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リーナシアの日常1

 長老エルザの館は里の奥まったところにある。


 丁度日が落ちた今の時間、アウラたちは館に戻っているはず。そう考えて、長らくの留守から戻ってきたスヴェンは、真っ直ぐエルザの館へと向かった。


「ただいまー」


 大きな襖を開けると、アウラたちのきょとんとした表情に出迎えられる。


「どうした? 揃いも揃ってそんな幽霊でも見たかのような顔しちゃって」


 スヴェンが首を傾げると、視線を落としたリーナシアが何やら呟く。


「……っと」


「え?」


「やっと帰ってきたっすかぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


「ごふっ!」


 スヴェンが反応するよりも速く弾丸のように飛びつくリーナシア。


「超心配したんすからねっ!? 連絡一つ寄越さないし、予定よりもずっと遅いしで、どれだけ不安だったかっ!!」


 スヴェンに抱き着いたリーナシアがグリグリと頭を押し付ける。


「ちょ、苦しいんだが……」


 引き剥がそうとするスヴェンに冷ややかな視線が集まる。


「どうせまた随分と無茶したんでしょう?」


 アウラが腕を組みながら辟易を露わにする。


「そんなことは――」


 ない、と答えようとして、アウラにキッと睨まれる。どうやら反論は意味を為さないらしい。大人しく降参を選択し、肩を竦めて応じる。


 アウラとスヴェンは理術契約により繋がっている。正確なところまではわからずとも、何か危急の事態が相手に起これば、もう片方にも伝わる。シーリアとの戦いの顛末も朧気ながら伝わっているのだろう。アウラには隠し切れないということだ。


「――まぁ、神器で脅されたり、ちょっとばかし心臓を貫かれたりしたくらいだ。大したことない」


「って、大したことありまくりじゃないっすかっ!?」


 くわっと目を見開いたリーナシアがぶんぶんとスヴェンを前後に揺さぶる。


「ほんっと、何してんすかっ!?」


「まぁまぁ。お兄さんのことだし、考えがあったんでしょ?」


 リーナシアを制したのはベルリアである。


「どうせまた、貧乏籤を引きに行ったんでしょ? 誰からも感謝なんてされないのにさ」


 辛辣な物言いだ。何やら言いたいことがあるらしい。スヴェンとしては苦笑するしかない。


「別にそんなつもりはないんだがな」


「お兄さんはそうだろうね。だけど、自覚がないのが一番罪だよ。現に、周りにいる奴らが心配しているじゃん」


 言われてスヴェンはグルリと見回した。

 アウラにヴァルダ、リーナシアにララーナにエルザ、ミリアーナまでもが非難をその顔にありありと浮かべている。


「……まぁ、お兄さんが合理的に考え抜いて、選んだ結果だってのは理解できるよ? 自分が死んだと見せかけることで、王国を救う。でも、本当の目的は自分が死んだと世界に誤認させることにある。追手の心配もなくなり、自由が手に入る――違うかな?」


「でも、そんな危険なこと……現に心臓を貫かれたというじゃないですか?」


 ララーナが心配から来る否定を投げ掛ける。


「それもどうせ、計算の上だったんじゃないの? あの【神喰らい】の力を借りてさ」


 どうやらベルリアには全てお見通しということらしい。彼女とスヴェンは、何かと境遇が似ている所為か、思考の癖とでも言うべきものが近しいのである。


「概ね予定通りに事を進めることができた。残念なことにな……」


 スヴェンにしては珍しく歯切れが悪い。その声にはどこか悔悟が混ざっている。それが彼自身に対してではなく、他の誰かを思ってのものだと気付いたベルリアは、つまらなさそうに「ふんっ」と鼻を鳴らしてそっぽを向くのだった。


「【神喰らい】であるイベリスの身体は人間よりも神のそれに近い。そして、そんなあいつと俺は同化している。大抵の傷はあいつに『喰らって』もらえば何とかなる。傷の肩代わりみたいなもんだな」


「でも、そう都合良く――」


 当然の疑問を口にしようとしたリーナシアをスヴェンが途中で遮る。


「――俺とイベリスの同化が進む、っていう代償はあるがな」


 告げられた事実にため息を吐いたのはアウラである。


「はぁぁ。やっぱり、そんなところだと思ったわよ。理術も使ったんでしょう?」


「……ああ」


「ほんに阿呆じゃな。何のためにあの魔人をその身に宿したのじゃ? あべこべではないか」


「エルザ様の言う通りですよ! あれほど無茶してはダメですと、スヴェン様のお体は限界ギリギリですと、そうお伝えしたじゃないですか!?」


「わかっているとも。ララーナの忠告を蔑ろにするつもりはなかった。本当だ。ただ、無茶をする必要があった。どうしても、な」


「お前さんがそう判断したのならオッサンが口を出すことはねぇけどよぉ、そんでもやっぱし他の奴らは心配するってもんだぁ。お前さんの判断が正しいかどうかに拘らず、なぁ」


