ユザ・スヴェン
「――さてさて」
能天気な声が響く。
「彼女をどうするつもりだい?」
場を包む深刻な空気などまるでお構いなしとばかりのカミツレ。
「どうするって……」
「王族殺しは重罪だ。極刑は免れないだろうね。しかも、簡単には死なせてくれないはずさ。死んだ方がマシだというくらいの地獄の責め苦が課せられるに違いない」
「それは……」
「シレネは女性だ。見目も悪くない。女に飢えた囚人の檻に入れられたらどんな目に遭うか……容易に想像できるとは思わないかい?」
「…………」
「もう一度聞くけど、どうするつもりだい?」
「どうもこうも……」
カミツレの質問の意図は明確だ。いっそのこと介錯してあげるのも優しさではないか、そう言っているのである。
頭では理解できる。カミツレの言っていることも一つの選択肢であり、答えだ。
しかし、だからといってそう簡単に選べるはずもない。
「僕ならできるよ? 僕ならできる。一切の躊躇も微塵の容赦もなく、僕なら彼女を終わらせられる」
「終わらせる……?」
「そうとも。終わらせるのさ。殺す。始末する。命を狩る。僕は別に彼女と親交が深いわけでもないし、何の感慨もなくやれるよ?」
「どうして……どうしてあなたはそんなに簡単に……?」
「ふむ……やっぱり君と僕とでは評価軸に大きな違いがあるようだね」
そう言ってカミツレはまるで何もなかったかのように拘束を解き、シレネの後ろに立った。反射的にシーリアが左手に持った剣をカミツレに突き付ける。しかし、カミツレは一切動揺することなく、震えるシーリアを真っ直ぐ見つめる。
「やると決めたらやる。何が何でもだ。葛藤するくらいなら、そもそもそこに結果を設定しない。決めた時点で全ては完結しているのさ。後は手順をなぞるだけ。ただの確認作業でしかない」
笑みを浮かべたままどこまでも淡々と応じるカミツレ。いっそ不気味にすら思う彼の様子に【剣神の娘】たるシーリアが気付かぬうちに後退りしていた。
「まるで、擬人みたいね……」
「君には評論家の才能があるみたいだ」
シーリアの皮肉をカミツレは肩を竦めて応じる。
「この場において僕はただの装置になろう。決めるのは君だ。君ができないというなら、君の代わりに僕が手を汚したって良い。重要なのは、君が何を選ぶかだ。この場において他の誰でもない。君だけが決定権を持っているんだ」
「どうして私が……」
しかし、その疑問の答えはわかっている。
この場で最もシレネと親しいのはシーリアである。
カミツレの言う通り、王族を手に掛けた罪はあまりに大きく、ただ死ぬよりも悲惨な末路を辿るのは目に見えている。
例えどんな理由や経緯であっても、法はシレネを許さず、また彼女のことを守りはしない。
だからこそ、法を無視できるとしたら今この瞬間しかないのだ。
そのことを理解した上でカミツレは選択を迫ってきている。
勿論、シーリアだって頭では理解している。この場でシレネのことを処断してしまった方が、後の凄惨な結末を迎えるより遥かにマシだということを。
しかし……
「選べないわよ……!」
シーリアが駄々を捏ねるように大きく頭を左右に振る。
「死ぬとわかっていて、そんなの選べるわけないじゃない!! シレネは……シレネは仲間なのよ!?」
彼女のしたことは許されない。彼女の手に掛かった者たちがいくら外道の極みであってもそれは変わらない。彼女のしたことを認めてしまえば、法という絶対基準がーーただでさえ壊れかけている秩序が音を立てて崩れ去ってしまう。
それでも選べない。
選べるはずもない。
「何をしているんだ? どうした? ほら、早くその女を殺せ。ほら! ほら!」
可笑しくて、楽しくて堪らないといった表情でサバルが扇動する。
「下衆が……」
悔しそうに唇の端を噛み締めるシーリア。
そんな彼女を見て、一層サバルは満足そうに笑みを深める。
