二、奇襲
前回の続きです
二/七話
作戦当日、いつもより更に霧が濃い中、ガウスマンはオーウェル川を前に毛並みの良い馬に乗りながら構えていた。
そして彼の隣には少し年の離れた屈強な男が並ぶ。
「ローグ、あちらで会おう」
「はっ!」
気持ちのいい返事と共に、ローグは隊を分けて挟撃の準備に入る。
ヴァルは口の中が酷く乾くのを感じながら、対岸にいるであろう敵と一戦交えることを心待ちにしていた。
向こうまでの距離はかなりのものだ。
それに実際に近づいてみると相当大きな川の音がする。
改めて、こんな川を渡ろうとする者はいないのではないかと思われるのも無理は無いなと彼女は感じた。
兵士たちが今か今かと緊張で震える中、ガウスマンが声を上げる。
「今日もまた、多くの血が流れるであろう。だが、ゆめ履き違えるな。例え奴隷の身であろうとも、投げ捨ててよい命など一つたりとも無い。功を上げ、平民になったところで死んでいては意味など無いのだ。貴様らは証明するのだ、自らの価値を」
彼は背中に背負っている巨大な剣を重苦しい音を立てて抜き、天に掲げる。
それは即ち、開戦の狼煙を意味していた。
「対岸の仇敵を駆逐、ここを橋頭堡とする!! ストーンライフルに麗しき制勝の鐘を!!」
ガウスマンは高らかにそう宣言し、部隊を鼓舞した。
「ストーンライフルに麗しき制勝の鐘を!」
奴隷兵たちもそれに呼応し、意気込みを声に乗せた。
一方のヴァルはと言えば、それをどこか冷ややかな目で見てしまっていたのだ。
いくら川の流れが生み出す音が大きいからと言って、そんな大声を上げて大丈夫なのかと。
無論、ガウスマンの声は向こうには届いてはいない。
だが、それでもヴァルは兵士たちの空気に若干の嫌悪感を抱いたことで彼らを疑ってしまったのだ。
それは紛れもなく、彼女に関しては互いの信頼関係が構築されていないことを意味していた。
部隊はガウスマンを先頭に、川の中へ馬を進める。
この地に慣れているのは人だけではなく、馬もまた同様であった。
文字通りの人馬一体で川の流れをいなしながら対岸へ近づく。
一方、ストーンライフル軍が近づいてきていることなど露も知らないフィオナ公国の部隊は、寝ぼけ眼をこすりながら朝の支度をしている最中であった。
川の流れが激しいため、彼らは安全を考慮して距離を置いて待機している。
それも後押しし、ストーンライフル軍が僅か数メートルに迫ろうとも気が付けなかったのだ。
「なんだ……?」
一人の兵士が川を眺める。
川の流れの他に、何かが微かに聞こえる。
明らかに先ほどまでなかった何かがそこまで迫ってきている。
彼は、それが近づいてくる度に血の気が引いていくのを感じた。
その正体がわかり、眼をこれでもかと開けたと同時に、彼の首は地にゴロリと落ちた。
「死ねェ!! フィオナの犬ども!」
ガウスマンの剣を兵士の血が彩る。
他のフィオナ公国の兵士も続々と異変に気が付き始めたが、もう何もかもが遅かった。
「はぁあああッ!!!!」
奴隷兵たちは我先にと逃げ惑うフィオナの兵士を後ろから突き刺していく。
それはまるで屠殺を控えた家畜を殺していくように、彼らは一方的に狩っていったのだった。
「ストーンライフルめ!! この蛮族がァ!!」
フィオナの兵たちも奇襲に激昂し、応戦する。
しかし、不十分な体勢での反撃など高々知れている。
みるみるうちにストーンライフル軍はフィオナ公国の兵を掃討していった。
ガウスマンは剣の血を拭い、側近であるミングに戦況を確認させる。
「ガウスマン大尉、我が軍は優勢です! ローグ中尉の別動隊も敵右翼部隊の奇襲を成功させたのこと」
「よし、このまま双方より押しつぶす。あと少しの辛抱だ」
吉報にもガウスマンは油断をすることなく指示を出す。
そして彼は一度、仮の拠点を築くために前線から退いた。
「ッぐう……がぁッ……」
脚と腹がズタズタになり、今にもこと切れそうなフィオナの兵。
息を吹き返すたびに、臓器からの出血が口から零れ落ちる。
その者の目にはもう、生きる望みの光は宿ってはいなかった。
ヴァルはその兵士に近づき、剣を構える。
そして――
「今更……何もッ!」
彼女の刃は兵士の喉を掻っ捌いた。
兵士の身体は力なく横たわる。
流れる血を眺めながら、歯を食いしばる。
肉の斬れる音、血の臭い、千切れた臓器の色。
彼女にとって、この場の何もかもが不愉快に感じた。
同時に、こんなことをしなければどうにもならない自身の生まれを改めて呪う。
「ハァ……うぅ……まだ終わらないのか」
彼女は周りで敵軍をひたすら殺す仲間を見る。
敵部隊の大半はもう物言わぬ屍となり果てている。
状況から考えると、もうじき戦闘はストーンライフル軍の圧倒的勝利で幕を下ろすであろう。
だが――
「……はッ!?」
ヴァルの視界いっぱいに赤が覆う。
ゆっくりと見上げると、暁の空には人の破片が舞っていた。
やがてそれらは地面にぐちょりとぶつかる音を立てながら落ちる。
一つだけではない、いくつもの残骸がまき散らされた。
放心状態の彼女は血に塗れる彼方から、猛烈な殺気を感じとった。
息をすることすら許されないような、凍てつくような空気が周囲に漂う。
血の霧から重々しい甲冑の音を立ててやってきたのは、ヴァルを含めたストーンライフル軍全てにおいて絶望を与える者であった。