第8話『響の涙』
舞台袖の空気は、冷たく張り詰めていた。
「前のチームが終わりました。次、お願いします!」
スタッフの声に、鼓太、響、桑原の三人が深く息を吐いた。
スポットライトがステージ中央を照らす。
「行くか」
「……うん」
昨日、響は確かにステージで崩れた。だが今、彼女の目には恐怖ではなく、芯のある光が宿っていた。
足には、鼓太が削った新しい下駄。重さもバランスも完璧。響の踊りに、ぴたりと応える相棒。
「チーム“響鼓”、パフォーマンス、開始!」
拍手が起こる。照明が落ち、太鼓の一打が空間を裂いた。
ドンッ!
桑原の和太鼓が、低くうねるように響く。その音に重なるように、響の下駄が舞台を蹴った。
カッ、コッ、カカッ!
高く、鋭く、リズムが空間に飛び交う。
鼓太の下駄も応じるように鳴き、ふたりの足音が絡み合う。
まるで三味線と尺八。あるいはラップとドラム。
伝統と革新が、今ここで呼吸を合わせる。
響は、踊っていた。
怖くなかった。
観客の視線が刺さっても、足が止まらなかった。
(支えてくれてる。あの音が、背中を押してくれる)
視界の隅で、鼓太が目を合わせてくる。
ほんの一瞬だけ笑った。
それだけで、全身のこわばりが溶けた。
跳ねる、回る、タップする――
そして地を這うようなブレイクの低姿勢にも、下駄は応えてくれる。
コンクリート製の舞台でも、響のリズムは曇らなかった。
音が、光になって、客席を照らす。
太鼓と下駄、そして響の身体がひとつの楽器になった。
終盤、鼓太が前に出る。
トン、トン、カカカ、トン――!
鼓太の足音が、ソロでステージを支配する。
下駄の歯で刻む16ビート。クラップと歓声が、自然に湧き上がる。
その後ろで、響は静かに回転を始める。
ブレイキンの“ウィンドミル”の変形技――下駄を履いたままのターン。
本来なら不可能なバランス。
だが響は、それをやってのけた。
「うおおおおっ!」
観客から、思わず歓声が漏れる。
最後は、ふたりで向き合い、一拍の沈黙。
そして同時に――
バンッ!
足を強く踏み鳴らして、終わった。
完全に息が合ったラストビート。静寂のあと、爆発するような拍手が響いた。
ステージ裏へ戻った瞬間、響は思わずその場に崩れ落ちた。
「っは、は……!」
肩を震わせ、目を覆う。
桑原が焦って駆け寄る。
「お、おい響!大丈夫か!?」
だが鼓太は笑ったまま、静かにしゃがみ込んだ。
「泣いてるだけだよ、こいつ」
「……!」
響の目から、大粒の涙がこぼれていた。悔しさでも、恐怖でもない。
「……立てた。ちゃんと立てたよ、あたし……」
嗚咽混じりの声。
「また怖くなるかもって思った。でも、鼓太の音が後ろにあったから、止まらずに踊れた」
「俺だって同じだよ。響がいなきゃ、俺の下駄はただの木だ」
桑原がふたりを見下ろしながら、ふっと笑った。
「やるじゃん、下駄ダンサーズ」
その言葉に、響が泣き笑いながら答える。
「下駄ダンサーズって何よ、それ」
「仮だよ、仮。でも、なんか良いじゃん。響く足音って意味で、“響鼓”。悪くない」
舞台の外はまだ騒がしい。
でも、彼らの音は、もう確かに届いていた。
未来に向けて、鳴りはじめていた。