*2*アルガス、初めてダンジョンの外に出るってさ
*2*
数百年の歴史を誇る古参のダンジョン、<ネクロゴンドの迷宮>の第一階層の床から突如として円柱の光が奔るかと思えば、その中心からボロボロの姿で青年が飛び出して天井にぶち当たると地面へとバウンドする。
(誰だ!)
(冒険者か?)
(違う人間共の匂いじゃないぞ)
(あ!アルガス様だ!)
(アルガス様だと?)
(アルガス様!)
そのフロアに詰めていた有象無象の骸骨の怪物。スケルトン達が一斉に地面に転がるアルガスに群がる。
襲われているのではない、心配されているのだ。
「ああ~…さては、妹のミルウーダ様の蹴りでワープさせられたんでゲスね? 相変わらずあのお嬢ちゃんはヤンチャだネェ」
そこへガチャガチャカタカタとごった返すスケルトン達を引き剥がしながら一人の男が慣れた様子でやって来る。
「坊ちゃん。御無事でゲスか?」
「……おう、ディル。久し振りだな」
アルガスがその男に手を引かれて助け起こされる。
「まあ、僕達ネクロゴンドは妹以外は無敵型だからな。無駄に頑丈なのさ。ただ、ダンジョンだけという条件が難物なんだがな」
「いやあ~しかしアッシも驚いたでゲス。急にミルウーダ様に呼び留められたかと思えば…坊ちゃんを外に出すなんて仰るんでゲスから」
「ん~…僕だってそうなんだぜ? なんで急にこんなこと…」
アルガスもそう呻きながら頭を掻いた。
「僕は役立たずだからな。この栄えあるネクロゴンドの迷宮には不必要なんだろうぜ」
「……本当にそんなことを当主様が仰ったんで?」
「…………」
アルガスは答えずに首をコキコキと鳴らして誤魔化した。
アルガスとしても普段から可愛がっていた妹であるミルウーダからの進言だったとは自分の口から言いたくなかったのだ。
アルガスは少し寂しそうな顔で地上へと続く通路を見やった。
「とにかく言われた通りに此処を出るとするよ。達者でな、ディル」
「坊ちゃん…」
アルガスが肩を叩いた相手こそアルガスの世話人であるディリータだった。彼はブラックゴブリンというモンスターである。ただ、浅黒い肌を持つだけで他のゴブリン種よりも数段強い上に下級魔法まで使えた。
だが、それ故に他のゴブリン種との軋轢が大きくその絶対数は少なかった。
そんな彼には同じく魔人なのに“角無し”だったアルガスとは妙に馬が合った。
こうしてこのダンジョンで共に三十年を過ごしてきた間柄なのだ。
「坊ちゃん、アッシも一緒にお供させて頂くでゲス」
「ディル? いいのか、お前は僕と違って家族がいるだろう。この前も孫が生まれたって自慢してたろ」
「いいんでゲス。アッシも坊ちゃんと同じく三十を超えやした。生きて五十年のゴブリンじゃあもうジジイでゲスよ。そろそろ一線から引く潮時だと思っていやしたし、息子も娘も皆自立して…長い間、このネクロゴンドで雇って貰って良い暮らしをさせて貰ったでゲス。これも坊ちゃんだけでなく、当主様へのせめてもの恩返しとなりやしょう」
「ありがとう。じゃあ、改めて頼むぞ!ディル!」
男二人の熱い握手に周囲のスケルトン達からもカチカチと打撃音だけの拍手が送られた。
※
「ぎゃあああああああああ!? 目がああああああああああ!?」
「あ~…坊ちゃん!急に陽の光の下に飛び出すからでゲスよ…」
歴史ある<ネクロゴンドの迷宮>の前で奇声を発しながら転げ回って悶絶する男。
そして、それをやるせない顔で見る壮年の黒ゴブリンの姿があった。
(アルガス様の悲鳴だ!)
(どうしたどうした)
(敵襲か!)
(武器を取れ!)
(下の階層からもっと強いアンデッドを連れてこい!)
