守ってあげてたつもりの可愛い子犬系下級生が、じつは狂犬だった話。
電車から降りると、同じ制服の子たちがどやどやと駅の改札に押し寄せる。
毎朝の光景。二年目ともなると新鮮さも感じない。
この駅から徒歩5分の高校の紺色ブレザー集団。の中の一人の私。
私、早乙女葵。
高校二年生。
女子バレー部所属、アタッカー。
小学4年生の頃、体育館で放課後にやってたバレー同好会に友だちに誘われて入ってみたら、みごとにハマってそのまま中学、高校とバレー三昧。
楽しいよ?好きでやってるんだもん。
刈り上げベリーショートにしたのもバレーのため。だって動いてるとき髪が邪魔だし。
身長にょきにょき伸びて170センチ超えたのも嬉しい。ブロックするとき背が高いほうが有利でしょ?
胸が無いのも気にしない。動くとき邪魔そうだし。
でもね…!
女子トイレに入る時に知らないおばさんからジロジロ睨まれたり、マユ(クラスの友だち)とお茶してるときにマユの中学時代の友だちに「マユ彼氏できたの?紹介してえ!」なんて言われたり、影で王子なんて仇名をつけられてたり。
やっぱさ!このままじゃいけない気がする。
バレンタインのチョコ獲得数がここ数年不動の校内一位なのも、まわりは褒めてくれるからなんとなくヘラヘラしちゃうけど、本音は別に嬉しくない。
だって女の子だもん!
「そんなこと言ったってさあ、そのモデル並みのユニセックスな佇まいと面倒見の良さは憧れの的だよ?その涼し気な爽やか王子顔で、実はカワイイもの好きのちょい天然ってギャップ萌えるし。他校からもあんた見に来てるでしょ。アイドルだよ。うらやましいわー。」
「マユ…女は共感する生き物でしょーが。」
「葵、自分で言ってたじゃん。好きでやってるって。」
「まあそうなんだけど、やっぱさあ、17歳だよ?もっとこう、恋愛とかさ、私だって興味あるんだって。」
「んなこと言ったって、葵の隣に立っても見劣りしない男なんてそうそういないし。だいたい葵の好みも、年上で守ってくれそうなオラオラ系って、高校生男子に求めるのは難しいんじゃない?」
「…やっぱさ、男も、私みたいなでっかい女より、庇護欲そそる可愛い系な女の子に隣にいてほしいよね。」
いや、そういうことじゃなくさ、葵は選ばれるのを待つんじゃなくて選ぶほうだと思うよ?とかなんとか隣でマユが言ってるのを聞き流してしまった。
だって、ちょうど目の前を、その庇護欲そそりまくるめちゃくちゃ可愛い子が通り過ぎていって思わず見とれてしまったんだもん。
「ちょっと、葵聞いてる?」
ぽわんと呆けて見ていたら、マユがゆさゆさと私の腕を揺らした。
「あゴメン。さっきの子、めっちゃかわいかったから見惚れてた。」
ムム、とマユも私の視線の先を追う。
「うちの制服だけど見ない顔だね。タイが緑色だから新入生だな。今日が初登校日のはずだから。…確かにあれは可愛いね。」
めったに人を褒めないマユのお墨付きいただきました。
あれこそ私がなりたかった女の子像そのまんまだ。ちょっと感動。
ふわりとしたショートボブ、垂れ気味のパッチリした瞳、ぷっくりとしたピンクの唇。顔が小さすぎて、大きめな眼鏡がさらに可憐さをひきたてている。背はマユくらいかな。
で、スラックス。
「あれ、男の子なんだ…。」
ぼんやり二人で子犬のような男の子の背中を鑑賞していたら、3人組の三年生男子が私たちをを追い越していった。
嫌な笑い方をして男の子に近づいていく。
あの三年生たちは教師にも反抗的でチンピラともつるんでるって噂がある。嫌な予感。
「おい、お前。一年?」
一番体格の良い三年生が、ガシリと男の子の肩に手をまわした。
「俺たちね、三年生なの。年上には敬意を払わないとね?」
男の子が、取り囲んだ三人組を困ったように見回している。
「あのさあ、俺、消しゴム忘れてきたっぽくてさあ。購買で買いたいなーって思うんだけど、財布も家に置いてきちゃってさ。ちょっとお金貸してくんない?」
はい!黒!!!
