激突
■■■
時は少し遡り。
「――なんだって!?」
告げられた事実に珍しくスヴェンが目を剥く。
「帝国がトーリンデルスを攻めるだって!?」
「らしいぜぇ?」
お手上げとばかりに応じたのはヴァルダである。
「このご時世で帝国に食糧生産国である王国まで押さえられたら、どこも奴らに抵抗できなくなっちまうだろうなぁ」
「もしそうなったらどうなるっすか?」
「世界征服なんて阿呆みたいな話が、現実味を帯びてくるだろうなぁ」
「そんなの……どれくらいの人が死ぬっすか?」
「さぁてなぁ。いっそこの際だ、一国に統一されてみるってのもありかもしれねぇがなぁ」
「馬鹿言ってる場合かしら? あの帝国よ? まともな統治がされるとは思えないわ」
「同感だな」
アウラの言葉に同意するようにスヴェンは小さく頷いた。
「で? わかっていてどうするつもりなのかしら?」
「そりゃー、何とかするしかないだろ」
そもそも理由はどうあれ重層世界を消したのは自分たちだ。であれば、自分たちがこの事態を引き起きしたも同然だ。ならば、自分たちこそが動くべきである。
「何とかって、どうするつもりです? まさか、帝国に乗り込む気ですか……?」
恐る恐るといった様子でララーナが訊ねてくる。
「惜しいな」
「惜しい!? 本気ですかっ!?」
「本気も本気。ただ、乗り込むのは帝国じゃなくて王国だけどな」
「王……国……?」
「まさか、一人で行くつもりじゃなかろうな?」
エルザが呆れたように問い掛けてくる。
「そのまさかさ」
「ほんに阿呆じゃのう。一人で何ができる?」
「さてな。やれることをやるだけさ」
「阿呆。一人で、という部分について言及しておるのじゃ」
エルザが手にした扇をスヴェンの額に向けて突き出してくる。
「つったって、お前らロロリト族以外全員顔が割れているからな。それに、もしお前らが外に出てバレたらそれこそ問題だ」
「それはそうじゃが……」
ぐぬぬ、と悔しそうに爪を噛むエルザ。
「ですが、それはスヴェン様も同じなのではないですか?」
ララーナの至極もっともな疑問にスヴェンは薄く笑う。
「どんな因果か、折角同居しているんだ。この際とことん付き合ってもらうさ」
そう応じたスヴェンの瞳と髪が次の瞬間、鮮やかな金色に変じた。
■■■
「その風体……その名前……まさか……!?」
ハッとした様子で口元を押さえるシーリア。眼前の光景が信じられないとばかりにその目を限界まで剥いている。
「【教皇殺し】……ユザ・スヴェン……?」
「王族殺しを追加するのも忘れないでくれ。折角の手柄だからな」
フッと小さく笑ったスヴェンの姿が消える。
「キャッ――」
直後、短い悲鳴。
スヴェンがシレネの腹部に颶風を伴った蹴りを放ったのである。
あまりの速さに回避どころか、防御する間も無くシレネが巨龍の尾に薙ぎ払われたかのように吹き飛ばされる。
突然の事態に誰もが唖然としている中、壁に叩き付けられた彼女はそのままぐったりとした様子で床へとずり落ちていく。
無事でないことは、誰の目から見ても明らかだった。その証拠にシレネは、立ち上がることはおろか、呻くことすらしない。
「シレネ!?」
人が鞠のように飛ばされる瞬間を目にするときが来ようとは。
あんな攻撃を不意に受けて無事でいられるとは考え辛い。
シレネの安否が気掛かりだ。
今すぐにでも倒れ伏す彼女の許に駆け寄りたい。
しかし、できない。
それを許されていない。
地に足を縫い付けられたかのように動けないのだ。
カミツレ――いやスヴェンから尋常ならざる威圧がこれでもかとばかりに放たれているのである。
あまりのプレッシャーに、シーリアをしてともすれば背を向けて逃げ出してしまいそうになる。
――恐怖。
シーリアの額から玉のような汗が流れ顎先から零れ落ちる。
