エノテラ その2
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「ところで、表のアレはそのままにして良いのですか?」
スヴェンは、研究所の二階へと繋がる階段を昇りながら惨憺たる外観について訊ねた。
「嫌がらせのつもりだろうが、生憎、一切興味がなくてな。好きにさせている」
自身の住居だというのに、実に淡々とした口調だ。
「まぁ、窓を割られるのは勘弁して欲しいがな。雨や虫共が無遠慮に入ってくるし、何より寒い。いちいち修理するのも面倒だ」
「止めさせないのですか?」
「言葉を持つ者であれば、初めから言葉を使うだろう? そういうことだ」
階段を昇りきる。意外なことに、一階とは違って二階は片付いていた。
というより、散らかるほどのものがない、と言った方が正しいだろうか。
どの部屋もちょこんとベッドやデスクがあるくらいで、生活感がまるでない。
その僅かばかりの家具も長らく使われていないのだろう。
表面に埃が堆積し、層を成している。
「私は一階で寝ている。君たちは好きな部屋を使いたまえ。どれでも構わない」
「ですが、本当に良いのですか? 博士のご家族が使われていたお部屋ですよね?」
「気にする必要はない。物理的にも精神的にも整理はとうに終わっている」
エノテラが良しと言うのであれば、遠慮する必要はないだろう。ありがたく使わせてもらう。
「シャワーは順番制で良いな? 洗濯は自分でやりたまえ。ハウスメイドはしばらく前に辞めたからな」
「問題ないです。何か気を付けることはありますか?」
「特には。他に質問がなければシャワーを浴びてくる。どうやら私は『臭う』らしいからな?」
捨て台詞染みた言葉を残してエノテラが去っていく。
どうやら先ほどの発言を根に持たれているらしい。
「女性に『臭う』はあり得ないってーの」
静かについてきていたリコフォスが非難の目を向けてくる。
「ズボラな研究者が気にするとは思わなかった」
「研究者以前に女だってーの、馬鹿」
「はいはい。じゃあ、俺はこっちの部屋。リコフォスはそっちで良いか?」
「勝手に入ってきたら殺すから」
「お前の家じゃないだろうに……」
「『お前』?」
「光の女神様、の」
「リコフォスで良いってーの」
「はいはい。本当に面倒な神様だな……」
「はぁ!? 今何つったしぃ!?」
「おっと。まずい、つい心の声が漏れてしまった」
「ぶっ殺だってーの!!」
憤怒を露にしながら拳を握るリコフォスを尻目にドアを閉める。
部屋の外から何やら喚く声が聞こえて来るが、気の所為だろう。
まだマレニアには来たばかり。やらなければならないことは山積みだ。
――――――
手早く荷解きを終えたスヴェンは一階へと下りた。
エノテラの姿はない。まだシャワーを浴びているらしい。
間取りを把握するためにも研究所の中を見て回る。
元はリビングだったところを改装したのだろう。所々にかつての名残がある。
しかし、取り立てておかしなところはない。
故に、不自然。
盗聴器の一つや二つありそうなものだが、それらしきものは見当たらない。
監視系の理術が使われている気配もない。
或いは、精霊術が使われているのだろうか。
仮にそうだとしたら、近くにそれらしき精霊の姿がないのはおかしい。
第一、監視するならば常に精霊術を発動し続ける必要があるはずだが、恒常的な術の行使など聞いたことがない。
所詮、噂は噂でしかないのか。
単に、エノテラのことを面白く思っていない連中の行為を指しているだけなのか。
実際、彼女が狙われているという噂の出所が不明だ。
秘密裏に彼女のことを狙っているのだとしたら、どうしてそのような噂が立つのか。
……いや、判断するには早すぎるか。
まだ焦る段階ではないと思考をリセットしたときだった。