「じゃあ!私のを使ってください!!」
バレーで鍛えた私の声は通るのだ。ふはは。
三人組はギョッとした様子でこちらを振り向いた。
私は鞄からペンケースを出すと、急いで黄色い消しゴムを取り出した。
「これを!どうぞ。」
くうっ!お気に入りのハムスターのキャラ消しゴムだったんだけど、しょうがないっ
男の子の肩に腕をかけていた三年生の手をむりやり開いて消しゴムを握らせた。
何か言いたげな三人組だけど、こういうときこそ私の高身長は役に立つ。あ!ヤダ!私この中で一番背が高い!
試合で相手のサーブを待つときの圧を出して黙らせる。
「では急ぎますので失礼します!」
そして走る。陸上部からも声がかかる俊足、とくと見よ!!
男の子を半ば抱えながら走った。
走って走って走って、よっしゃ校門まで来た!
三年生は追ってきていない。良し。
ぜえはあ言いながら男の子をおろした。細っこいわりに重かったわ!やっぱ男の子だね。
「だ、大丈夫だった!?」
「あ、あの!ありがとうございました!助けていただいて!」
「あの三年生、気をつけたほうが良いよ。三年にあがったばっかでイキってんだよ。中学生かってね。さ、早く教室行きな。私も行くね。」
息はまだ整ってないけど、男の子を安心させるためにニコリとして手を振った。
「あの…お名前は…」
え!うわあ。なんか、それ照れる…
「二年の早乙女葵。あなたは?」
「一年七組の瀬戸晃です。」
「アキラ君だね。入学早々大変だったね。でも、あんな生徒ごくごく一部だから!そんなに悪い学校じゃないから安心してね。じゃあ!」
興奮のせいか赤い顔、潤んだ瞳、これは…ボーイズがラブな女子にそういう意味で人気が大爆発する子だね。すごい逸材が入学したな。うんうん。
とか思いながらその場で別れて教室に向かったのでした。
後で、置いてきてしまったマユにはめっちゃ怒られた。ごめんぬー。
んで昼休み。
子犬のように可愛らしい瀬戸晃君が教室に入ってきた。
一年が上級生のクラスにひょこひょこ入ってくるのもびっくりするけど、彼の可愛らしさに男子も女子も一様に戸惑う妙な空気。
妖精ちゃんが迷いこんできたかのような場違い感。
晃君、君お花畑の生き物だよ。
「早乙女先輩、今朝はありがとうございました。あの、これ、良かったら使ってください。すいません、気づくの遅れちゃって…」
晃君がおずおずと新品の消しゴムを差し出す。
ああ、私の消しゴムは三年生にあげちゃったから気にしてくれたのね。
購買でわざわざ買ってきてくれたのか。
私は、口の中の焼きそばパンをどうにか飲み込んでから笑顔で言った。
「そんないいのに!友だちに借りたから大丈夫だよ。」
「いえ!でも、その…」
もじもじする晃君。二年生のクラスに普通に入ってきたくせにギャップ凄いな君。
真っ赤になって困り顔のうるうるお目目で小さくなってる晃君に、教室のあちこちから熱い視線が集中砲火。んんん、なんか面倒なことになりそう。
「…わざわざ買ってきてくれたの?ありがと!じゃあ、せっかくだから、もらっていい?」
これ以上断るのも返って悪いし、善意は受け取ろう。そして早くお花畑へお帰り。
晃君の手のひらから消しゴムをそっと摘まみ上げると、晃君が嬉しそうに笑った。
その笑顔がもう、お花が開く様を見ているような気分になっちゃったよ。
キュンとくるなぁ。
「すいません、お昼ご飯中にお邪魔しちゃって。…あの、お昼ご飯、それだけなんですか?」
ん?ああ、こんなデカい図体してるのに昼ごはんがパン一個って確かに少なく見えるか。
「お弁当、二時間目の休み時間にもう食べちゃって。夕方部活前にも購買でパン買うから、お昼は節約してんの。」
えへへと笑ってみたけど、ちょっと恥ずかしい…。だってお腹空くんだもん!
