まると、遠藤は後部座席を振り返り、飛鳥に向かって言った。
「あれに乗るんだ。大連の空港まで運ぶ。あちらで連絡員が待っているから、指示にに従えばいい」
「わかった……」
飛鳥は遠藤に向かって右手を差し出した。
「助けてくれてありがとう」
遠藤は一瞬、戸惑いの表情を見せたが、しっかりと握手した。
「よろしく頼む」
飛鳥は車のドアを開け、輸送機へ向かった。。
彼の前に巨大な輸送機がエンジンをかけて、出発の準備をしていた。
タラップを上がって行き、ふと振り返ると、遠藤が車から降りて彼を見送っているのが見えた。飛鳥は帽子の鍔に手を当て、会釈した。
機内に乗り込むと、タラップが外され、輸送機のプロペラが勢いよく回り始めた。
エンジンの轟音が滑走路全体に響き渡り、振動が床を伝って足元に感じられる。
飛鳥は乗組員に誘導され座席に腰を下ろした。
硬いシートは乗り心地が悪く、エンジンの振動が直接身体に伝わってくる。
輸送機はゆっくりと滑走路を進み始めた。
窓の外を眺めながら、心の中で木村の死を悼んだ。
「木村、お前の死は無駄にはしない……」
輸送機は次第にスピードを上げていった。
機体が地面から離れ、浮かび上がる感覚が身体に伝わってくる。
夜空に飛び去っていく輸送機に向かって、遠藤は手を振って見送っていた。
つづく