1、戸惑い
高校生の時に作ったプロットで社会人になってから一度書き上げました。『空の時間』というタイトルでした。
今回、一二三書房さんのコンテストに参加させていただくため、大幅に改稿しました。何年ぶりかわからないほどに時が経ってます。
かなりとっつきにくい少女視点から始まりますが、少しずつ彼女とその想い人の気持ちが変化していくのをどうか最後まで見届けていただければと思います。
思春期ってこういう娘もいるかもと思っていただければ幸いです。
「ねえねえ、浅野君さ、髪切ってたよね」
「うん。なんかかっこよくなったよねー!」
「やっぱり? 私も思った!」
男子のことを話す、女子たちの高く華やいだ声を聞くと、あたし立野 蒼はなんだか居心地が悪くなってしまう。
中学生になってからなんとなく周りが変化した気がする。制服で男女の違いがはっきりしてしまったからなのだろうか。特に女子は女らしさが増した。
まず見かけ。色付きリップをつけているのか、ピンク色の唇。形を整えたのだろう眉。寝ぐせなんてついていない綺麗な髪。彼女たちが去った後に香ってくるシャンプーの甘い人工的な臭いにあたしは眉をひそめた。
同学年なのに周りの女子たちが得体の知れないものに変わっていくような妙な感覚があたしの心をざわざわさせる。
思わずくんくんと自分の臭いをかいで、あたしはほっと息を吐いた。
自分は彼女たちとは違うと思いたいし、実際違うと思う。
それはあたしを安心もさせるし、それでいてなんだか置いてけぼりを食らったような気にもさせる。そのせいかクラスの女子の中であたしは浮いていて、まだ仲の良い友達もできていない。
あたしは時々うとうとしながら授業を受けて、終業を告げる鐘を待つ。
鐘の音を聞くと同時に勉強道具を鞄に詰め込んで、教室を出た。向かう先は陸上部の部室だ。
あたしの種目は走高跳だ。一か月後の七月には中体連がある。ハイジャン種目の選手がうちの陸上部は少ないので、一年生のあたしが出られる可能性も十分ある。
夕陽が沈むまでグラウンドを走り、自分の背丈に近い棒を跳び続ける毎日。
すべきことはたくさんあって、そのどれもが待ってくれない。だからくだらないことに時間を割いてなんかいられない。
そう思っていた。
同い年の女子たちのように、自分の容姿に気を配ったり、色恋に現をぬかすなど、無駄なことだと。あたしは浮ついた気持ちで男子を見るなんてしないと。
それなのに。
あたしはそっと一人の男子を盗み見た。
青木澄広。
彼に対する想いをなんと言うのか、あたしは知らない。
***
青木は特に目立つタイプの男子ではなかった。話し上手なわけでもなく、容姿も目を引くほどかっこいいわけではない。ただ、休み時間のたびに多くの男子に囲まれて談笑する青木の姿がよく見られた。青木が話の中心にいるわけではなく、笑いながら相槌を打っているほうが多かったのではないか。
そう。青木はよく笑っていた。青木の心底楽しげな明るい笑顔は、見ているこちらまで嬉しくなる、まるで快晴の空を思わせるような眩しさがあった。
あたしには青木の笑顔が特別輝いて見えた。
いつのまにかあたしの視界に青木の姿が入ることが多くなっていった。
自分も青木のいる男子たちの輪の中に入れたらどんなに良いだろう。もっと近くで青木の笑顔を見たい。
小学生のときのあたしだったら、間違いなくあの輪の中に「仲間」として入ったはずだ。
中学校に入る前、あたしは女子ではなく男子と一緒に遊んでいた。男子のする遊びの方が楽しかったからだ。あたし自身、男子の中にいるほうが気が休まったし、男子もあたしを女子として見ないで「仲間」として受け入れて、あたしは男子同然の扱いをされていた。
いつも家に連れてくる友人が男子だったため母は心配していたけれど、そんなことはどうでもよかった。女子がグループを作り、グループの違う女子同士が小競り合いをしているのを見てうんざりし、くだらないと思っていた。どこに行くにも一緒。なのに数日後には違うグループに変わっていて、相手を罵っているようなことばかり。そんなものが友情だとは思えなかった。その点男子は単純だった。気が合うもの同士で日が暮れるまで遊ぶ。陰でこそこそ相手の悪口を言うこともない。あたしにはそのほうが楽だった。
けれど。
あたしはセーラー服を忌々しげに見た。
きっとこれが悪いんだ。
中学生になり、それまでほとんどスカートなんてはいたことのなかったあたしも、毎日セーラー服を着るはめになった。
セーラー服は女子である目印だ。
似合わないセーラー服を着たあたしに、男子の態度が急に変わった。もう彼らは「仲間」としてあたしを見てくれていないのが解った。あたしを輪の中に入れてくれなくなった。
「立野は女だろ」
男子に話しかけると他の男子に冷やかされることもあった。
あたしは悲しくて悔しくて。
「仲間」だと思っていたのは違ったの? 今までと何が違うの? あたしは変わってないのに……!
かと言って急に女子の輪の中に入ることもできなかった。あたしはあぶれてしまった。
本当はもっと近くで青木を知りたい。友達になりたい。でもあたしはきっとあの輪の中には入れてもらえない。それはやっぱり悲しくて悔しいことだった。
***
ハイジャンの練習時。
隣のハンドボールのコートからボールが転がってきて、あたしはそれを拾い上げた。
ボールを取りに来たのは青木だった。
「拾ってくれてありがとう!」
青木はあたしに向かって笑った。
初めてあたしだけに向けられた笑顔は、もう眩しいどころではなくて、あたしは全身が心臓になったみたいな感覚がした。
青木の笑顔、やっぱり空のように綺麗だと思った。
青木の素直な性格や笑顔に惹かれたのはあたしだけではなかった。同学年の女子の口から青木の名前を聞く機会が増えていく。そのたびにあたしの心はざわめいた。
青木の名前を軽々しく呼ばないで!
自分勝手過ぎる思いに愕然とした。
こんなこと初めてだ。
あの眩しい笑顔を独り占めしたいと思う自分がいた。青木があたしだけに微笑んでくれるわけないのに。分かってるのに、ボールを拾ったときの青木の笑顔が忘れられない。
あたしは怖くなって青木を見るのをやめた。代わりに空を眺めた。けれど見なければ見ないほど青木の眩しい笑顔に対する執着は強くなっていく。
こんな苦しい気持ち、知らない。
あたしにとって青木は女子たちの言うような「好きな人」なの?
確かに青木は今まで仲間だった男子とは違う。特別。別格。言葉にするのは難しい。でも気になるとても大切な存在。
あたしのこの想いは「好き」なんて言葉で表せるような単純なものじゃない。もっと崇高な、綺麗な気持ちだと思いたい。
だってあたしは青木と付き合いたいなんてこと思っていない。それなのに笑顔は独り占めしたい。
矛盾している。あたしもなんだか変だ。