「あの…良かったら、差し入れとかしても良いですか?じつは俺、料理が趣味なんです。」
「え、そんな、差し入れなんて、悪いよ。」
「いえ!食べて欲しいんです!味には自信あります!じゃあ、また明日来ますね!」
いっきに捲し立てるように言った晃君は、ペコリと頭を下げると、てててっと小走りに教室を出て行った。
差し入れかー。そんなことまでしなくても大丈夫なのに。気にさせちゃってるなら悪いな。
むむむと唸っていると、女子たちに机をとりかこまれていた。
「葵、あの可愛い生き物は何?」
「あのね、葵が今朝、さっきの子が三年生男子にからまれてるところを颯爽と助けたのよ。」
「マユ、話を盛らないで。颯爽とじゃないよ。必死にガクブルしながら連れて走って逃げたんだよ。」
「目に浮かぶわ…王子が姫を助ける様子が。エモいわ。」
「エモくない。」
「さっきの葵と姫のツーショット、写メ撮っちゃった。」
「ぎゃああ!!!ちょうだいちょうだい!!!送ってええ!!!」
「ヤバい!!滾る!!!」
もおお。私が王子で晃君が姫って…私が姫が良かったよおおお。
で、次の日の昼休み、晃君は本当にうちのクラスへお弁当を持ってきてくれた。
「あの…お口に合うと良いんですが…。」
おいしそうなにおいにゴクリと唾を飲み込んじゃったよ。
手作りの唐揚げ、卵焼き、ウインナはタコ!ブロッコリーの緑とプチトマトの赤がきれい!全部味の違う小さいおにぎりが10個!残ったら部活前に食べてって!
でもこれ、かなり手間暇かかってるっしょ。
こんなことしてもらうのは流石に悪いよおお。
「あの、晃君。凄くおいしそうだし、心遣いが嬉しいんだけど、昨日消しゴムももらっちゃったし、ここまでしてもらわなくて良いんだよ?」
晃君が、お花がしおれるようにいっきにしょんぼり顔に!
クラスの男子女子がざわめく。
「あ…ご迷惑、ですよね。すいません。俺、早乙女先輩に食べてもらったらうれしいなって、それしか頭になくて…」
そんな!雨に濡れた子犬の瞳で見上げないで!反則級破壊力!
キュンてなるううう!!!
「あ、いや、迷惑とかじゃないんだけど。これ、作るの時間かかったでしょ?かえって悪いなぁって…」
「これは、その、お礼とか関係無く、先輩に食べてもらいたくて作っただけなので、あの、先輩の負担になるつもりは…」
じわじわと大きな瞳に涙が溜まる!はい!全私の負け!惨敗!
「こ、この唐揚げおいしそう。一個もらっても良い?」
「もちろんです!!」
ぴょこんと顔をあげる晃君。
あー、大きな眼鏡がずりおちちゃって、かわいいったらない。
パクリと一口。
もむもむもむ…
う…
「うまっ!!」
おもわず声が出る旨さ。
マジか!お弁当の唐揚げなのにジューシー!皮がパリッとしてる!
「卵焼きも自信作です!」
晃君が笑顔で卵焼きのひとかけらを箸でつまんで持ってきた。
反射でパクリ。
教室から声を殺した悲鳴があがっていたけどそれどころじゃない!
「これ!甘い卵焼き!私大好き!」
私、卵焼きは甘いのが好き派です。お弁当に一個甘いの入ってると幸せ感じるよ。
晃君は満面の笑み。
ひゃー、かわいいー!
んで、それから毎日お弁当作って来てくれるようになっちゃった。
甘い卵焼きも必ず入ってる。
悪いなと思いつつ、着実に餌付けされてますがな。
うまいものには抗えないね。
クラスメイトは、晃君は私に恋してるとかなんとか言うけど違う違う。お姉ちゃんか、女のお兄ちゃん(?)とでも思って慕ってくれてんだよ。だいたい私の好みは年上の強い漢!いくら美人でも年下可愛い子犬ちゃんはちょっと…ねえ。
毎朝自分で夕飯の残りを詰めるだけのお弁当は午前中に食べきっちゃうし、晃君の弁当便がないと生きていけない生活になりつつある。
しかし、今は4月。
一年生は友だちグループをつくる大事な時期。
ちゃんと自分のクラスで休み時間を過ごしたほうが良い。と、晃君に促した。
すると、じゃあ帰りは一緒に帰りましょうだって。
じゃあって何だ?
