白炎の魔女が生まれた日
戦争が終わった。
そう、彼女が住む集落に話が来たのはもう随分と前だった。勝ったのかと聞けば勝っておらず、共に手を取り合うこととなったという言葉に最初国民は戸惑った。
随分と人が死んだ。
彼女の国の者が敵国の者を。
敵国の者が彼女の国の者を。
数え切れないほど死んだ者の中には、恐らく名前もない者も、家族の居ないものもいただろう。
だが、家族が居たものもいる。
家族を守るために戦争にいき、随分と死んだ。そして、その家族は生きている。
手を取り合おうという話になってもその恨みが、憎しみが消えることは無い。奪われた者は奪おうとする。
奪われたのだから相手も同じにしなくてはと思う。既にどこかの誰かは同じ目にあっていても、気づきはしない。
殺し終わるまで。どちらが滅ぶまで消えないものである…筈だった。
そういった捌け口として使われたのが、英雄と持て囃され、戦争の中心となり先陣を切ることが多かった魔女達だった。
英雄は勝てなければ罪人になってしまう。
戦争で勝者が決まらなかった全ての国がそうして、魔女を生贄とした。
「まだかなぁ」
彼女の母も同じであり、未来の英雄になるであろう彼女も同じだった。
初めはひとつの石だった。
窓を開けて母の帰りを待つ少女に石が投げられた。初めは当たらなかった。怯えた様な弱く投げられたそれは少女にとって害となることは無かった。
だが、それは確かに始まりを告げるものだった。
「魔女が居なければ…」
灰色の髪の少女は幾つもの石を投げられ、中には燃えた石を投げる者もおり、更には家には火が放たれた。少女は走った。近くの森へ魔法を駆使し逃げ込んで頭を抱え低い木の裏でがくがくと怯えた。燃えた石が当たった左の頬が痛かった。
いつも穏やかだった。質素でありはするが英雄の娘としてそれなりの生活はさせて貰えていたし、見た目も愛らしかった為、優しくしてくれていた。
戦争が終わったというのになぜ、今度は愛してきた隣人たちと争わねばならないのか。溢れる涙で濡れる眼で燃える家を見ていると、少女と同じ灰色の髪をした女性が燃える家の中に飛び込んだ。
魔女によっては豪勢な生活をし、人を見下す者も居た。けれど少女とその母は人を愛していたし、質素な生活で満足していた。
戦争で傷付き、仲間に裏切られ、やっと家族の元へ帰ってきた少女の母が、娘がいるはずの家が燃えているのを見てじっとして居られるはずはなかったのだろう。
窓から見える母が燃える姿。自分を探す声。それが少女が最後に目にした母が生きている姿だった。
真っ黒に燃えきり、脆くなった家だったものは所々白くなり灰になっていた。
雨が降るまでその火は消えず、誰も消そうともしなかった。
目撃してしまった母の最後が信じられず、少女は雨の中とぼとぼと家だった中を歩く。
もう壁など意味をなさないのに玄関だった位置から、まるでそうすれば日常が戻ってくるのだと願うかのように。
「お母さん」
母だったモノは苦しみ抜いて死んだのだろう。体はもがく様な形で焦げてしまっていた。
雨が降る。神が憐れむかのように、燃えた少女の母の亡骸に。
「お母さんっ」
何度呼んでも、いくら魔女でも死ぬのだ。それを少女は理解していた。
少女があげた慟哭は雨音すらかき消すほどの大きさで、それは生き残りがいると村人たちに教えてしまう事となった。
母は英雄だった。少女が知る母はとても勇敢で、優しく、魔法を扱うのがとても優れていた。
少し気弱なところがあったが、そんな母は村人にも慕われていたし、軍の人間からも評判は良かった。
「魔女だ」
「まだ生きていた」
「母親は死んでいるぞ」
「殺せ」
「殺せ」
「殺せ」
嘆き悲しむ少女を虚ろな目をして怯える村人達が囲んでいく。
「魔女が居たからこんなに沢山死んだんだっ」
その言葉が必死に戦ってきた魔女達に全てを押し付けたのだと物語っていた。
「誰が…」
「なにを…」
「誰が魔法で人を殺したいって言ったんだ!!」
魔女は総じて魔法を愛している。神から与えられた特別な力を愛している。優しく守ってくれる魔力はいつだって支えてきてくれた。
魔女がその力を人に向けるように言ったのは人の王だ。人の王が子供を、家族を人質に戦いに出させ、多くの敵を屠ったのが始まりだ。
敵が死んでいく中、魔女は泣いていたという。引き金を引いた魔女はその後自決したと聞いた。
英雄という名は体良く魔女を使うために付けたものだったのだと言うことを覚えているのはどれほどいるだろう。
魔女は進んで人を殺すことは無かった。
そうすれば人の中で生きていけないと知っていたから。
「英雄と呼んでいた癖にっ」
