第十三話 暗号
昭和十七年 十一月
夜に飛鳥と木村が校長室へ呼ばれた。
草野校長は煙草を吸いながら、二人を待っていた。
「ご苦労、夜分に呼び出してすまんな」
草野校長はデスクの上に広げられた書類に目を通しながら話し始めた。
「五相会議(内閣総理大臣を含む五閣僚によって開催される会議)の情報が英国に漏れているとの報告があった。どうやら暗号通信で情報を発信しているようなのだ」
「閣内にスパイがいるのでしょうか?」と飛鳥が質問する。
「調査はしているのだが、未だわからんのだ」
草野校長は眉をひそめながら続けた。
「しかし、駐日英国大使館に暗号コードがあることがわかった。そこでだ、君たちに駐日英国大使館に侵入して金庫から暗号コードをカメラで撮影してきて欲しいのだ」
飛鳥と木村はお互いに目を合わせた。
「難しいことは百も承知だ」
草野校長は真剣な表情で二人に向き直った。
「相手に盗まれたと悟られないように情報を盗み出す。困難な作戦だが、やってくれるな?」
「はい!」
飛鳥と木村は力強く答えた。
「君らはこの中野学校で優秀な成績を収めている。それを見込んでの依頼だ。今まで学んできた成果を、この作戦で活かしてほしい」
二人は初めての実戦に胸の高鳴りを感じていた。
「この任務は国家の未来を左右する重要なものだ。成功を祈る」
今まで中野学校で仕込まれた技術を発揮できるチャンスに飛鳥は興奮を抑えきれないようだった。
飛鳥と木村は、宿舎の一室で駐日英国大使館への潜入作戦の詳細な計画を練っていた。
「暗号コードの入った金庫は大使の執務室だな」
机の上に英国大使館の地図を広げて侵入経路の検討をする。
「暗号コードの入った金庫の鍵は英国大使と無線技士が持っているそうだ」
木村は事前に情報収集をしていた。
「ほう、無線技士の事を詳しく聞かせてくれ」
「無線技士の名前はジェームズ・トンプソン。二十七歳で独身。酒と博打が大好きで、プールバーに入り浸っているようだ」
「面白い、そいつを引っかけてやろう」
飛鳥と木村は目を合わせてほくそ笑んだ。
飛鳥は駐日英国大使館の無線技士が通うというプールバーに足を運んだ。
店内は派手な照明で外国人が多く集まっており、ビリヤード台の周りには楽しそうにゲームを楽しむ人々で賑わっていた。
飛鳥はカウンターに座り、一杯の酒を注文した。
バーテンダーが手際よくグラスにカクテルを注いで、差し出す。
飛鳥はグラスを手に取りながら、店内を見渡した。
ウェイターに変装した木村が近づいてきた。
「あそこにいるのがジェームズ・トンプソンだ」
木村が指さす方を見ると、背の高い金髪の男がいた。
「あいつか……」
彼がビリヤード台に立つのを見計らい、飛鳥はそっと近づいていった。
「一緒にゲームどうですか?」
飛鳥が笑顔で声をかけると、ジェームズは快く応じた。
「いいですよ、やりましょう」
二人はナインボールを始めた。
ジェームズがブレイクショットを決める。
手球がひし形に並べられた的球に当たりテーブルの上を九個の球が散り散り広がり、三番ボールをポケットに沈めた。
「ナイスショット!」
飛鳥が手を叩く。
ジェームズは得意顔でキューにチョークを塗っている。
「さすが、上手いですね。ビリヤードはよくやるんですか?」
飛鳥が尋ねると、ジェームズはうなずいて答えた。
「ええ、仕事の後によく来るんですよ。リラックスするのにちょうどいいんです」
「お仕事は何をやってらっしゃるんですか?」
「駐日英国大使館で働いてます」
「そうですか、お仕事はお忙しいんでしょうね」
「ええ、忙しいですが、やりがいはありますよ」
飛鳥の番が回ってきて、七番ボールをポケットに沈めた。