まだ学校にも慣れてないし、先輩である私に頼りたいって晃君は言うけど、私とべったりだとますます孤立しちゃわない?こんだけ慕ってくれるんだもん、私だって晃君のことは可愛く思ってるけどさ、晃君のためにならないんじゃないかな。
でも、晃君って引っ込み思案で可愛すぎていじりたくなっちゃうところあるし、もしかして中学校でイジメられたりしてたのかな。三年生にも絡まれてたし。
え!もしかしてクラスで早くも孤立してて居場所がなくてうちのクラスに来てるとか!?
ううううむ…。
一緒に帰ってあげるくらい良いか。
というわけで、晃君のお弁当便は継続中だけど、昼休みはお弁当を届けてすぐに自分の教室に戻るようになって、帰りは一緒に帰るようになりました。
いろいろ話してるうちに、晃君が高校入学と同時にこっちに引っ越してきたことがわかった。
お母さんが再婚したんだって。
そっかそっか。じゃあ同じ中学の子もいないから余計寂しいよね。
懐いてくれる晃君がかわいくて、妹がいたらこんな感じかななんて思ってしまった。あ、弟か。
偶然にも晃君のおうちは私と同じ駅で降りるらしい。うちより少し遠いみたいだけど。
私の家の近くで別れて、そのまま通り過ぎて帰るみたい。
あんなカワイイ子、暗い道を一人で歩かせるのが心配だけど、たまに触れる腕や胸は案外筋肉質なんだよね。スポーツしてた?って聞いたけど、中学校では何もやってなかったらしい。男子は何もしなくても筋肉つくのか。うらやま。
ちなみに晃君は高校では園芸部に入ったんだって。
妖精はやっぱり花が似合うよね!
で、お互い部活が終わってから待ち合わせて電車に乗るようになったよ。
その日は駅で降りると夕空からポツポツと雨が降ってきていた。
「あらら、傘持ってきてないわー。」
「俺、折り畳みありますよ。一緒に入って歩きましょ。」
「大丈夫、この先に100円ショップあるから。そこで買ってくる。ごめん、ちょっと待ってて。」
晃君、多分傘は自分が持つって譲らないだろうから、でっかい私と相合傘は難しいと思うのよ。悲しいことに。
100円ショップは駅前通りから一本奥の道添いにある。
ぐるっとまわると遠回りになるから店の間の路地裏を突っ切っていこう。
後ろから晃君が「大通りから行ってください!」って叫んでるけど聞こえないふり。
早く傘ゲットして晃君と帰りたいんだよ。待たせたくないし遠回りで濡れるのも嫌。
私の俊足ですぐ戻るよー。
するんと入った路地裏は、駅前とは一転、小規模店舗の裏側で明かりも無いため急に寂れた雰囲気が漂っている。
大人二人がやっと並べるほどの路地には、店のゴミ置き場らしくてビールケースが積み上がり、妙に饐えた臭いがする。
ダイジョブダイジョブ、たったかたーて走って突っ切っちゃえばすぐよ、すぐ。
と、急に行く手を大きな影が立ちふさがった。
「やっと一人になったか。手間取らせやがって…」
ニヤニヤと下卑た笑いのガタイの良い男。4月にタンクトップかよ。腕、ふっと!入れ墨入ってるんですけど!
「…あのー、どなたか存じませんが、今急いでるんで、そこ通っても良いですか?」
じりじりと間合いを詰める大男を前に、一歩二歩と後ずさる。
「斎藤さん、とりあえず倉庫に突っ込みましょ。お楽しみはそれからで…」
積みあがったビールケースの向こうから三人の男がでてきた。こいつらあのときの三年生…?
お楽しみってまさか。
怖くて足がうまく動かない。でも、走って逃げないと!!
くるんと回れ右したタイミングで二の腕を掴まれ、そのまま壁に身体を押し付けられた。
怖くて足がすくんで、目に涙が溜まっていくのがわかる。
「口にガムテ貼れ。」
「はーい」
ニヤニヤしながら三年生の一人が近づいてきた、そのとき。
ガツッッ…!!!