「だな。できる限り気を付けるさ」


 本当に反省しているのか、言葉とは裏腹に飄々と応じるスヴェン。

 しかし、これがいけなかった。


「わかっていないっすっ!!」


 突然、リーナシアが声を荒らげる。

 あまりのその勢いに全員が弾かれたように彼女を見た。


「スヴェンは全っっっ然わかっていないっす!」


 柳眉を逆立てるリーナシアの目には誰が見てもわかるほどの涙。


「合理的? 予定通り? そんなのどうでも良いっす! 王国なんて……世界なんてどうでも良いっす!」


 駄々を捏ねるように頭をぶんぶんと振るリーナシア。


「スヴェンが無事だったらそれで良いんすよっ!」


「リーナシア……」


「アウラっちが、エルっちが、ララっちが無事だったら良いんす! 皆が無事だったらそれで良いんすよ! 世界なんて二の次、三の次なんすよっ」


 それがリーナシアの基準なのだろう。彼女の『皆』には、その他大勢は含まれていないのだ。あくまで身近な者たちだけなのである。


 見方によってはあまりに身勝手とも言えるその言葉に、しかしスヴェンを除く全員が顔を見合わせ、そして頷いた。誰も彼女の言葉を否定しないどころか、同意といった様相である。

 理解できていないのは、スヴェンただ一人だった。


「誰も彼もがそう考えていたらあっという間に世界なんてものは壊れる。嫌でも、誰かがやらなきゃならないときってのがあるんだよ」


「スヴェンである必要はないじゃないっすか!?」


「いや、俺に限っては当てはまらないだろうな」


「どうしてっすか!? 重層世界を消したからっすか!?」


「そうだ」


「それなら、アタシだってそうっす! オッサンもアウラっちも同じっす! スヴェンだけが辛い思いをする必要なんてないっす!」


「別に辛くは――」


 反論しようとしたスヴェンの左頬が大きく叩かれた。


「スヴェンは馬鹿っす!」


 キッと睨みつけたリーナシアは、次いで後悔を顔に浮かべる。クッと歯噛みし、そして逃げるようにその場から走り去った。


「何をそんなにムキになっているんだか……」


 ポツリと呟いたスヴェンの頭頂部にヴァルダの拳骨が振るわれる。


「ッテェな!! 何すん――」


「うるせぇ。黙って猫娘を追いかけやがれってぇのぉ」


「はぁ?」


「同感ね。あなたが悪いわ」


「俺が? どうして? 意味がわからないんだが」


「いやー。お兄さんの方が圧倒的に旗色悪いよ?」


「私も早く追いかけてあげた方が良いと思いますぅ」


「まぁ、その方が賢明じゃろうな」


「……ぬぅ」


 示し合わせたかのように満場一致。皆にこうまで言われては、スヴェンとしても追わないわけにはいかない。今回ばかりは、多数決の罠を案じる必要がないらしい。


「ったく。帰ってきてそうそう出立かよ。たまんねーな、おい」


 ボヤくように呟いてスヴェンはエルザの館を後にした。


   ――――――


(ああもう……っ!)


 すっかり暗くなった森の中をとぼとぼと歩きながらリーナシアは深いため息を吐いた。


(あんなこと言うつもりじゃなかったっすのに……)


 つい先ほどの自分の振る舞いを思い出して頭を抱えそうになる。


 スヴェンが帰ってきた、ただそれが嬉しかった。嬉しくて、何より安堵したのだ。

 スヴェンという青年は合理的な解を導き出そうとする。そして、弾き出される答えの多くが正しい。


 問題は、その計算の中にスヴェン自身が考慮されていないことにある。


(ほんっっっと、心配するこっちの身にもなりやがれっす……)


 思い返してまた腹が立ってきた。

 確かに、勝手に不安になってあれこれ気を揉んでいるのは自分だ。それは間違いない。


 しかし、だ。いくら何でも当の本人が自分自身に対して無頓着過ぎやしないか。それでは、心配しているこちらが馬鹿みたいではないか。


「ああもうっ!」


 怒りに任せて足元の小石を蹴る。

 その瞬間、頬に冷たい感触。何かと思っていると、次々と雫が髪や肌に触れて弾けていく。


 突然の雨にさらにげんなりとする。今はまだ小雨だが、この感じだとすぐに土砂降りになるだろう。


 帰るべきだと理性は訴えるが、今戻ったら間違いなくスヴェンと顔を合わせることになる。それだけは避けたい。しかし、夜の森は寒い。このまま雨に打たれていたらすぐに体力を奪われてしまう。