ここ久しく、いや未だかつて感じたことのない戦慄に全身が震える。
何より、未だ目の前で起きたことが信じられない。
あの能天気で図々しくて馬鹿を塗り固めたようなカミツレが重層世界を消滅させたユザ・スヴェンだというのか。
信じられない。信じたくはない。
だが、目の前の現実がその思いを否定する。
「……望み通り終わらせてやった。それとも第二王子のように跡形もなく滅却しておくべきだったかな?」
おどけるように聞いてくるスヴェンだが、シーリアにはそれを面白く感じる余裕など微塵もなかった。
「……噂じゃ重層世界を消した張本人らしいじゃないの?」
「らしいな」
否定する素振りを一切見せないスヴェン。
何をどうすれば世界を一つ消すなどという芸当がただの人間にできるのか、シーリアにしてみれば想像もつかない。いっそ虚言だと言われた方が余程理解できるというものだ。
しかし、現に重層世界との通信は途絶え、世界中が大混乱に陥っている。
それに、わざわざ大罪を自ら負うような嘘を吐く理由が思い付かない。
何より、大真面目な彼の声音と態度が冗談を言っているようには見えないのだ。
「教皇を殺したのも……?」
スヴェンはただ肩を竦めるばかり。否定するつもりはないらしい。俄には信じ難いが、やはり噂は本当ということか。
「どうして……?」
「必要性があった。そして、それを成せる者がその場に居合わせた。それだけの話だ」
吐き捨てるでも、説き伏せるでもなく、ただひたすらに淡々と応じるスヴェン。あまりに淡泊なその声音が、機械的な抑揚のなさが虚実ではないと訴えている。
本当にカミツレとスヴェンは同一人物なのか。目の前で変わる瞬間を見ていたというのに信じられないほどの変貌ぶりである。
そして、人を殺め、重層世界を滅ぼし、今もなお世界中の人々を苦しむ原因を作った張本人が、まるでそれを意に介していないかのような素振りをしているのが納得できない。
「必要性? 必要性があれば人を殺しても……世界を一つ消しても良いの……? 誰が必要だって決めたの? わからない! わからないわ……」
理解を拒むように頭を振るシーリア。
「あなたの所為でたくさんの人が死んだのよ……?」
沸々と湧き上がる怒りに握りしめた拳が小さく震える。
「あなたが重層世界を消したりしたからサバル兄様やシレネだって……」
半ば言い掛かりの糾弾。
しかし――
「――そうだな」
返ってきたのは反論でも言い訳でもなく、まさかの肯定だった。
「えっ……!?」
「君には理解できないし、そもそも理解してもらおうとも思っていない」
歩み寄る余地はない――スヴェンはそう結論付けているのだ。
シーリア自身、いくら言葉を重ねられても理解できるとは思っていない。理解したいとも思っていない。それでも、何かしらの反応が返ってくると思っていた。何らかの釈明があると思っていた。
ところが、だ。
それすらもなく、スヴェンはただ受け入れるばかり。
それが納得できず、怒りも収まらず……。
「どうして!? どうしてそんなに簡単に――」
「――結論は変わらない。勿論、事実もな。やると決めたらやる。それだけの話だ」
シーリアの言葉を遮ったスヴェンの理力がさらに膨張していく。彼を中心に迸る理力の波濤に屈強な警邏隊員たちが後退りする。
彼女としてもこれほどの理術者と対峙したことはない。それどころか、大陸を見渡しても探し出すのは困難だろう。絶望的な分析に思わず小さく舌打ちをする。
「どうやら虚仮威しというわけじゃないってことね……」
「まぁな。世界を一つ消すことに比べれば、王族だか何だか知らないが、人ひとり消すことくらいわけない」
自ら王族殺しを認めていくスヴェン。
唐突な変貌に、サバルの殺害。その真意がまるでわからない。そもそもどうして自分と行動を共にしていたのか、何を目的にこの国に来たのか、そして、なぜ教皇を殺し、重層世界を消したのか。全くもって謎である。
