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五、表裏

前回の続きです


五/七話

「う……ぐっ。ここは……」


 ヴァルはゆっくりと目を覚ます。


 背中から伝わる柔らかい羽毛の感触。

 いつも軍の宿舎で使っていた冷たいベッドとは比べ物にならないぐらいの温かさがある。


「私は死んでしまったのか?」


 もうとっくに死んでしまっているのかと思いたくなるような、とても心地の良い気分だった。

 こんなに安らかに何もかも忘れてしまって眠れたのは、一体いつが最後だったのだろうか。


 そんな風に考えていると、部屋のドアが開いた。


「生憎だが、キミは死に損ねたようだよ」


 入ってきたのはヴァルの父親と同じような年代らしき、三十歳ぐらいの男。

 しかし彼は父とは違って若々しく、容姿端麗でった。

 背はかなり高く、目の下にほくろが二つある。


「はッ! 誰だあんた!?」


「あぁ、そうか。これではわからんか。私はキミ達で言うところのハゲワシだ」


 その言葉にヴァルは吃驚する。


「なっ!? ハゲワシだと」


 あの戦場で相まみえた仇敵。

 その名を語られ、ヴァルの血の気が一気に引いた。


 彼に突撃していた時の彼女の精神は普通ではなかった。

 危機的状況と一種の興奮状態が、あの無謀な挑戦を後押ししたのだ。

 だが、今こうして冷静になると生きた心地がしないでいた。


「まぁ、できればフローズンと呼んで欲しいがね」


 彼は苦笑いすると、ヴァルの使っているベッドの脇にある椅子に腰かけた。


「どういうことだ……私たちは……」


 ヴァルにはあの戦いがどうなったのかがわからないでいた。

 フローズンへの攻撃が容易く躱され、腹を殴られて何かに激突した。

 そこで彼女の記憶と意識は途絶えている。


 そしてこの状況だ。

 考えられる返答は自ずと決まっていた。


「キミ達ストーンライフルの奇襲部隊は、ガウスマン隊、ローグ隊ともに壊滅したよ」


「そんな……」


 彼女は落胆の様相を見せる。

 だがわかっていたことだ。

 奇跡でも起こらない限り、この男の猛攻を止められるはずがない。

 とはいえ、改めてそう聞かされると傷心せずにはいられなかった。


 ヴァルの様子を見ながら、彼は持ってきた高そうなリンゴを剥いていた。

 しかし、慣れていないのか表面がボコボコになってしまい途中で諦めてそのまま自身の口に放り込んでいる。

 リンゴをモグモグ食べながら、彼は告げる。


「……ストーンライフルが全面降伏をするのも時間の問題だ。それまで敗残兵は我が軍の捕虜として面倒を見ることになった。キミもその一人だよ」


 強烈に拒絶したくなる単語が彼の口から飛び出す。

 ヴァルは眉間にしわを寄せ、伺った。


「捕虜? ……私を奴隷にでもするのか?」


 彼女の問いを聞いたフローズンは、まだ十分に噛んでいないリンゴを慌てて飲み込んだ。


「なんだって? また随分と飛躍した解釈だね」


「どうせ虐げられるんだから一緒だ……結局私は……」


 彼の言葉はヴァルに届かず、彼女は意気消沈してしまっている。

 奴隷に対する嫌悪感、そしてそれを連想させるあらゆるものに彼女は縛られすぎていた。


「そんなに奴隷になりたいのなら考えておくが……少なくともボクには必要ないな」


「え?」


 予想だにしなかった言葉が返ってくる。

 お前は奴隷ではない、ではなく奴隷が必要ないときた。

 それはヴァルの生まれ故郷のストーンライフルにおいては考えられないものだ。


 奴隷とは国の重要な労働力であり戦力。

 そして平民が自分たちより下の身分を認識することによって優越感を得、精神の向上を後押しするものだ。

 それが奴隷の役割であり、存在価値なのである。


「あぁいや、この屋敷に住んでいるのはボク一人だからね。それに自分のことは自分でしてしまいたいのさ。だから奴隷を雇ったところで与えることのできる仕事が無いんだ」


「そう……か」


 彼はヴァルのことをどうにだってできたはずだ。

 どんなに無能な奴隷であっても、無理矢理に使うことはできるのだから。

 武器の試し斬り、人体実験、ストレスの捌け口。

 命さえあれば押し付けることのできる最悪の役割はごまんと浮かんだ。


 ある意味、初めて文字通りの奴隷として扱われることに心底怯えていた。


 しかし、フローズンは人の()さそうな顔で少し申し訳なさそうにそう言っただけ。

 安堵していいのか、そうでないのか。

 どんな感情を覚えるのが正解なのかもわからず、彼女は混乱していた。


「……じゃあ何のために? その、ケガとか……治療してくれたみたいだから」


 清潔な服に手当てされた痕。

 この時点からおかしな話ではあったのだ。

 酷い目に遭わせるのであれば、辛うじて生きていけるだけ最低限の処置で良い。

 だがこれは最低限のものではなかったのだから。


「何のため……そうだな」


 フローズンは腕を組んで考えている。

 やがて、彼女の顔を見ながら言葉を選ぶようにして口を開いた。


「実態がどうであれ、取り敢えずは降伏した兵士は捕虜として保護する。それが戦争をする上での取り決めだ。だからボクはそれに従ったまでだ。今までもそうしてきたけど……そうだね」


