第2話『足音の秘密』
講堂の床が、リズムの余韻をまだ抱いていた。
「……すっごいわ。ほんとに、生きてるみたい」
神崎響は、ぺたりと床に座り込んだ。額の汗を手の甲で拭いながら、目を輝かせる。
隣には、下駄を脱いだ荒瀬鼓太。彼は腕を組んだまま、黙っていた。
「鼓太くん、さっきの音……聴いてたよね?」
「まあな」
「この下駄、叩いたり滑らせたりする角度で、音が全然違う。リムショット、ヒール、スライド、クラップ……まるでドラムセットみたい」
鼓太は「はあ」とため息をひとつ。けれど、否定しない。
「木の質、歯の削り方、鼻緒の締め具合で、鳴り方は変わる。うちの下駄は全部、音までも計算して作っとるけん」
「……だよね」
響は、まるで確信していたようにうなずいた。
「でも、道具だけじゃ足りない。さっき、講堂に入ってきたときの鼓太くんの足音。……あれが一番すごかった」
「……足音?」
「うん。迷いながら踏み出した一歩。コッっていう、あの柔らかい音。あれ、機械じゃ絶対出せない。人の音。あれが欲しいの」
鼓太は口を開きかけて、閉じた。
「ただ歩いてただけ」――そう言いかけてやめた。
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数日後。日田市内の河川敷。
「おーい、こったー!」
姿を現したのは、響に誘われてしぶしぶ来た鼓太。
彼女はその前で、またもや下駄を履いて立っていた。
「なんで、こんなとこで……」
「床が違うと、音も違うから! アスファルト、土、板、全部試すの。今日は“足音の研究”よ」
響はリズムマシンをセットし、ビートに合わせてステップを始めた。
カン、パシ、ズズ、タッ、コーン……
さまざまな踏み方で、下駄の音を操る。歯が地面を噛み、鳴き、踊る。
鼓太はそれを無言で見つめていたが、やがて響に呼ばれる。
「ちょっと、そこ歩いてみて!」
「……は?」
「普通でいいから、歩いてみて。私が音、合わせるから!」
鼓太は渋々一歩、土を踏む。
ズ……コッ、カサ……コッ
次の瞬間、響の足音が重なった。
ズ……パッ、コカン……トン!
一瞬、音が合った。
足音が追いかけて、寄り添って、響いた。
鼓太は思わず立ち止まった。
「……今の、なんやったん?」
「即興セッション。君の足音が先。私が、後」
「……俺、ただ歩いただけやぞ」
「それが音になるのよ。鼓太くんの足音は、“生きてるビート”なんだから」
響は真顔でそう言った。
その目には、迷いがない。
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その夜、鼓太は祖父の工房で、昔作りかけていた“未完成の一足”を取り出していた。
歯が二重になっている特殊な構造。叩いたときに二重の響きが重なるように設計してある。
「鳴るための下駄」――祖父が試作していたものだ。
「……今なら、仕上げられるかもしれん」
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翌日。響が講堂に入ると、舞台の上に鼓太が立っていた。手には、完成したばかりの特製下駄。
「これ、履いてみろ」
「え……!?」
「二重歯。踏んだら“余韻”が出る。お前のブレイクに合うはずや」
響は驚きながらも、下駄を受け取り、履く。
足を鳴らす。
コーン……カン……タッ!
その音は、木琴のように深く、重なり、伸びた。
まるで、舞台そのものが震えているようだった。
「……これ、踊れる!」
響の顔が、歓喜で輝いた。
鼓太は照れ隠しのように、そっぽを向いて言った。
「お前のためやない。音のためや」
「ふふ。じゃあその音、もっと育てよっか、相棒」
鼓太は、もう否定しなかった。