動き出す影
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実験を終えて研究所へと戻ったスヴェンとリコフォスを「ご苦労」とエノテラが迎える。
彼女は当然のようにデスク上のモニターを凝視したまま。
一瞥すらないことにスヴェンとリコフォスは顔を見合わせ、同時に肩を竦める。
エノテラと過ごした時間は僅かだが、彼女がどういう人物か理解するには十分だった。
起きている間は研究、研究、研究……。
寝る間はもちろん、食事を摂る時間も惜しみ、ただひたすらに研究に明け暮れている。その所為か、身だしなみ然り、言葉の選択然り、余計だと思ったもの一切を削ぎ落している。切り捨てていると言い換えても良い。
とにかく鬼気迫る勢いだ。何が彼女をそこまで研究に駆り立てるのかは不明。ただ、研究が人生と口にしたのもあながちーーいや全く以て過言でないことだけは明らかだ。
「《エニグマ》を起動した状態で街中をただ練り歩いただけですが、これだけで本当に良かったのでしょうか?」
スヴェンは《エニグマ》の画面をエノテラの前に翳す。通信ログだろうか。文字や数字の羅列がずらりと表示されているが、詳細については不明。解析は彼女に任せるしかない。
「問題ない。意図した通りに通信が行われ、情報が目的地まで到達するか確認できれば良い」
「なるほど、突然訪れた僕たちを採用した理由がわかりました」
「これくらいであれば、子どもにでも出来るからな」
「赤ちゃん扱いされずに済みそうで何よりです」
「明日は、同じことを別の場所でも実施する。しばらくはこれの繰り返しだ」
「良い運動になりそうですね」
「さて、今日は終わりだ。君たちは先に上がりたまえ。私はこの後少し出る」
「外出ですか……?」
「ペンテレのところのキャンディーが切れた。アレがないと頭が回らん」
「僕が買ってきましょうか?」
「不要だ。私も多少は運動が必要だろう」
「何もお忙しい博士ご自身が行かれずとも……」
「気遣いは無用だ。気分転換がてら歩きながら頭の中を整理したい」
「ですが……」
スヴェンがなおも食い下がると、エノテラに訝しむような視線を向けられてしまう。
「何だね? 君は私を買い物一つできない子どもとでも思っているのかね?」
「いえ、そういうわけでは……」
警戒させてしまっただろうか。これ以上は余計に怪しまれるだけだと判断。
研究所を後にするエノテラの背中を大人しく見送るのだった。
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研究所を後にしたエノテラは、ブルリと全身を震わせた。
秋、しかも夕暮れともなれば寒い。上着を持って来なかったことを後悔する。
いくら身だしなみに気を使わないとはいえ、風邪を引くのは馬鹿げている。
「それにしても……」
唐突にやってきた助手二人について考えてしまう。
助手と、助手の助手。
二人とも黄金色の髪と瞳だが、顔の構成はおよそ似ても似つかない。
接し方を見ていても兄妹でないことは明らかだ。
にもかかわらず、オルスタインよりも排他的なマレニアにまでわざわざ共に来たという。
故に、最初はてっきり恋仲なのだろうと思った。
助手志望と口にしておきながら、実にふざけた奴らだと。
しかし、端から見る限り、決して仲が良いというわけではなさそうだった。
それどころか、険悪のようにも思える。一方で、不思議なことに二人の息は合っている。
更に不可思議なのは、二人とも所謂研究者感がない点だ。
身に纏う気配が鋭いというか、隙がないというか……。
どちらかというと、マラガに近しい空気を感じる。
とはいえ、助手としての責務を遂行してくれるのであれば何も問題ない。
そう、何も問題はないはずなのだ……。
「……何だね、君たちは?」
突如、行く手を立ち塞ぐように曲がり角から男が現れた。
黒服にサングラス。一瞬、影が動き出したのかと錯覚してしまうほどの黒ずくめだ。
いかにもといった出で立ちに後退りをする。
しかし、背後からザリッという地面が擦れた音。
振り返ると、同じ格好の男がもう一人。前後を挟まれた形だ。
「私に用かね?」
問い掛けてみるが、当然の如く返事はなし。
男たちが無言のままジリッと一歩詰めてくる。
嫌がらせをしてくるような連中とは、明らかに毛色が違う。
何か使命を帯びたような、機械的に何かを遂行しようとしている意思が見受けられる。
そこから考えられることと言えば、あまり多くはないだろう。
何より、自分は研究をしている立場だ。研究を狙う者がいても何ら不思議ではない。
