旅の終わり
■■■
棄獣を掃討したスヴェンとリコフォスが研究所へと戻ったときには、すっかり空が白んでいた。
「……終わったのかね?」
リビングへと入ると、エノテラが明かりも点けずに茫洋とした表情でソファーに腰掛けていた。まるで魂が抜けたかのように覇気がない。
「つつがなく――というには大分無茶をしましたが。博士の方こそどうされたのですか?」
応じたスヴェンにエノテラからひょいと小さな物体を投げられる。
空中で器用にキャッチしたそれは《エニグマ》だった。
「これは?」
「私の研究データが入っている。完成した、な」
「え、逃げる準備をされていたのでは……?」
「運動音痴なこの私が逃げたところで、逃げ切れる自信などなかったからな」
「なるほど……これはどうされる予定で?」
「君たちにくれてやる」
「え……」
「私には無用の長物になったからな。それに君たちの目的はそれだったのだろう?」
「それは……」
研究の完成が目的であることには違いない。だが、別に研究の成果自体を必要としていたわけではない。受け取るべきか否か。そもそも、無用の長物とはどういうことだろうか。
「――理術使いであることを隠していたのか?」
虚空へと視線をやるエノテラが静かに訊ねた。
あれほどの棄獣の大群を素手で倒せるはずもない。
そして、棄獣狩りのいないマレニアで、他の誰かが精霊術で倒したというのも考え辛い。
逆説的に、スヴェンたちが理術を使って倒したというのは自明の理だろう。
もっとも、推察はできたとしても、信じられるかはまた別の話だ。
何せ、量が量だ。棄獣狩りが聞いたら、「何を馬鹿なことを」と鼻で笑うだろう。
しかし、エノテラは信じて疑わないらしい。
リコフォスの正体やスヴェンがどんな理術を使って棄獣たちを滅却したのかも知らないはずなのに、だ。
「隠していたわけではないですよ『意味のない質問であることは、博士が一番理解しているでしょう?』と返しただけです」
「事実は正確に、かね?」
「嘘は吐いていないです。博士が勝手に判断し、勝手に納得しただけです――なんて、言葉遊びをしたところで今更無意味ですかね?」
スヴェンの問いに応じるようにエノテラが尋ね返した。
「理術を使えるか聞いたときがあっただろう?」
「ありましたね。それが何か?」
「君は人の思考を読めても、感情を理解していない」
「耳の痛い話ですね」
「今すぐ、街の者たちに理術を使えるかどうか訊ねてみるが良い」
エノテラの言葉の意味を探り、端と思い至る。
「街の者たちはきっと激怒するだろうな。当たり前のことをどうして訊くのだ、と。これが普通の反応だ。疑われて気分が良い者などいない。ましてやそれが、自分たちの信条に深く関わることであればなおさらだ」
しかし、スヴェンは疑われて怒るでもなく、ただ静かに質問で返したはずだ。
「言い忘れていたが、あの時点で相当怪しかったぞ? 気を付けたまえ」
「研究者らしく理性で応じたのが徒となりましたか」
「研究者らし過ぎたのだよ、研究者以上にな」
盲点だった。今後の教訓だ。
「それで、博士はどうされるつもりですか? 理術者とわかった僕たちを突き出しますか?」
「……いや。最早、どうだって良いな。問い詰める気力もない。もう疲れた」
「研究が完成して燃え尽きてしまわれたのですか?」
曖昧な反応を示すエノテラにスヴェンが問い掛けると、
「違うってーの。本っっっ当に心ない奴ね!」
リコフォスにズビシと指を差されてしまう。
「博士は復讐するつもりだったんだってーの」
「復讐?」
「世間の反発に耐えて研究を完成させ、この国の奴らに自分を認めさせて、反理術の論調を変える。そして、両親の事故の真相を暴き、真犯人や証拠隠滅に加担した奴らを炙り出すつもりだった――そうでしょ?」
問われたエノテラは小さく頷いた。
「補足するならば、マラガの両親の件についてもな。ただ、まさか私の親が当時者だったとは思いもしなかったが……」
皮肉気に笑うエノテラ。