 彼はどこか諦めたような口ぶりで言葉を濁す。

 一方でヴァルは言葉を失い呆気に取られていた。


 それもそのはず、彼女がこれまでに聞いていた話とは食い違っていたからだ。

 ハゲワシのフローズンは戦場の全てを喰らいつくす、そう聞いたいた。

 それはつまり投降しようがしまいが殺されるということである。

 だが、彼の言い分だとそうではないらしい。


「そりゃそんな顔になるよね」


 フローズンは苦笑し、頭を掻く。


「そういえばキミ達の間でボクは『ハゲワシ』なんて呼び方をされているらしいけど、なんでなんだ?」


 ストーンライフルで特に軍関係者の間で広く使われているのハゲワシという呼び方。

 あまりにも多用されていたため、敵国のフィオナ公国どころか当の本人にも知られていたのだ。


「確かハゲワシが死体の臓物を食い散らかすように、敵を斬り殺し尽くして全身が臓物と返り血で染まっているからって……」


 ヴァルは少し言いづらそうにして、彼の問いに答えた。

 ちらちらと彼の表情を伺ってはみたものの、彼は頷くばかりで怒りも喜びも覚えていないようだ。


「なるほどね。不名誉なあだ名ではあるけど、間違ってはいないな」


 敵にあることないことを含めて何かしらの悪いあだ名を付けることは珍しくない。

 そこから生まれる憎しみこそが戦うための動機、士気の向上になり得るからだ。


 しかし、彼に付けられたハゲワシというあだ名は、その人並外れた実績も合わさって、かえって恐怖心を煽りストーンライフルの兵の士気を下げることになってしまっていた。


 フローズンは僅かに目線を下に向けた後、再びヴァルの目を見る。


「で、そんな人殺しが敗残兵を保護するのはおかしいと。だね?」


 彼の言葉にヴァルは咄嗟に頷いてしまった。


 嘘はつけなかった。

 ずっと当たり前のようにハゲワシの悪逆非道さを聞かされてきた手前、いくら本人を目の前にしてもその何重にも上書きされた常識を偽ることなどできやしなかったのだ。


「まぁ無理もないか」


 それまで姿勢正しく座っていた彼は背もたれに体重を預けた。

 そしてどこか遠い場所を見るようにして自身について打ち明ける。


「武器を持たない人間を(なぶ)っても何にもならない。それでこの戦争が終わってくれるなら考えるがね」


 戦争を終わらせる。

 最も彼に似合わない言葉だ。


「ボクはね、この浪費しか生まない戦争をさっさと終わらせるために軍人になったんだ」


 彼の言葉に、ヴァルはつい感情的になる。


「戦争を終わらせる? 何言っているんだ! 人をたくさん殺して、殺し続けている人間の言えたことか?」


 彼は戦争を終わらせるどころか、人々を殺しまわって戦禍を拡大させている。

 皮肉で言っているにしろ、矛盾したその言葉にヴァルは怒りを覚えた。


「そうだね。だけどこれがボクのやり方だ。いや、ボクのやり方()()()


 ヴァルが感情を(あらわ)にする一方で、フローズンは至極冷静だった。


「戦争はね、長引かせちゃダメなんだ。短期間で蹴りを付けなきゃいけない。そうでなきゃ、お互いに戦争が終わっても共倒れになる。敵は今戦っている相手だけじゃないんだから」


 確かに彼の言う通りストーンライフルもフィオナ公国以外の国との間にも脅威を抱えていた。

 西のスタイン、海に浮かぶ孤島リンクロード、そして南西に位置するティーパレード王国。

 どの国家もそれぞれが睨みを利かし、(ほころ)びが見えた瞬間に一気に食おうとする。

 今現在劣勢におかれているストーンライフルは、正にハイエナたちに食い漁られる一歩手前だった。


「だからボクは短時間に大勢を殺すことにした。そうすれば早く降伏してもらって、この戦いを終わらせることができると思っていたから。……だけどそれは飛んだ思い上がりだったよ。所詮、悪魔だの化け物だの言われたところでボクは人間の範疇だったってわけだ」


 彼は自嘲気味に続ける。


「どれだけ他人より多くの人を殺そうとも、目に見えて戦いが早々に終わることはなかったんだよ。降伏と開戦を延々と繰り返しただけ。そうだな……目に見えて分かったことと言えば、一人で動きにくくなるだけの年不相応な階級を獲たことと、敵味方問わずに人間扱いされなくなっていくことぐらいだね」


 そう語る彼の目の奥は、ヴァルにとって酷く空っぽに映った。

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