「どうした? 来ないのか?」
混乱を隠せずにいるシーリアを挑発するかのように両腕を広げるスヴェン。
「来ないのなら、遠慮なくこっちから行かせてもらおうじゃないか」
言った瞬間、スヴェンが床を蹴る。シーリア目掛けて疾走しながら右手が振るわれる。すると、その軌跡をなぞるように炎が噴き出す。溢れた炎は霧散することなく、ギュッと圧縮され、太刀となってスヴェンの右手に収まる。これまで彼の獲物は理力銃だとばかり思っていたがどうやらそれは間違いだったらしい。
右手に炎の太刀、左手にナイフ。独特の構えだ。純粋な力での打ち合いよりも防御に主体を置いた戦いを得意としているのだろうか。圧倒的な理力を纏うその姿には似つかわしくない。
歯向かう者は容赦なく屠る――そんな意思を吹き荒れる炎から感じる。そして、それはただの勘違いではないだろう。あれだけの力だ、人ひとり滅却するのは容易いことだろう。
そこまで考えたところで、ハッとする。
「その炎……まさかサイフォンのアジトで現れた『影』って……」
「ああ、まさか、裏社会の警備があんなに緩いとは思わなかった」
シーリアたちが戦っている間にスヴェンは先回りをしてサイフォンに接触していたのだろう。
それであれば、彼が真っ先にシレネを疑った理由もわかる。
「なるほどね……何から何まで信じられないことばかりね」
「驚いてもらえたようで何よりだ」
「どうしてサバル兄様を?」
「部外者の俺から見ても奴はこの国の病巣だ。疑いようもない。それに、シレネの仇の一人でもあるんだったか? 控えめに言っても死ぬべきだろうな。何なら、君たちには到底できないだろうことを省略してやったんだ。少しは喜んだらどうだ?」
そう言って振り下ろされるスヴェンの剣閃は鋭い。
その一動作を見ただけでどれほどの修練を積んできたのか、シーリアには――【剣神の娘】にはわかってしまうのだ。
そして何より、その剣に一切の迷いも、躊躇も、容赦もないということを。
――本気。
本気で殺しに来ている。
過ごした時間が僅かとはいえ、一緒に料理を作り、食べ、協力した自分をだ。
(躊躇していたら、こっちが負ける……っ!)
打ち合いながらクッと歯噛みする。
頭ではわかっている。わかっているのだが、どうしても剣に迷いが出てしまう。その結果反応が遅れ、対応が遅れ、動きが目に見えて鈍くなってしまっているのである。
焦燥に次ぐ苛立ち。
そして、何より怒り。
【剣神の娘】と切り結べるだけの技量を持ちながらにして、なぜ正しくその力を振るえなかったのか。もっとやりようはあったのではないか。疑問が追求となって次から次へと湧き出る。
「それでも! それでもサバル兄様は法で裁くべきだった!」
「優等生らしい言葉だ」スヴェンが皮肉気に唇の端を吊り上げる。「それで、本気であいつを捕まえられるとでも? 足取りどころか、影すら掴めなかった君たちに? 断言しよう。不可能だ」
「それは……」
「それに、言ったはずだ。俺はやると決めたらやる。邪魔をしたいのなら、君もそうすれば良い。簡単な話だ」
「認めない! 私刑など論外よ!」
「生憎、俺は無宗教でね――」
振るわれた太刀の軌跡をなぞるように炎が噴き出し、熱波が謁見の間を駆け抜けていく。
「――君の宗教に興味はない。異論があるなら、それを押し通すだけの力を見せるべきでは?」
轟、と再び焔が吹き荒れる。
強烈な熱波を前にシーリアは一度距離を取る。
「ユザ・スヴェンは理術を使えないって話じゃなかったの!?」
「重要なのは、眼前の事実だ」
にべもなく切って捨てるスヴェン。その口調はどこまでも怜悧だ。
シーリアは擬人と評したが、それが間違いだったと気付く。