「一体、私は何のために頑張ってきたのだろうな……」
「博士の研究は、世界を救います」
「世界など、私にとって大事だったときは、一瞬たりともない」
応じるエノテラはまるで抜け殻だ。覇気の欠片もない。
そもそも、研究とその先にある復讐のためにのみ腐心してきた彼女だ。
それがなくなった今、道を見失っているのだろう。
「博士はこの先どうされるのですか?」
「それを今の私に聞くのかね? 君は本当に非情な奴だ」
「博士に死なれたら困るので」
「私が自死を選ぶと?」
「自暴自棄になる可能性は十二分にあるかと」
「研究は完成した。今更私が必要になる場面などない。後は君たちが好きにすれば良い」
「いいえ。博士にはこの先も生きて歩んで貰わねば困ります」
「何故だ?」
「研究が完成したとはいえ、実用化し、一般に普及するまで多くの問題が発生するでしょう。無論、世界中の者たちがその問題に取り組むでしょうが、やはり博士の存在は欠かせないです」
それに、とスヴェンは続けた。
「何と言っても博士に死なれたら寝覚めが悪いですからね」
スヴェンが茶化すように肩を竦めると、エノテラは大きく息を吐いた。
「はぁぁ。君が寝覚めを気にするような人物だとは知らなかった」
呆れたように髪を掻き上げるエノテラの双眸に光が戻る。
「そりゃそうですよ。随分と長居したように思えますが、実際にはたかだか数日。博士は僕たちのことを何も知らないに等しい。同じように、博士が知らないことは世界中に満ちています。燃え尽きるには早いですよ」
「歳下の君が私に説くかね?」
「助手としての最後の仕事ですから」
「ふん。優秀な助手だったようで何よりだ」
「何でしたら、僕たちと一緒に来ますか?」
「……いや、止めておこう」
ゆっくりと首を横に振るエノテラ。
「道具が悪いわけではない。そんな当たり前のことは理解しているつもりだ。だが、理性と感情は、やはり別らしい。世間でどうだったかは知らないが、それでも私にとっては大切な父と母だ。両親を奪った理術をすぐには受け入れられそうにない。勿論、君たちのことを嫌いだとか憎んでいるだとかではないんだが……」
「となると、この国に残られるのですか?」
「いや……旅をしてみようと思う。君たちのように他の国に出向いて学んでみるというのも面白そうだ」
「それは良いですね。見聞が広まると聞きますし、もしかしたらまた見方が変わるかもしれないですね」
「だからーー君たちの助手としての仕事は終わりだ」
契約満了を告げられたスヴェンはエノテラに一礼し、二階の部屋へと向かう。
手早く荷物をまとめ、部屋を片付ける。短い間だったが、世話になった部屋だ。来た時に比べれば、多少綺麗にはしておいた。もっとも、彼女の性格を考えると、いつまで持つかわからないが。
「終わったか?」
荷物を持って部屋から出てきたリコフォスに確認する。
「滞りなくって感じぃ」
「名残惜しそうだな?」
「別にそんなんじゃないってーの!」
ムキになって反論してくるリコフォス。本当に分かり易い神様だ。
「それでは、短い間でしたが、お世話になりました」
「こちらこそ、ありがとう。ずっと私を護ってくれていたのだろう?」
「助手ですから」
おどけるように笑って見せるスヴェン。
「最後に、君たちの名前を教えてくれないか?」
「私は本名だってーの。正真正銘の、ね」
「正真正銘? ふむ。本名であるならば理解した。それで、君は?」
「僕ですか?」
「君だ」
「僕は――」
何と応じたものか少し考え、そしてスヴェンはエノテラを真っ直ぐに見た。
「――スヴェン。ユザ・スヴェンです」
「『ユザ・スヴェン』……? ちょっと待て……その名前――」
「――おっと、まずい! 走り兎が出払う前に確保しなきゃ!」
「おい、待ちたまえ――」
「――またどこかで!」
「体には気を付けろってーの!」
エノテラの制止を無視してスヴェンとリコフォスは走り出し、研究を後にするのだった。




