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第1話『下駄屋の息子と転校生』

大分県日田駅前の商店街。夏の風に、カランコロンと心地よい音が混じっていた。

その音を辿って、少女――神崎響は足を止める。


「……なに、この店」


木の香りが濃く漂う小さな下駄屋。棚には、鼻緒の色も材の艶も異なる下駄が丁寧に並べられている。

その中に、彼女の目を奪った一足があった。黒く塗られた土台に、藤色の鼻緒。すっとした形で、まるで楽器のような静けさと品を持っていた。


響はそっと手に取り、裏を見た。

焼き印には、**「荒瀬下駄店」**とある。


「……この音、絶対、鳴る」


直感だった。響はその下駄を購入すると、旅館の大広間を借り、さっそく床に並んだ。


素足で履く。軽く膝を沈め、リズムを刻むように、かかとで床を叩く。


コーン……コ、タッ、パーン!


音が、跳ねた。

空気が震える。鼓膜の奥にまで、振動が伝わってくる。


「うっそ……やば。何この響き……!」


タップシューズより木の音が柔らかく、それでいて芯が強い。跳ね返りに“余韻”がある。

彼女のステップが加速する。右、左、回転。下駄の歯が床を削り、まるで太鼓と鈴が一緒になって鳴っているようだ。


ズズ、パシン、コーン、トン!


全身が、音になる。

この一足があれば――世界を踊れる気がした。


翌日、神崎響は転校生として日田高校にやってきた。


「東京から来ました、神崎響です。……趣味は、ダンスと、下駄」


その一言で、教室がざわついた。


「下駄……?」

「ダンス……?」

「変わってんな……」


ただ一人、最後列で頬杖をついていた少年が、彼女の言葉にわずかに反応した。


その名は――荒瀬鼓太。

駅前の下駄屋の、三代目見習い。


放課後。

響は迷いなく鼓太に声をかけた。


「ねえ、君って荒瀬下駄店の人でしょ? 私、昨日そこの下駄、買った」


「……ああ。うちのやつやな。藤色の鼻緒の?」


「それ! あれで踊ったら、音が生きてた。跳ねて、呼吸して……最高だった」


鼓太は驚いた顔をした。

下駄は“歩く”ためのもので、“踊る”ための道具じゃない。そう教わってきた。でも、この目の前の少女は本気だ。


「お願い。今日、講堂でちょっとだけ時間くれない? 見せたいものがある」


夕方の講堂。

夕陽が差し込む舞台の上で、神崎響は静かに下駄を履いた。

携帯スピーカーから流れてくるのは、和楽器とビートが混ざったオリジナルトラック。


彼女が一歩踏み出すと、音が響いた。


コーン、トン、パチ……ズズ、クルッ、タッ!


ステップはしなやかに、時に激しく。

タップの細かさと、ブレイクの迫力が下駄の音に乗って舞い踊る。木の歯が床を打ち、鳴り、擦れ、転がる。

まるで、踊りと楽器が一体になったようだった。


鼓太は、言葉を失って見つめていた。


音が止まった。

響は額の汗をぬぐい、振り返って微笑んだ。


「ね、すごいでしょ? でも、もっと良くなると思うんだ」


「……もっと?」


「君の足音を、加えたい。歩き方で分かった。君、リズム持ってる」


鼓太は戸惑った。


「俺は、ただの下駄屋の……」


「その“ただの”が、一番欲しい音だった」


響の瞳は真剣だった。軽い言葉じゃない。音でつながろうとしている。


「一緒に踊ろ? 下駄で、ダンス甲子園、目指すの」


「……バカやな、お前」


「でしょ? でも、たぶん楽しいよ」


その夜、鼓太は久しぶりに工房で下駄を履いてみた。

静かな夜の畳の上で、一歩踏み出す。


コーン……


まるで、呼びかけられた気がした。


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