擬人は単に決められた動きを再現しているだけだ。機械的に処理しているだけに過ぎず、そこに感情はない。
しかし、スヴェンは違う。感情が何かを理解し、その上で凍土の如く冷え切り、どこまでも無機質なのである。まるで抜身の刃の切っ先のようだ。
額から流れる汗を無視して、剣を握り直す。目の前にいるスヴェンからは圧倒的な闘気。腹立つくらい能天気で無邪気なカミツレと同一人物とはとても思えない。豹変の瞬間を目と鼻の先で目の当たりにしたというのに、未だに信じられない。
「それでも……!」
歯を食いしばり、先に斬り込んだのはシーリアだ。【剣神の娘】としての自分の力に疑う余地はない。
カミツレ――いや、スヴェンの言う通りである。相手が誰であろうと、やることに変わりはない。
上段に構えた状態から袈裟懸けに振り下ろす。
渾身の一撃は、しかしひらりとスヴェンに避けられてしまう。すぐさま横薙ぎを叩き込むが、またしても躱される。
「どうして当たらないのっ!?」
少し斬り結んだだけでわかる。スヴェンは強い。間違いなく強い。
そこいらの腕自慢程度では相手にならないだろう。王国の騎士たちでも彼に敵うのは果たしてどれだけいるのだろうか。
我流のような太刀筋には多少の荒さがあるものの、随分と実戦慣れしている印象を受ける。一つ一つの動きに迷いがなく、判断しても正確だ。
何より、戦いというものを熟知している。
元は棄獣狩りを生業にしていたあたり、普段から鉄火場に身を置いていたからだろう。
とはいえ、相手が棄獣と人ではあまりに違い過ぎることを考えると、対人戦に秀で過ぎている気もする。何かしらの秘密がありそうだが、現状では知る由もない。
そんなことよりも大きな謎が残っている。
それは、技量では自分の方が勝っているのに、こちらの攻撃が擦りもしないということだ。
単純な剣の腕前では、スヴェンを凌駕している。その確信がある。【剣神の娘】としての見立てに間違いはない。
だというのに、何度試しても綺麗に躱されてしまうのである。
「どうしてだって? 君はその剣技を俺の前で惜しみなく披露してくれたじゃないか? それも、何度もね」
何を当たり前のことをとでも言うかのようなスヴェン。その口調はどこまでも平静だ。
シーリアの剣が戻されるよりも早くスヴェンが動く。
ナイフによる鋭い突きの連続が襲い掛かる。『プロト・グラディウス』で捌くが、間隙を縫うかのように放たれた回し蹴りが彼女を捉える。
「ガッ……!」
防御も回避もできずに横腹に直撃する。悶絶する間も無く、吹き飛ばされた先に距離を詰めたスヴェンが迫り、炎の太刀が振り下ろされる。
シーリアは全身の発条を総動員し、跳ね起きて『プロト・グラディウス』で受けようとする。
剣と剣が衝突するその刹那、嫌な予感。
直感に従い、体は剣を振るった方の反対側へと逃がす。
直後、信じられない光景が目の前に繰り広げられる。
「そんなっ!?」
シーリアの眼前で剣が中ほどから断ち斬られる。本来あるはずの交錯の衝撃がなく、腕が勢いに流される。そのすぐ側を熱波が撫でていく。少し前まで体があったところをスヴェンの炎の刃が通過した余波である。
直観に背き、あの場に留まっていたら、今頃右半身と左半身に分けられていたことだろう。戦慄しながら半分になった剣を見てさらに驚く。
ただ斬られたのではない。切断面が橙色になり、熔解しているのである。
「プロトとはいえ神器たる剣が……!?」
「なに、取り立てて驚くことじゃない――」
ブン、と炎の刃を振るうスヴェン。
「――格の違いって奴さ」
「くっ――」
どうにかスヴェンの攻撃を躱そうとするが、間に合わないことを察する。
しかし、いつまで経っても衝撃が来ない。
あろうことか、スヴェンはその太刀の切っ先を降ろし、自分が体勢を立て直すのを待っているではないか。
――手を抜かれたっ!?