出窓のところに何かが倒れているのを発見する。
近付き、それが写真立てと気付いて逡巡。
しかし、躊躇いを振り払い、写真立てを手に取ると、そこにはエノテラの家族と思しき人物たちが写っていた。
「――若いだろう?」
背後から声を掛けられる。いつの間にかシャワーを浴び終えていたらしい。
写真を勝手に覗いているところをエノテラに見られてしまった。
「すみません、つい気になって――って、ちょっと!?!?」
盗み見たことを謝罪しようとスヴェンが振り返ると、視線の先には一糸纏わぬエノテラの姿があった。
彼女が全裸であることも驚愕だが、それ以上にシャワーを浴びる前とは、全く印象が異なっている。端的に表現するのであれば、所謂美人。しかも、スタイルが良い。ズボラの下にはとんでもない破壊力が隠されていたものだ。
「どうした? 何を驚いているのかね?」
「ななな、何で、裸なんですか!?」
「ん? あぁ、これは失敬。つい、いつもの癖でね」
「どんな癖ですか!?」
「体が冷めるまで何も着たくない。別に普通だろう?」
「裸で人前にいることとは別でしょう!?」
「ふむ。それはそうだ。失敬した」
バスローブで体を隠したエノテラが写真を手に取る。
「懐かしいな。目にしたのはいつ振りだろうか……」
苦笑するような言葉とは裏腹に、愛おしむように指の先で淵をなぞる。
研究者然としている彼女がそんな仕草をするのは、少しばかり意外だった。
「他は処分したのに、この写真だけは捨てられなかったのだ……」
「ちなみに、どんな事故だったのですか?」
「乗っていた馬車が暴走した、と言われている」
理術が否定されているマレニアでは、ルグリカ以上に理力車が普及していない。
懐古主義よろしく未だ馬車が移動手段の主流である。
当然、馬が暴走して事故を起こすこともある。
彼女の両親もまたありふれた不幸の一つに見舞われてしまったのだろう。
「おっと、いけない。君たちもシャワーを使うなら精霊が水を温めてくれている間に使いたまえ。ここの精霊は、何度も頼むと機嫌を損ねてしまうからね」
「リコフォスにも伝えてきます」
「――あぁ、一つ伝え忘れていた」
スヴェンがドアノブに手を掛けたタイミングでエノテラに呼び止められる。
「私は寝つきが良い」
「はぁ」
曖昧な返事で応じるスヴェン。
わざわざ呼び止めた割には何を言わんとしているかがわからない。
首を傾げると、エノテラが呆れるように目を細めた。
「察しが良いのか悪いのかわからない男だな。要するに、君が彼女とよろしくやっていようとも私は夢の中だ。安心したまえ」
「『よろしく』? 何のことです?」
「だから、交尾のことだ。しているのだろう? 彼女と」
「こここ、交尾ぃ!?」
「失敬。人と人がやることだ、性交と言うべきだった」
「言い方の問題じゃないですよ!!」
「ふむ。では、何が問題だと言うのかね?」
「ですから、僕と彼女はそういう関係ではありませんってば!!」
「驚いた。冗談のつもりかと思っていたが、本気だったのか……」
「博士のありがた迷惑な気遣いの方が冗談かと思いますよ……」
「女である私の目から見ても彼女は相当顔が良いぞ? てっきり、できているのだと……」
「冗談でも彼女の前で口にしないでくださいね? でないと、世界一くだらない理由で殺されることになりますよ?」
「わかった、わかった。殺すだなんて、そんな物騒な言葉を使われずとも二度と言わないさ」
エノテラは言葉の綾だと捉えているのだろうが、リコフォスの正体を知っているスヴェンとしては気が気ではない。
今でこそ、アウラという枷があるから行動を共にしているが、本来であれば口を利くことすら烏滸がましいような相手だ。自分など彼女の気分一つで吹き飛ばされてしまう。
そんな事情など露とも知らないエノテラのことが、スヴェンは少しだけ羨ましく感じるのだった。