「さて、どうしたものか……」
周囲に通行人の姿はなし。
当然だ。普段から人気のあるところは避けている。
研究所兼自宅ですらあんな様だ。街中で姿を見られたらどんな面倒事に巻き込まれるか。
想像することすら億劫になるというものだ。
故に、助けは期待できない。
かといって、逃げ出しても振り切れる自信は全くない。
昔から運動は苦手だ。
抵抗したとしても、男二人相手では取り押さえられてしまうのがオチだろう。
それどころか、無駄に怪我する虞しかない。
結論。打つ手なし。
助手の提案を無下にするべきではなかったと反省する。
一人で出てきたのは、明らかに失敗だった、と。
一方で、ほんの少し安堵している自分もいる。
仮に助手と来ていたら、彼らの身も危険に晒すことになっていたはず。
その意味では、ある意味被害を最小限に抑えられたのかもしれない。
「良いだろう。大人しく投降――」
降参を示そうと両手を挙げた瞬間だった。
「――エノテラ博士っ!!」
血相を変えた助手の青年が息を切らしながら現れたのである。
「どうしてここにっ!?」
「話は後です!」
助手の青年が近寄ろうとした瞬間、男の一人が動く。
男は懐からナイフを取り出し、助手の青年に向けて突き出す。
しかし、彼はこれを軽々と躱すと、伸ばされた男の腕を絡め取り、そのまま背負うようにして地面に叩き付けた。そして、床に転がった男の股間と首に一撃ずつ見舞う。
男は失神したのか、悶絶することなく沈黙。そのままピクリともしない。
「痛っ!」
感心する間もなく、もう一人の男によって腕を捻じり上げられてしまう。
首元には冷たくてチクリとした鋭い感触。どうやら刃物の切っ先を突き付けられているらしい。人質のつもりだろう。
しかし、助手の青年は止まろうとしない。ズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出す。そして、目にも止まらぬ速さで腕を振るった。
ほぼ同時に、頭の後ろから「ギャアッ!」という短い悲鳴が上がる。
振り返ると、男が左目を押さえて倒れていた。傍には見覚えのあるペン。
「ペン先が尖っている理由がわかりましたか?」
「君の日常生活と道具の取り扱いに対しての認識が尖っていることだけは理解できた」
「親密になる条件である価値観の共有が、また一歩進んだようで何よりです」
助手の青年が最初の男にしたのと同様に、呻いている男のことも強引に黙らせる。
「遠ざかったの間違いではないかね?」
「まだ混乱されているようですね。襲われた直後ですからね、仕方のないことです」
「君なぁ……」
男たちが完全に沈黙したのを見届けて、助手の青年が流れるように彼らの懐をガサゴソと探り始める。
「駄目ですね。身元がわかるものがあればと思ったのですが……」
どうやら、彼らが何者かを突き止めようとしていたらしい。実に冷静だ。やはり、士官系の家に生まれただけのことはあるといったところか。
「今すぐにでも軍人になれそうだな?」
「博士から追い出されたら検討してみます」
ペンを回収した助手の青年が手を握ってくる。そして、振り払う暇もなく彼が地を蹴る。
疾走。疾走。疾走。
見掛けによらず身体能力が高いのか、グングンと引っ張られる。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ!」
少し走ったところでようやく彼の手を振り解くことに成功する。
「どうしたのですか? 早く逃げないと――」
「――どうして来た?」
「それは、えっと、博士が財布を研究所に忘れていたようでしたので……」
彼がポケットから財布を差し出してくる。
「重層世界が消え、データ化された通貨が使えずに混乱している外と違って、マレニアは未だ現金が現役ですからね。財布がないと困るかなと思いまして……」
確かに財布はエノテラのものだった。
中身を確認するが、特に盗られた様子もない。
「目の前で中身の確認ですか……さすがに良い気分はしないですね」
「お互いのためだ。わかるな?」
「ええ、勿論」
「どこにあった?」
「博士のデスクの上に」
「……デスクの上?」
「はい」
即答する助手の青年。真正面から覗き込むが、視線を揺るがすことも、身じろぎ一つすることも、汗一粒流すこともない。まるで動揺した素振りがない。
「はぁぁ……」
真実かどうか追及するだけ無駄だろう。
今は、何も盗られていないという事実こそが重要だ。
「あの、どうされました……?」
「何でもない。ほら、さっさと退散するのだろう?」
胡乱気な視線を向けられるが、無視して家路に就くのだった。