そして出入り口外までひしめき合うスケルトン他大勢。
襲おうとしているのではない。心配しているのだ。
「大丈夫だお前らは心配すんな。直ぐに地上の光に慣れてくるはずでゲス。っそれよりもお前ら!早く持ち場に戻らねえか!うっかり人間共に見られて“スタンピードが発生した”なんて報告されたら大事でゲス!?」
疲れた表情でディリータがモンスター達をダンジョンへと押し込んでいた。
余談だが、それを遠目で見ていた初心の冒険者が慌てて逃げ帰って最寄りの人間族の街のギルドに報告したのは…また別の話である。
※
「あ~…マジで死ぬかと思った」
「坊ちゃん、地上神の光で死ぬなんざ三下吸血鬼か岩トロールくらいでゲスよ」
それから小一時間後。相変わらずアルガスとディリータはダンジョン前に居座っていた。
「無茶言うなよ、ディル。自慢じゃあねえが一切合切戦闘能力の欠片も無い僕がこんな機会でもなきゃこうして地上になんて出張ることなんてあるわけないじゃんか。恐ろしい!……それに、僕はお前や他の出来の良い兄弟姉妹と違って魔法の一つも使えないんだ」
「それは…そうでゲスが」
威張れることではないが、実際にアルガスは生まれながらにして魔人の由縁たる角を持っていない。角は魔力を生み出し、かつ貯める魔力タンクでもある。それを持たないアルガスは地上の一般人間同然だった。更に追い打ちを掛けるが如く、アルガスの家系はダンジョン内では異様に防御力だけが高まる無敵タイプ。だが、それはダンジョン内限定である。よって、迷宮を訪れた簒奪者の手によって地上へと引き摺り出されてしまえば無力であった。正に、まな板の上のダンジョンマスターであると言えるだろう。
「で、坊ちゃん。今後はどう動くおつもりでゲスか?」
「う~んそうだな…取り敢えず三日…」
「……(ジトぉ~)」
「うっ!…い、いや三週間くらいこの機会に地上で僕は色々と学ぶ!」
「それで、どうなさるんで?」
「三週間経ったら……帰ってきて土下座して家に入れて貰う」
思わずその場でディリータがコケそうになる。
「坊ちゃん!それでもネクロゴンドの末裔でゲスか!?」
「ええええ~?だってぇ~…」
「せめて新しいダンジョンの一つでも開拓するくらいの勢いでいくでゲス!」
「ダンジョン? 無理だよぉ~。だって、僕は本当に“どこでも完璧に寝れる”しか取り柄ないんだぜ? そりゃあ寝てる間は無敵状態でいられるけどさ…それでどうやってダンジョン興せっての?」
アルガスは「それに…」と呟いてから右手で空を握る。するとそこに一瞬でシャベルが一本現れる。
因みにこれは魔法のようで魔法でない。ダンジョンマスターの能力を持つものが持つダンジョンツールの一種なのだ。取り出しは自由だが、その性能は使い手のレベルに比例するし、改良も要必須な代物だ。
「見てみ? 僕はダンジョンに手出しなんかしたことないから最低限、穴を掘ることしか能力が無いこの形態だ。勿論、特別な力は付与されてなんかない」
「それでもダンジョン造りはできるでやしょ? あ。そういや、坊ちゃん。何年か前に…海が見たいとかって言ってませんでしたっけ?」
「おおっ!? そうだった!」
アルガスが年甲斐も無くはしゃぎ出した。
「海ってあの…アレだろ!塩が溶けたデカイ水溜まりだろ? 僕としたことが実にうっかりだ。本で読んだことはあるが…一度この目で見てみたいと思ってたんだ。迷宮じゃあ毒沼か酸のプールくらいしかないしなぁ~…よし!そうと決まれば海に行こうか!ディル、どんだけ掛かる? 2時間くらいか?」
「遠足でゲスか!? …はあ。そうでゲスなぁ…まあ、歩いて行けば丁度三週間ってとこでゲス」
「げっ!? そんなに遠いのか…」
アルガスは打ちひしがれた。
「そこまでですかい…。真水でよければ近場の水没系ダンジョンに行けば間に合うと思うでゲスが。それでも歩いて一週間くらい掛かるかもで…」
「そんな場所行ったらビショビショになっちゃうだろ。僕は別に泳ぎたい訳じゃないんだ。てか、泳げない」
アルガスはまるで子供の如くむくれた。見た目は結構いい歳した男なので意見が分かれるとこである。
「坊ちゃん。いっそのこと海まで一つ、遠出してみるってのはどうでゲスか?」
「海まで行くの?」
「どうせ半端に戻っても御家の方々の怒りを買うだけでゲス。なら海まで遊学されて、三ヶ月ほどを予定したほうが良いかと愚考するでゲス。それに…海の近くにはアッシの子供の勤めているダンジョンもありやす。……ついでに目ぼしい空きダンジョンの物件でも紹介して貰えば良いでゲス」
「おお!そんな手が…海も見れて家に帰れる実績もできるかもしれん。一石二鳥だな!」
二人は互いに悪友染みた笑いを浮かべる。
「坊ちゃん。そう言えば此度の遠征に持って行くお荷物などは?」
「あ…そういや。父上の居る最下層からミルに転移攻撃で飛ばされてきちまったから、何も持ってない…って、んん?」
アルガスが懐をまさぐると、何やら自身には記憶にない代物を見つける。
「何だろコレ? 魔法を封じた巻物? なんでこんなもの…妹に蹴られた時に懐に入れられたのかな」
「ははぁん。流石は坊ちゃんの妹君でゲスね。恐らく…その感じからしてテレポートの巻物でゲス。コレがあれば何かあってもネクロゴンドへ戻ってこられやすよ?」
「アイツ……フフッ。素直じゃない奴だな。それにしても流石はディル。アイテムには詳しいな」
余り普段からマジックアイテムの類を手にする機会が無いアルガスが興味を惹かれてスクロールを紐解いて中身を見る。
「あっ」
「おお~…コレがスクロールか!確かに魔文字でネクロゴンドって書いてある…って、ディル。どうした?」
「坊ちゃん!いけません!? 早くそれを捨てて…」
「なっ!何の光ィいぃぃぃぃ!?」
だがその声を遮るようにして古い旧時代のパピルスを使用した巻物から爆発的に飛び出した閃光に二人は包まれてしまうのだった。