突き付けられた事実に衝撃と怒りが沸き上がる。
「舐めているのかっ!」
「これは失礼。あまりに呆気なさすぎてね。何かの罠かと警戒してしまったんだ。まさか、【剣神の娘】がこんなに弱いはずがない、ってな。他意はない」
「貴様ぁぁぁぁ!」
この上ない挑発にシーリアは激昂。
後に払う代償など気にも留めず、『プロト・グラディウス』を召喚。権限した神器を手に取り、距離を詰める。裂帛の気合と共に持ち得る限りの技を振るおうとして、脳内で警鐘が鳴り響く。慌てて急停止すると、目の前を地獄の業火が駆け抜けていく。
「世界を滅却せし力……見せてやるぜ?」
スヴェンの理力が一気に膨らみ、爆発する。
世界が白に染まった瞬間、天井が弾け、謁見の間が吹き飛ぶ。
「これは……」
シーリアが絶望を口にする。
あまりの高温に付近が灼熱色になって煮えたっていた。理術障壁がなければ、今頃熱波に肺がやられてしまっていたことだろう。
ハッとして周囲を見回す。幸いなことに、防御が間に合ったのか、或いは手加減されたのか、他の者たちも無事なようだった。
「炎の化身……」
――誰かが呟いた。
揺らめく空気の向こうに悠然と立つスヴェン。その全身からは炎が溢れ出している。
「これほどの力……しかも全てを燃やし尽くさんばかりの炎……まるで神話の【滅火】のような……」
言って、シーリアは首を横に振った。かの【災厄の化神】は千年も前に討たれているのだ。
「いえ、今はそんなのどうでも良いことね……」
圧倒的な力を前に歯噛みする。推測は意味をなさない。目の前に強大な敵がいる。その事実に変わりはない。
焦げ付く空気。全身が竦む。沸騰するかのような空気と反対に肌は粟立っている。本能が撤退を叫んでいるのだ。それでも、引き下がれない。ここで引き下がったら【剣神の娘】としての自分はおろか、この場にいる全員が死ぬことになる。何より、この大罪人を野放しにするわけにはいかない。何を思い、何を理由にこれだけのことをしでかしたのか、詳らかにする必要がある。故に一歩。一歩を踏み出すのである。
「ほぅ。今のを見て、なおも立ち向かってくるか」
「一時でも貴様と馴れあった自分が許せない……」
そして、少しでも彼に好意を持ったことが悔しくて堪らない。裏切られたという思いが募りに募っていく。
「そう自分を責めるなって。俺が二枚も三枚も上手だっただけさ」
「ほざけ!」
シーリアは剣を構え、理力を流し込む。今度はスヴェンの剣も受け止められるようにするためだ。剣戟に持ち込めば勝機はあると踏んでのことである。
「くらえっ!」
一層の理力を『プロト・グラディウス』に込め、袈裟懸けに振り下ろす。本来であれば、鋼鉄の塊ですら易々と裁断できるはずのその一撃は、しかしあっさりと受け止められてしまう。
相変わらず、その刃から流れてくるものはない。これほどまでの力を持つ相手だというのに、何も読めない。髪の毛先から爪先までどこまでも不可解な人物だ。まるでちぐはぐである。
「まだっ!」
――絶技【叉散華】。
空中に出現した剣が二股に分裂し、そこからさらに分裂を繰り返す。無数の先端となった剣先がスヴェンに向けて放たれる。剣舞というには単純で、優美さの欠片もないが、その威力は凄まじい。猛烈な勢いで床に突き刺さる切っ先により、もうもうと粉塵が立ち込める。
しばらくして煙が晴れ、そしてシーリアは絶句した。
「嘘でしょう……」
晴れていく煙の向こうから無傷のスヴェンが現れる。
あの数の攻撃を全て躱し、往なしたというのか。
理術を使ったとしても、正確に剣の軌跡や到達順を読めなければ不可能な芸当だ。そんなことができるとすれば、膨大なまでの演算を瞬時に実行できる擬人くらいのものだろう。
それを人の身で成し遂げたというのか。
シーリアをして瞠目するほどの戦闘力。
それに、人の許容量を超越しているとしか思えない理力の奔流。
これほどの術者がかつていただろうか。
いや、いない。あり得ない。到底考えられない。人智を超えているとしか思えない。悪い冗談だ。
しかし、どれだけ否定したところで、眼前の光景が現実であることを証明している。
「それなら……」
