忍び寄る気配
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秋の晴れ空は天が高い。
空気が澄むことでそう感じられるそうだ。
しかし、ここパルテミシア大森林においては、その限りではない。
スヴェンは頭上へと視線をやりながら、丸めた両手にほぅっと吐息を当てた。
上空を覆う無数の巨大な葉。地上に届く太陽光は少なく、必然大森林の外に比べて気温が低い。秋という季節以上に肌寒く感じるのは、特殊な環境が原因だろう。
「さすがのロロリト族であっても寒いと見える」
スヴェンの視線の先には、家畜の世話をするロロリト族の姿があった。
少し前までは目のやり場に困るほどに露出の多い彼女たちだったが、この時期になると着込むらしい。といっても、寒さを苦手とするリーナシアに比べれば随分と軽装だが。
「――ここにいたか」
呼び掛けられてスヴェンは背後を振り返る。
声を掛けてきたのはミリアーナだった。
どうやら狩りを終えて帰ってきたらしい。彼女の後ろでは、息絶えた獣たちが並べられている。
「数が多くてな。手伝ってくれないか?」
ミリアーナから試すような視線と共にナイフを渡される。
解体の手が足りていないらしい。大猟もそれはそれで困りものということか。
「良いだろう。少しは上達したところを見せてやらないとな」
「しているさ。私の手解きを受けているのだ、上達しないはずがない」
「やれやれ……あまり、ハードルを上げてくれるな」
おどけるように肩を竦めて見せるスヴェン。
何かと手厳しい教官だが、面倒見は良い。教え方も丁寧だ。彼女の期待を裏切るわけにはいかないだろう。ナイフを握る手に少しばかり力が入ってしまう。
「それにしても、今日はなかなかの成果じゃないか。やはり狩人の腕が良いからか?」
ミリアーナに教わった通りに刃を滑らせていく。錆びたような血の臭いと甘い脂の臭いが漂い始める。
「なに、この時期奴らは、冬籠りに備えてほたほたと餌を探し歩いている。そこを射抜くだけだ。簡単なものさ」
飄々と応じるミリアーナだが、言葉ほどに簡単ではないことをスヴェンは知っている。
彼女たちの狩りに初めて同行した際、その技量の高さには驚かされたものだ。
真似するのは難しいだろうと、いたく感嘆した記憶がある。
「それに、以前と違って死の獣に怯懦する必要がないからな。狩りに集中できて助かっている」
ミリアーナたちが森を出歩くときには、棄獣対策でヴァルダを同行させている。
本人は面倒だの何だのと口では言うが、実際には毎回毎回きちんとついていく。
自分たちが、居候させてもらっている立場だということを理解しているのだろう。
「あいつは役に立っているか?」
「ああ。やる気のない風体だが、腕は本物だな。刃を向けたことを思い出して、ゾッとする」
初めて会ったときのことを言っているのだろう。
もう随分と昔のことのように思える。
それほど凝縮された時間を過ごしたということか。
「この分だと、冬に向けての準備は問題なさそうだな」
一頭目の解体を終えたスヴェンが額に浮かんだ汗を拭う。
大分慣れてきたとはいえ、最適には程遠い。改めて彼女たちの手際の良さに敬服する。
「安心はできない。保存食をなるべく作るようにしたり、家畜を育てたりしているが、元々実りが少ない土地だ。この時期にどれだけ食料を蓄えられるかで里の皆の未来に関わる」
フルフルと首を横に振るミリアーナ。
パルテミシア大森林は天をも覆うような巨樹で構成されている。
他の植物が育ちにくい環境下では、それらを餌とする獣たちの数も限られる。
家畜についても飼料の問題からなかなか頭数を増やせずにいるという。
加えて、例年と違ってスヴェンたちもいる。いつにも増して念入りに準備をする必要があるのだろう。匿ってくれた彼女たちにはいくら感謝しても足りないくらいだ。
「――苦労しているっぽいね」
突然、肩口から聞き慣れない声がした。
反射的に振り返り、手にしたナイフを構えるスヴェン。
そんな彼の眼前には、陽光を宿したかのような金髪の少女の姿が。
――近い。
虹彩の形がはっきりと見て取れるほどに近い。
問題は、そんな距離になるまで接近されたことに気付けなかったことだ。
「……何者だ?」
スヴェンは瞬き一つせずに訊ねる。
気を抜いたら一瞬でやられる距離。指一本として少女の動きを見逃さないように神経が張り詰める。
「ふん。この私を前にしてガンくれるなんて、ナッマイキ!!」
何やら機嫌を損ねたのか、少女が頬を膨らませ、プイと顔を逸らす。
どうやら敵意はなさそうだが、依然として油断はできない。
年齢は肉体を取り戻す前のアウラと同じくらいだろうか。端正な顔立ちだ。溌溂とした性格なのだろうか、仄暗い大森林の中にいても輝いているように見える。
闊達な少女――何も知らない者が少女を見たらそのように表現するだろう。
しかし、スヴェンの脳内では先ほどから警鐘が鳴り止まない。
見掛けとは裏腹に、フォブルやシーリアを軽く凌駕する存在感だ。スヴェンの背筋を冷たい汗が幾度となく垂れていく。敵意を向けられているわけでもないのに、圧倒されてしまうのだ。
「――やっと見つけた」
溜息交じりに近付いてきたのはアウラだ。
口振りから察するにスヴェンを探し回っていたらしい。
「スヴェン、ララーナが探して――って、えぇっ!?」
トコトコと呑気な足取りで近寄ってくるアウラの表情が、少女の顔を見た瞬間に凍り付く。
「ど、どうしてあんたがここに――」
「――お姉さまっ!!」
驚愕に目を見開いているアウラに少女がガバリと抱き着く。スリスリスリとひとしきり頬を擦り付けると、アウラの胸元に鼻を押し付け、深呼吸。
信愛表現にしては随分と過剰だ……。
アウラに所縁ある者と見るべきか。当のアウラはというと、形の良い眉をこの上なく寄せ、露骨に嫌そうな表情を浮かべたまま固まっている。
顔見知りではあるが、仲が良いとか、そういった反応ではなさそうだ。
そこまで考えて、端と思い当たる。
「ちょっと待て……アウラのことをお姉さまと呼ぶ存在って、まさか……」
「そうよ! この超絶美少女にして美麗極まる女神と言えばこの私! 光の女神リコフォス・ヴェナ・ヴァーラのことよっ!!」
アウラに抱き着いていた少女がスヴェンにズビシと指を突き付ける。
どうやら、秋の訪れは厄介な存在まで呼び寄せてしまったらしい――。