紺のスラックスの脚がガムテを持った三年生の脇腹をえぐった。
そのまま呻きながら身体をくの字に折り曲げて膝まづく。
「手、出すなっつったの、忘れたのか?お前ら。躾なおしだな。」
「瀬戸…!」
残った三年生二人がうろたえながら私から離れた。
「あーあ。眼鏡、割れちゃったじゃねーかよ。」
大きめの黒ぶち眼鏡を拾いあげたのは、小柄な男の子。
「…あき、ら…くん?」
「だから言ったでしょ先輩。大通りを行ってくださいって。てか足はやすぎだろ。」
拾った眼鏡をゆっくりと胸ポケットに入れて、晃君は濡れた髪をかき上げた。
酷薄そうな目、獲物を追い詰めた肉食獣のような残酷な笑み。
だらんと両手が下がっているのに、小柄な体躯からこちらを圧倒するような物々しいプレッシャーが湧き出している。
初めて見る晃君の姿。
「は!てめえが瀬戸晃かよ。話は聞いてるぜ?俺の弟分どもに恥かかせてくれたってなあ?」
「恥って何?早乙女先輩の消しゴム返してもらっただけだろ。誰も見てないところでやったし、恥なんかかいてないっしょ。なあ?木村先輩。」
晃君にふっとばされて蹲っていた三年生木村が下からギロリと晃君を睨んだ。
「年下のチビのくせに、上級生にたてつこうってのが気にくわねえんだよ。うちの学校で一番の強者は俺だ!!」
「あっそ。俺そういうの興味ねえ。でもな、約束破ったからにはお仕置きさせてもらわねえとな。もう二度とオイタができないように。」
言い終わらないうちに晃君が右脚を振り、蹲った木村の腹にめり込んだ。
木村が再度ふきとばされて、口の端から血の混じった泡を垂らした。
「てめえ…。調子に乗ってんじゃねえぞこのチビ。ガキには大人の怖さを教えてやらねえとな。」
斎藤と呼ばれたタンクトップの大男が尻ポケットから何かを取り出し、腕を振ってそれを開いた。
暗い路地裏で瞬いたのは、刃渡り10センチほどのナイフ。
思わず息をのんで、私は口を手で抑えた。
斎藤は声は抑えているが息遣いは荒く、夜目にも目が血走っているのが見える。
晃君はブレザーの上着を脱いでポイと私に投げてよこした。
え?え?相手、刃物持ってるのにやる気!?
「おらっ」
斎藤がリーチの長い腕を繰り出す。
晃君はゆらりとそれをかわすが、四回目の攻撃を避け損なって、シャツの腹のあたりがバラリと切れた。
そしてその隙間から見えた腹に、斎藤がゴクリと唾を飲み込むのが聞こえた。
きれいに割れた腹には、黒一色で翼を広げた鷹が描かれていた。
「その、その腹の入れ墨、ブラフの…」
「あれ?ブラフ知ってんの?ちなみに俺、旧姓土浦っての。土浦晃。」
晃君は両手をスラックスのポケットに突っ込んで、コテンと首を傾げてみせた。
口元の笑みはきれいなのに、笑っていない瞳に底冷えがする。
「土浦…ブラフの…狂犬土浦…さん?」
短い吐息が斎藤の口からひっきりなしに漏れている。
仮面を外したように晃君の表情が消えた。
「わかったらとっとと失せろ。噛み殺すぞ?」
「…す、す、すいませんでしたぁ!!」
斎藤はナイフを置いて足をもつれさせながら走り去っていった。
一部始終を見ていた三年生も、意識がはっきりしない木村を二人が支えながらバタバタをその場を去った。
その後ろ姿に晃君は「ちなみに俺、18歳。君タチと同い年だからー。」と呼びかけていた。
ん?ちょっと待って?18歳?
「18歳?」
「うん。俺、中卒でしばらく働いてたから。早乙女先輩より年上だよ?」
ニヤリと片頬で笑った晃君は、前髪をあげただけでゾクリとするほどセクシーに見える。
「早乙女先輩の好みって、年上の強い男、だっけ?俺、立候補して良い?」
ゆっくりと晃君の手が伸びて、座り込んだ私の顎を掴んだ。
晃君のきれいな顔が近づいてくる。
あ、キス?