理術が駄目ならば、やはり剣の腕で勝負するしかない。いくら読まれていようとも、地の力は覆せないはずだ。
シーリアは、すぐさま次の攻撃を繰り出す。剣先がスヴェンに到達しようとするその瞬間、彼女の目の前に裸同然の女性が出現。
「――は?」
何が起きたか理解できず、一瞬だが動きを止めてしまう。直後、左腕に鋭い痛み。視界にスヴェンを捉えると、ナイフに付着した血を払っているところだった。
「――なんてことはない」と、興味なさそうに応じるスヴェン。「立体映像だ」
スヴェンの言う通り、剣を振るうと女性の体を無造作に通過していく。
「……どこまでもふざけているわね」
明らかな隙。しかし見逃された。またもや手を抜かれた。完全に遊ばれているのである。【剣神の娘】が、だ。だが、スヴェンは飄々と肩を竦めるばかりだ。
「まぁ、お強い【剣神の娘】には不要な技だろうな」
「皮肉かしら? まるで自分が弱いとでも言いたげね」
「まるでじゃないさ、事実だよ」
スヴェンの全身から噴き出すように爆炎が迸る。
堪らずシーリアは後退を選択。
眼前の敵はふざけた態度をとっているが、これまで出会ってきた誰よりも強い。下手すれば――いや確実に『今』の自分よりも強い。
だからこそわからない。
どうして、スヴェンがこんなことを企んだのか。
「それほどの力がありながらどうして……!?」
「……関係ないな」
まるで興味がないとばかりに淡々と応じるスヴェン。
「たまたまそこに居合わせた、それだけだ。力の有無じゃない」
応じてスヴェンが床を蹴る。あまりの衝撃にその移動だけで宮殿が揺れる。
「……やっぱり駄目ね」
視線を落としたシーリアがポツリと呟く。その瞬間、初めてスヴェンの剣が弾かれる。
「……何が?」
「あなたの考えが理解できないってことよ!」
顔を上げたシーリアの闘気が爆発する。たまらずスヴェンが後退を選択。その隙にシーリアの理力が練り上げられていく。
「ちょ! シーリアちゃん! ソレは拙いよ!」
何かを察したのか、戦いを見つめていたスタークがシーリアを止める。しかし、彼女はその制止を無視して剣で己の掌に傷を付ける。
「【剣神の娘】イカイダ・グラジオラス・シーリアの名において顕現せよ! 剣神サルファリア・バル・グラジオラス!!」
シーリアが叫ぶと同時に、彼女を中心として突風が吹き荒れる。
『――呼んだかしら?』
シーリアに宿ったサルファリアが超然たる声で問い掛ける。
「久しぶりね。あなたの力を貸して欲しいの」
『あたしの力を直接使うなんてね……当然理解しているのでしょうね?』
「代償のことなら構わないわ。どうせ、私の力だけでは届かないみたいだし」
『あなたにそんなことを言わせる奴が……』
スヴェンを見たサルファリアが息を呑む。
『なるほどね……これは驚いたわ……』
「おお。さすが神様。何でもお見通しってか?」
『ふざけた奴ね。でも、その力は、その態度ほど薄っぺらくないってのが、腹立つじゃないの』
「だから、あなたの力を貸してほしいの」
『良いけど、生半可じゃ無理よ? あれは、この世の理を外れているんだもの』
サルファリアがスヴェンに何を見たのかはわからない。彼女の言葉の真意もわからないし、きっと自分には理解できないのだろう。
それでも、半端な覚悟では足りないことだけは理解できた。
「承知の上よ!」
『もう……本当に仕方のない子ね……』
諦めるようにサルファリアがため息を吐く。
「あなたと契約しているくらいだもの。今に始まったことじゃないわよ。そうでしょう?」
『それもそうね』
サルファリアが笑うと、シーリアは内側から力が溢れてくるのを感じた。
サルファリアの力をこの世に権限させるこの状態は反動も大きい。限界を超える力の行使は肉体に多大な負荷を掛ける。文字通り、命を縮めて初めて為せる技である。
「だけど、その分強いわよ!」
「精々気張ることだな。ここで止められなければ俺はこの国を消す。そう決めたからな」
「ならその前にあなたを倒す!」
加速。シーリアは潜り込むようにスヴェンの懐に入り、剣を振るう。躱されるが、すぐさま追撃。
(読みも理術も凄まじいけれど、身体能力はべらぼうに高いわけじゃない――そこに勝機はある!)