少女は知ってしまった。人は短い命しか生きられないというのにすぐ忘れてしまうのだと。
少女は知ってしまった。人は笑顔で嫉妬を隠すのだと。嫉妬は他者を傷付けることがあるということを。
少女の灰色の瞳が怪しく煌めき、同じ色の長い髪が揺らめいた。憎らしい、恨めしい。殺してやりたい、むしろなぜ気高い母が死に恩知らずのお前らが生きているのか。
涙を流し、少女は笑う。
「…全員、死ねばいい」
轟々と炎が彼女の周りから燃え出す。真っ白な炎が地面を舐めるように広がり、走り、軈て逃げ惑う村人を飲み込んだ。
沢山の悲鳴と恨みが溢れるその中で少女は静かに微笑んで、母の亡骸を抱き締めた。
…魔女に滅ぼされた村に兵が送られる。そこにはもう村の形は残っていなかった。至る所に人が焼け焦げたモノが転がっており、それに怯える兵たちの中の一人が悲鳴をあげ白い炎に包まれ燃え上がった。
「あぁぁぁあ!熱い!熱ぃぃぃぃ!火がぁっ」
転げ周り火を消そうとしてもそれは動か無くなるまで燃え続けた。
「…あ」
恐怖から何も出来なかった兵たちは軈て、一人の少女が立っているのを見つける。
特徴的な灰色の髪に灰色の瞳、そして、澱んで冷たく見据えるその視線。
「ぁ、ぁれが」
魔女。そう呟いた男を今度は白い炎が飲み込む。
「白い…炎…っ引け!引くんだ!情報を持ち帰…ぁぁぁぁあ!!」
次々と燃え上がり死んでいく兵の中から若い兵達が悲鳴をあげ逃げていく。そうして、小さな魔女の情報は国へと持ち帰られた。
「白い炎の魔女…白炎の魔女か、恐らく色合い的に戦場で戦っていた聖火の魔女の娘でしょうな」
「聖火の魔女は善良だったが…」
「戦場からの帰路で襲撃しましたが、逃げられた様です。件の魔女の傍に居なかったことから恐らく殺す事には成功したがそれを娘に見られた可能性があります」
「死ぬまで燃える白き炎…なぁ、ダルグよ。もし、あの戦争までにその娘が力に目覚めていれば魔女は英雄のままでいれたのだろうか」
書類が山積みになる、煌びやかな一室で国王の指輪を嵌めた男がそう告げるとダルグと呼ばれた男は悲痛そうに首を振る。
「もしもを語るべきではないでしょう。私たちは多くの魔女を裏切り、罪を擦り付け殺したのです。」
「…」
「それは他国も同じ、もしも、感情のままに我が国だけ魔女を保護すれば凶弾され、戦争を仕掛けられます。」
「…あぁ、分かっている」
「魔女とはなんなのでしょう?あの血の何が特別なのでしょう…なぜ彼女達だけが魔法を使えるのか」
「わからん…分かるのは人同士の戦争は終わったが新たな戦争の火種が生まれたのも確かだ。聖火の魔女の娘だけでなく、他にも子を持つ魔女は居た。いずれ罪を償う日は来るだろう、それを先延ばしにしたにすぎんのだ」
白炎の魔女。そう名付けられた少女の名はもう誰も知るものはいない。住んでいた村は壊滅していたし、母である聖火の魔女も死んだ。
魔女狩りが行われ、その家族知人が殺される。そして、魔女として告発され人の身でありながら魔女と呼ばれ殺された者も多くいた。
異端審問を教会が立ち上げ、魔女を殺し、数を減らして行かれる中、魔女たちは手を取り合うことを選んだ。
元敵国など関係なく、全ての同胞と。
「貴女が白炎の魔女ね?」
「…」
「もう、魔女集会の手紙は何度も送ったのに来ないから確認に来いって私が言われちゃったのよ!?」
「…お前は誰だ?」
「同胞よ、同胞!白炎の魔女、私は葉縁の魔女アウロラ。さっき言った通り魔女集会の誘いできたの。憎き人間からの攻撃から耐える為…手を取り合いましょ?私は服を作るのも上手なの。綺麗な服を着て、ご飯が必要なら用意もある…」
アウロラは優しく微笑む。ゆったりと編まれた長い緑髪の三つ編みが微かに光を帯びる。
「あなたの名は?」
「…ない。」
「…魔女として戦争には?」
「参加していない、参加していたのは…母だ。」
「もしかして…聖火の魔女の娘?」
「…」
否定しない白炎の魔女に、アウロラは目を伏せて抱きしめた。
「お母さんがつけてくれた大切な名は捨ててはいけないわ」
「…母と共に昔の私は死んだ。優しい母に今の私は娘として認めて貰えないかもしれない、だからそれでいい」
淀んだ目にアウロラは耐えきれず泣き出した。泣けなくなってしまった少女のかわりだというかのように。
「貴女が嫌がっても私は貴女を連れていくわ。」
「…」
「少し休みましょう?ね?」
死に近すぎる少女は成長を止めてしまったのだろう。あの日の姿のまま彼女の力だけが育つ。長い時を魔女達は生きていく。
それはかつての故郷の国が滅ぶ程…国の数が減る程、長い時が流れる。
やがて、白炎の魔女は真っ赤な少年に出会うことになるのは、まだ随分と先の話である。