うわさ話
ナイフを抜き、べったりと付いた血を拭き取る。
周囲への警戒絶対に怠らない。
この間は、そのせいで変な弟子を連れてきてしまったからな。
耳を澄まし、目を凝らし、嗅覚を研ぎ澄ます。
まだ隠れている奴は……いないな。
気配も全く感じられない。
よし、依頼達成。
今日の依頼も、比較的楽だったな。
今月は三件も依頼が来てたし、しばらくは金もベツレヘム用の血液も足りそうだ。
というか、暗殺の依頼が三件も来るだなんて、世間は物騒だな。
暗殺なんて、そうそう起こるようなことじゃないし、起こらないべきなんだよ。
まあ、それを生業にしてるわけなんだけど。
俺が三分の二終わらせたし、残りの方はカルミアに任せておいて大丈夫だろう。
暗殺術なんて大層なものは教えられないし、実践を積ませた方が経験値も多くなる。
どの業界にでも言えることだが、経験が一番大事だと思う。
今まで積み重ねてきたものが無かったら死んでいた状況なんて、一度や二度じゃない。
だからこそ、あいつに仕事を押し付けるんだ。
決して、決して、俺が楽をしたいわけじゃない。
確かに、暗殺というのは神経を擦り減らせ、疲れもストレスもたまる仕事だ。
だからと言って、それを弟子に押し付けようだなんて、そんな……そんな…………。
というか、俺がルドルフに習っていたころだってこんな感じだった。
基礎だけ物理的に体に叩き込まれ、あとは勝手に持ってこられた仕事をこなすのみ。
あいつも、弟子に仕事押し付けてたのかよ。
考えるだけでも腹が立ってきた。
今度会った時には、絶対に殴ってやる!
漢エーデル、二言はあんまりない!!
おっと、考え事をしている余裕はなかった。
もうすぐ、夜が明けてしまう。
ヴァンパイアではないが、生れた時からヴァンパイア社会にいた俺は、この時間帯まで起きておくことが苦手なのだ。
簡単に言えば、昼夜逆転男だ。
人間社会に馴染むためにも、これは直さなくちゃいけないな。
あと……三十分はあるか。
少しスピードを上げれば、間に合いそうだな。
夜闇にまぎれる暗殺者。
なんか、かっこよくね?
「失礼します」
静かに扉を開き、中を見回す。
……電気点けっぱなし。
部屋も汚れっぱなし。
よくこんな状態で寝られるわね。
でも、これを片付けてしまったら、駄々っ子のように拗ねだすだろう。
「師匠。起きてください。もう夕方です」
「んあ、ベルか……。あと五分だけ寝させてくださいな……」
「師匠。起きないと、会長を読んできますよ!」
「そ、それだけは勘弁してくれ!!」
「ようやく起きましたか……」
師匠としては優秀なのに……。
「師匠。その会長から手紙を預かっております」
「ええー、読みたくないんだが……」
「あとで怒られるだけですよ」
この人は……。
怒られると言っただけで、ひったくりのように手紙を奪ってきたのだが。
「えーっと、『ローレル殿。エーデルの件は早く終わらせ、次のヴァンパイア狩りに向けて準備を整えておきなさい』か」
「……エーデルですか」
「ふんっ!!」
「なにしてるんですか!?」
「こういう面倒な内容の手紙は、千切って燃料にするのがお約束だ」
「そんなわけがないでしょう!」
「エーデルのこと、お前も見ただろ?」
世にも珍しき、ヴァンパイアと人間の双子。
その兄の方で、異常なまでの暗殺技術を持ち合わせており、未だ分からぬところが多い謎の存在。
その調査に加え、できるのであれば生け捕り、無理ならば死体だけでも持ち帰りという指示だったのだが……。
「あのような化け物は、そう簡単に捕まえさせてくれませんよ」
「だろうな。熊でも捕まえてこいと言われたほうが、気が楽だったわ」
「そのうえ、あのルドルフまでいらっしゃいますからね」
「あれは、もはや人間ではない。あんなのと戦うなら、私は自害を選ぶ」
「そ、そこまでですか……」
「そこまでだ。……全盛期のルドルフと相まみえたことがあるのだが、あの時ほどに死を意識した瞬間は後にも先にもなかった」
「お戯れを」
「……まあ、今サシで殺りあえば、相討ちまでは持っていけるだろうな。でも、それ以上の結果は期待できん」
「……それは、私が戦っても、ですか?」
「うーん。まあ、良くてかすり傷一つだけ付けられる程度じゃないかな」
……かすり傷。
かなり実力がついてきたと思っていたけど、まだまだの様だ。
さらに鍛錬を積まねば。
「一応言っておくが、鍛錬など無意味だぞ」
「……なぜですか?」
「あんなのに勝つつもりなら、本当の本当に死ぬ気でやらなくてはいけなくなるぞ」
「…………」
師匠がこういう表現を使うときは、本当に死にかけるときだ。
前に『覚悟の上です』といった時には、熊と格闘させられた後に、雪山に放り出された。
あの時ばかりは、心の底から師匠を恨んだ。
「ということで、私はもう少し寝る」
「夕飯の支度が済みましたら、もう一度呼びにまいります」
「ベルも寝ておきなさい。明日からは、さらに忙しくなってくるぞ」
「承知しました」
「晩は、私が作っておくからな。気が済むまで寝なさい」
「はい。それでは、失礼しました」
「ぶえっくしょん!!」
さっきからくしゃみが止まらない。
鼻をかもうにも、ティッシュを忘れてしまった。
「ちくしょう、誰か俺の噂しやがったな」
陰口とかだったらどうしよう。
豆腐並みのメンタルしか持ち合わせてないこのエーデルは、陰口が知れた時には子供のように泣き喚くぞ。