どれだけ強力な理術でも接近されれば意味がない。
どれだけ正確な予測であっても反応できなければ意味がない。
ならば、接近した状態からの超高速戦闘こそが唯一の勝ち筋だ。
躱される。関係ない。防がれる。関係ない。
次の手を繰り出す。少しでも速度を上げる。反撃する余裕など与えない。距離を取ろうとするならば詰めるまで。
加速しろ。加速しろ。加速しろ。
一歩でも深く。一手でも先に。
さらに加速する。周囲の風景が鈍化する中で、持ち得る技術の全てを尽くして剣を繰り出す。
熱波を斬り裂き、怒涛の剣戟を潜り抜け、刹那の間隙を縫う。
ここにいるは剣神サルファリア・バル・グラジオラスである。
神世において右に出る者なしと謳われた、正真正銘最強の神器と神技の使い手である。
しかし――
「――あり得ないわ」
ハァハァと呼吸を荒らげるシーリア。
彼女たちの前には呼吸一つ乱した様子のないスヴェンの姿。
「神技が通用しないなんて……本当に人間!?」
シーリアが信じられないとばかりに唖然としている。
サルファリアが振るう神器『グラディウス』は、シーリアが扱える『プロト・グラディウス』と異なり、完全体だ。その刃はあらゆる鋼鉄を斬り裂き、そこから放たれる数々の神技は打ち合うことすら不可能と言われている。
それなのに、だ。
スヴェンは『グラディウス』を受け止め、その技を完全に見切っている。
「不思議そうな表情だな?」と、スヴェンが語り掛ける。「簡単なことだ。シーリア、君の剣はいつだってサルファリアを見ていた」
当然だ。シーリアの師であり、至高であり、完成形はサルファリアなのだ。かの神に如何に近づけるか、それが全て。模倣し、完成度を上げようとするのは当然と言える。
「――だからだよ。サルファリアの振るう剣は、君の動きから予測できる範疇を出ない」
「なっ――」
驚きのあまり言葉を失うシーリア。
同時に、考慮すべきだったと後悔の念が沸き起こる。
「言ったろ? 君は不自由だ、って。師匠の背中を追っているうちは俺に勝てない。絶対にな」
「くっ……」
スヴェンの言うとおりだ。
所詮自分の剣は模倣でしかない。そして、その手筋を完全に見切られているのだとしたら、如何にサルファリアと言えども分が悪いだろう。相手はこちらの手の内を知っているのに、こちらは相手のことを知らない。一方的な後出しをされ続けている状態だ。
(どうする……? どうすれば……?)
懸命に思考を巡らせる。しかし、答えはない。
いや――ないと切り捨てただけで、一つだけあるにはある。
だが、自信はまるでない。
『――やってみなさいよ』
サルファリアが背中を押してくる。
(でも……まだ私には……)
『あなたが成してきたことを私はずっと見てきた。剣神が言うのよ? 信じなさいな』
(もう……)
そんな言い方をされたら、やらないわけにはいかないではないか。
「おっ。良い表情になったな」
茶化すようなスヴェンの前には『グラディウス』を構え直したシーリアの姿。
しかし、その雰囲気は先ほどまでの彼女と少しだが確実に異なる。
(免許皆伝のときってことかしらね……)
シーリアは心の内で呟くと、勢いよく踏み込んだ。
繰り出すは、手探りの一手。
一目で未熟だとわかる一撃。技として完成されていないものだ。当然、易々と弾かれる。
(まだまだ!)