「お前には何もできない。いや、お前だけじゃない。誰もオレを止められない! なんてたって、オレがやったっていう証拠はどこにもないんだからな!?」
「貴様……」
トーデンが低い声で怒気を露にするが、サバルは意に介した素振りを見せない。それどころか、一層この状況を楽しんでいるかのようだ。
「おいおい、そんな怖い顔すんなよ? 兄貴とオレの仲だろう? これはちょっとしたプレゼントみたいなもんだよ。これから兄貴はいつ寝首を掻かれるかという恐怖に四六時中つきまとわれるんだ。楽しくて仕方がないだろう? なぁ? 楽しんでくれるよなぁ?」
「狂人がっ……!」
怒りを露わにしたトーデン一歩踏み出した瞬間だった。
「おっと、このオレに限って何の準備もしていないやけがないだろう?」
サバルが小さく床を二度踏みつけると、控えていた衛士たちが同僚に向かって武器を構える。
「馬鹿みたいに頭が固くて融通の利かない奴と、人脈もあり民に近く話のわかる奴。果たしてどちらについていこうと思う? 考えるまでもないよな?」
サバルは勝ち誇ったように声を上擦らせながらトーデンに問い掛ける。
外堀は埋めてあると、そう告げているのである。サバルはこの場でどれだけ傍若無人に振る舞っても自分の地位が脅かされることはないと確信している。実際、この期に及んでなお彼を捕らえようとする者はいない。
そして、何よりサバルは自身の命に頓着していない。それこそが最も厄介なのである。
「精々、残り僅かな余暇を有意義に使ってくれよな!」
トーデンにヒラヒラと手を振るサバル。腕を組み、柱に凭れ掛かるあたり、この後の成り行きを特等席で見るつもりらしい。
「下郎め……」
吐き捨てるシーリア。サバルの思い通りになどなりたくもない。だが、事実としてことはサバルの狙い通りに動いている。
法ではサバルを裁けない。
仮に何らかの証拠を探し出したとしても、握り潰されるのがオチだろう。
法院にもサバルの息が掛かった者がいるはずだ。何せ、その程度の根回しなど当たり前のようにできるのがサバルである。
「――はぁぁ」
突如、小さな嘆息が行き詰まった場に水を差した。
発生源はカミツレだ。
「――どうしても彼女を死なせたくないんだね?」
それまでずっと貼り付けたような笑みを浮かべていたカミツレが、困ったように苦笑を見せた。
問われたシーリアはつい素直に頷いてしまう。彼の人間味のある初めての表情に面食らってしまったのだ。
「君は本当に真面目だね。真面目で堅物で仲間思いで、そして何より……優し過ぎる」
つらつらと語るカミツレの声にはどこか諦観と後悔の響きが混じっていた。
「やっぱり君には、英雄は似合わない」
「どういう意味――」
シーリアが問い返そうとして、突如猛烈な熱波が宮殿を駆け抜けていく。
咄嗟に腕で顔を覆った直後――
「――ギャアアァァァァァァ」
――断末魔。
命を燃やし尽くす絶叫に鼓膜が悲鳴を上げる。
「サバル兄様……?」
顔を守っていた腕を降ろすと、人が白炎の中で踊っている光景が飛び込んできた。そこは、先ほどまでサバルが立っていた場所だ。
何が起きているのか理解するよりも前に、近くで轟と強大な理力が立ち昇る。あまりの激しさによろけてしまいそうになるところを何とか踏ん張り、奔流の中心へと目を向ける。
そこには、外套を脱ぎ捨てたカミツレの姿があった。
呆気に取られている彼女の前でカミツレから軽薄そうな笑みが消える。
「僕――いや、俺の名前は……」
消えた笑みの後には人形の如き無表情。黄金の瞳には一切の揺らぎがない。
カミツレが目を瞑る。すると、獅子を思わせる黄金の髪が、塗り潰したような漆黒へと変じていく。
「スヴェン――」
自身をスヴェンと名乗った青年がゆっくりと目を開ける。
「――ユザ・スヴェンだ」
夜を嵌めたような漆黒の双眸が鋭くシーリアを射抜いた。