と思ったら、晃君は私の頬を熱い舌でベロリと舐めた。
「なんつってな。はは。しょっぺ。」
雨は、止んでいた。
その後、晃君はブレザーを着て私を家まで送ってくれた。
道々話を聞くと、シングルマザーで育ててくれたお母さんが再婚することになり、学費の工面が難しくて断念していた高校進学を義父が勧めてくれて、義父の家に引っ越すタイミングで高校受験をして入学したのだそうだ。
中卒で働ける口は少なくて、多少危ないバイトもしていたようで、身を守るためにそこら一帯で力を持っていたブラフというチームに入ったらしい。
お母さんの再婚と進学でチームを抜けたいと申し出たらしいが、そこそこヤンチャして名を売ってしまっていたので、今チームを抜けるのは危ないということで念のため名前だけチームに残すことをリーダーに勧められたらしい。
でもチームにも家族にも迷惑をかけたくなくて、なるべく元のヤンチャな自分とかけ離れたキャラを演じていたらしい。下手に大人しくしてるより、キャラを作ったほうがボロが出ないと思ったと。
…にしてもかけ離れすぎだろ。
で、キャラが出来上がりすぎて、登校初日に木村たちに絡まれてしまったところを私が割り込んでしまって、静かな高校生活のために、ついでに私の消しゴムを取り返すために、絡まれたその日の午前中に木村たちを体育倉庫に呼び出してボコったらしい。
仕事が早いね!
しかし、逆恨みした木村たちが私まで狙っていると察した晃君は、私の様子見に昼休みは教室へ顔を出し、帰りは家まで送るようにしてくれていたんだって。
わ、私、晃君を姉として守ってあげてるつもりだったけど、晃君が守ってくれてたってことよね?
ひやああああ!!!恥ずかしい!勘違い!私のこと好きなのかなって思ってた自意識過剰!そしてそれをわかったうえで護衛してくれてた晃君。死ぬ!!!
家まで送ってくれた晃君は、いつもの可愛いキャラでうちのお母さんに取り入り夕飯までしっかり食べて帰ったよ。
ぜんぜん引っ込み思案なんかじゃない。むしろ図々しい。
帰りしな、お母さんに隠れて私の頬を触って
「また明日な。お休み。」
ってニヤッと笑って。
こっちが本性の晃君かあああ!!!ヤバい!年上って年上ってヤバい!
私恋愛経験ゼロなんだからそういうの、からかうの、心臓もたないって…!
玄関で晃君を見送ったあと、お母さんが「晃君て女の子みたいに可愛いくて可憐ねえ!また連れてきてよ!」なんて言ってたけど、それ騙されてるから…。架空の子だから。
はい。次の日。
晃君は、眼鏡無しで前髪あげて昼休みに弁当便に来た。
「め、めがねは?」
「あれ、伊逹眼鏡。キャラ用。なんかもう木村たちにバレたし、義父もこっちの本性知ってるっぽいから、もういっかなぁって。」
ぽりぽりと右頬を左手で掻く晃君。
出入口に寄りかかって気だるげな雰囲気。
うん。年上だな。
「バレたならもう、私、狙われること無いでしょ?もうお弁当も帰りもしなくて良いよ。」
「やだ。お前めっちゃうまそうに俺の作った弁当食うんだもん。俺の作った飯で食い太らせたい。」
「ふ、ふと…!」
「お前、食うわりにおっぱい無いからな。」
「お!おっぱ!ぱ!…!」
金魚のように口をパクパクしだした私を見て、晃君が噴き出した。
「うそ。ただお前の顔が見たいだけだよ。帰り、部活終わったらいつもんとこでな。」
頭一つぶん低い晃君が、するりと私の頬を撫でる。
ふいっと身を翻して、晃君は私の教室から離れていった。
私の後ろからは、写メ撮った!?動画は!?マユが鼻血吹いた!などなど金切り声が聞こえるが、それどころじゃない。
私、完全に遊ばれてる…!?
可愛い子犬ちゃんだと思ってたのに、狂犬だったなんて聞いてない!!!
葵の消しゴムは、取り戻したは良いけどこれを渡したら木村たちを〆たことがバレると気づいた晃がこっそり保管しているそうです。