「ナイスショット」とジェームズが褒める。
「まぐれです」
飛鳥は笑いながら次のショットをわざとミスしてみせた。
「あー、失敗した」
「惜しかったですね」
悔しがる飛鳥を見てジェームズがほくそ笑む。
ジェームズは正確なショットで九番ボールをポケットに沈めた。
「ジェームズさん、お強いですね。まいりました」
「あなたの方こそ、いい腕してますよ」
「また一緒にゲームしてくれますか?」
「いいですよ。いつでも受けて立ちます」
ゲームが終わると、二人はバーのカウンターへ向かった。
「おっと!」
飛鳥は転ぶふりをしてジェームズに寄りかかり、ポケットから鍵を盗み取る。
そこへウェイターの木村が近づき、飛鳥がトレイに鍵を乗せるとトーションを被せて歩き去った。
「大丈夫ですか?」
ジェームズが体勢を崩した飛鳥を気遣った。
「ありがとうございます」
飛鳥がジェームズの肩に手をかけ立ち上がる。
「ちょっと酔っぱらったみたいですね」
飛鳥は話題を変え、駐日英国大使について尋ねた。
「駐日英国大使というのは、どんなお仕事をされているのですか?」
ジェームズが気軽に答える。
「大使は色々な会合に出席されてますよ。三日後にはクリスマスパーティに参加予定です」
「そうか、もうすぐクリスマスですものね」
ウェイターの木村が近寄ってきてジェームズに鍵を渡す。
「これはお客様の鍵ですか?落し物です」
「おお、ありがとう」とジェームズがお礼する。
木村が飛鳥に目で合図する。
彼は盗んだ鍵を粘土で型をとった後、ジェームズに返したのだ。
飛鳥は微笑みながらウィスキーを一口飲んだ。
潜入日は“十二月二十五日”に決まった。
飛鳥と木村は潜入作戦に使用する装備を受け取るため、登戸研究所へと足を運んだ。
実験室のドアをノックすると、角田が出迎えた。
「よく来てくれました、こちらへどうぞ」
部屋の中央にはテーブルがあり、その上にはいくつかの装備品が並べられていた。
「こちらがご注文いただいた発明品です」
角田はテーブルの上に並べられた装備品を指し示した。
飛鳥と木村は興味深そうに発明品を眺めている。
角田はテーブルの上のマッチ箱くらいの大きさの装置を手に取って説明を始めた。
「これは『小型携帯カメラ』です。胸ポケットに入れられるので持ち運びが便利です」
「いいですね、これ」
飛鳥はそのコンパクトさとデザインが気に入った。
角田は次に万年筆を手に取る。
「こちらは『毒針万年筆』です」
万年筆の蓋を取って、ペンの先端を水の入ったコップに近づけた。
「一見ただの万年筆ですが、ペンの先端に毒針が仕込んであります」
親指で万年筆の尾栓部分を押すと紫色の毒がペンの先端から噴き出す。
「相手の首や手足に一突きすれば、即座に呼吸停止や心臓麻痺を起こす毒薬を流し込むことができます」
角田が飛鳥に万年筆を手渡す。
「それと最後にこれをお渡ししておきます」
角田はケースを開いて白色のカプセルを取り出した。
「これは自死用のカプセルです。もし、敵に捕まった場合に使用してください」
角田は飛鳥と木村にカプセルを一個ずつ渡す。
「これを飲むと体内に速やかに吸収され、細胞の呼吸を阻害し、窒息死を引き起こします。苦痛は少なく、速効性があります」
飛鳥と木村はカプセルを見つめながら沈黙した。
「まっ、使わずにすむに越したことはないですけどね……」
角田は笑って、重苦しい雰囲気を和らげようとしたが、二人には効果がないようだった。
飛鳥と木村は装備をバッグに入れて、角田にお礼を言った。
「ありがとうございました」
二人が部屋を出ようとすると、角田は敬礼した。
「作戦の成功を祈っています。どうかご無事で」
つづく