 どこか雨宿りできる場所を探さなければ――そう考えたときだった。


「っ!!」


 後方から気配。しかも、それはよく知っているものだ。よくもまぁ、正確に後を追ってきたものである。こと観察力においてスヴェンの右に出る者はそういないだろう。


「どんな顔をしろっていうんすかね……」


 やはり、感情のまま当たり散らしたのが良くない。あれでは、感情を制御できない子どもと何ら変わらない。それに、スヴェンだってやりたくてやったわけではないことは理解している。だからこそ、会いたくないのである。


「ほんっっっとに何にもわかってないんすから……」


 どのみち、時間を潰したら適当なタイミングで館に戻るつもりだった。それがこうして追われたら余計に戻り辛くなるではないか。


 ならばやることは一つ。


 ――逃走。


 獣人の身体能力に訴えれば、スヴェンを撒くことなど造作もない。決断して、地面を蹴る足に力を込める――その瞬間、そこにあるはずの地面が消失する。


 パルテミシア大森林は、神話に登場する巨人の胴体よりもなお太い巨木によって構成されている。葉っぱ一枚とっても家一軒を容易に覆うほどの大きさである。日中でさえ深夜と変わらないほどの暗さだというのに、夜ともなればいわずもがなである。いくら夜目が効くリーナシアと言えども、明かりなしでこの森を歩き回ることは不可能だ。しかし、逃げることに必死で、居場所を掴まれたくなくて明かりを灯すのを失念していたのである。


「やばっ……!」


 この辺りは切り立った崖が多いとララーナが言っていた。棄獣の侵入を防ぐには良いが、散策するには向かず、絶対に近寄らないようにと、強く言い含められていたことを思い出す。

 咄嗟に何か掴めるものを求めて手を伸ばすが、虚空を掻いて終わる。


(ほんっと最悪っす……)


 浮遊感に包まれる中、後悔ばかりが押し寄せる。


「――何やってんだ馬鹿っ!」


 突如、衝撃と共に落下が止まる。見上げると崖肌に剣を突き立てたスヴェンがいた。


「スヴェン……?」


「他に誰に見えるってんだ?」


 崖肌に剣を突き刺し、リーナシアの腕を掴んだスヴェンが呆れた様子で応じる。


「いや、そりゃそうっすけど……」


「ったく、あれほどこの辺りには来るなって言われただろうが」


 スヴェンが説教するようにそう言うと、リーナシアは納得できないとばかりに頬を膨らませた。


「人の話を聞かないスヴェンに言われたくないっす」


「お前なぁ……」


 反論しようとしたスヴェンの言葉を、「でも」とリーナシアが遮る。


「助けてくれてありがとうっす……」


 視線を逸らしながら小さく口にするリーナシア。


「…………」


 スヴェンは一瞬目を見開き、そしてゆっくりと目を閉じた。その唇の端は僅かに吊り上がっている。


「……はぁぁ。俺も悪かったよ。今度から善処する」


 大きな溜め息の後に、謝罪を一つ。スヴェンとしても思うところはあるのだろう。今度ばかりは本心から口にしているらしい。


「さてと、どうしたもんかね……」


 崖上へと視線を移すスヴェン。


「結構落ちちゃったぽいっすよね……」


 落下していたのはほんの数秒だが、雨が降っているこの状況で、崖肌をよじ登るのは困難だろう。しかも雨足はかなり強くなっている。ただでさえ効かない視界がさらに狭められる。理術で光球を作り出すが、地面まであとどれくらいあるのか見えない。


 それに、雨で濡れた手でスヴェンがいつまでこの状況を保っていられるかという問題もある。幸いにもとでも言うべきか、スヴェンが命を預けている剣は特別製らしく、二人分の体重を軽々と受け止めている。どちらかというと、それが突き立てられている崖の方を心配するべきだろう。いつ崩れてもおかしくない。


「っと、あれって洞窟っすかね?」


 目を凝らしたリーナシアは少し下に窪みがあるのを見つけた。


「洞窟と呼べるほど深いと良いんだけどな」


「まぁ、こうしてぶら下がっているよりは良いんじゃないっすかね?」


「それもそうか。合図したら手を放すぞ?」


「良いっすよ」


「それじゃ、一、二の三!」


 振り子の要領で勢いを付け、合図と共にスヴェンは手を離した。リーナシアは寸分違わず窪みの中に入り込む。


「次はスヴェンの番っすよ」


「しっかりキャッチしてくれよ?」


「任せてくださいっす!」


 意気揚々と応じてリーナシアは落下してくるスヴェンを掴むと、乱暴に窪みの中に引きずりこんだ。


「痛ってぇ……」


「あはは。ごめんごめんっす」


 カラカラと笑うリーナシア。そんな無邪気な態度を取られたら叱ることなどできようはずもない。


「やっぱり、洞窟というにはちょっとばかし狭いな」


「そうっすね……」


 応じるリーナシア。自分とスヴェン身を寄せて詰めれば何とか雨を凌げる、というくらいの大きさだ。

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