次は振り下ろしからの薙ぎ払いに理術による剣舞の連撃である。
しかし、これもスヴェンに往なされてしまう。
だが、シーリアは止まらない。
初めは探るような動きが、次第に確認するような剣筋へと変わっていく。少しずつ、一つ一つの動きに意味が付加され、活きた動作へと昇華されつつあるのだ。
(これまでにぼんやりと考えていた私の剣……)
いつ頃からか【剣神の娘】などと呼ばれるようになっていた。そんな中で、更なる高みを目指すために朧気に夢想していた剣。それが今形になりつつあるのである。
「ちっ――」
スヴェンが初めて舌打ちをする。その頬には赤い筋。ぱっくりと裂かれたそこから血が滴る。
「通った!?」
周囲が歓声に沸いた。
驚きは次の一撃で確信に変わる。
またもシーリアの繰り出した技がスヴェンに傷を与えたのである。
(そうか……!)
一つの答えを出す。
カミツレ――いや、スヴェンの強みはその観察力にあるのだろう。
観察し、分析し、それに対応する力。
それを以て、サルファリアの神技に対抗していのだ。
しかし、今放っているのは全くの新技である。いくら、スヴェンの対応力が並外れたものだとしても、適応はできないはずだ。
何せ、シーリア自身が試行錯誤の真っ只中にいる。当然、型などあるはずもない。
(今しかない!)
確信する。途上にある今だからこそスヴェンに抗し得る。下手に完成してしまえば、対応されてしまう。そうなれば終わりだ。剣神の技すら往なしてみせたスヴェンに勝てる唯一の好機は今なのである。
「はぁぁぁぁっ!!」
裂帛の気合で怒涛の連撃を仕掛けるシーリア。
スヴェンが予想などできないよう、ただ直感に従い体を振るう。
傍目にはハチャメチャに見えるかもしれない。
しかし、これこそが今の自分の剣である。繰り出す剣にありったけの『自分』を込める。
そして――
「――――えっ?」
小さな困惑をシーリアが漏らした。虚を突かれたような表情で眼前の光景を食い入るように見つめている。
「ごふっ……まぁ……こうなるよな……」
大量の血を口から零すスヴェンの胸部には、根本まで『グラディウス』が突き刺さっていた。
――突然の幕切れ。
直前に繰り出した突きは渾身の一撃だった。
しかし、鈍化した世界の中でシーリアの目には、スヴェンの防御が間に合うようにも見えた。
故に、彼女は次なる一手に向けて備えていた。
ところが、だ。
金縛りにでもあったかのように突如としてスヴェンがその体を硬直させたのである。
結果、防がれると思った突きが容易くスヴェンの防御を掻い潜り、彼の心臓を貫いたのである。
呆気ない。それまでの激闘が嘘のような終わりだった。
柄から伝ってくる鮮血には目もくれず、シーリアはただ茫然とする。
拍子抜け、というよりも何が起きたのか理解できずにいるというのが正直なところだった。
そんな彼女を見て、スヴェンは力なく笑った。
「すまないな……英雄様……」
何に対しての謝罪なのか。それを訊く間もなく漆黒の瞳から光が消える。同時に彼の体が制御を失い、シーリアに寄りかかるようにして崩れ落ちていく。
剣を抜けずに呆然としているシーリアには受け止め切れず、スヴェンだったものと共に床に投げ出される。そして、彼の体を中心に鮮やかな紅が広がっていった。
「「「うぉぉぉぉぉ!」」」
事態を把握した宮殿内がドッと沸く。歓喜の声が木霊し、床を揺らす。シーリアが見回すと、衛士たちがその腕を天高く突き上げ、叫んでいた。
「そんな……」
「どうしたんですか!? 勝ったんですよ!」
衛士の一人がシーリアを労うために駆け寄り、スヴェンだったものを乱暴に退かした。
しかし、彼女はただぼんやりと足元の亡骸へと視線を落とすばかりである。
「貴様ら! 静かにしろ! 被害状況を教えろ!」
トーデンが浮かれている衛士たちを一喝し、すぐさままとめ上げる。
「教皇殺害ならびにこの世界を混迷に叩き落とした大罪人スヴェンを討ち取ったのだ、今すぐ帝国との交渉に入る!」




