それぞれの思い
■■■
スヴェンが目を覚ますと、酷い倦怠感に包まれていることに気付いた。
重たい頭を動かして横を見る。隣では、ララーナが幸せそうな表情ですやすやと寝息を立てている。ここ最近で見慣れた光景だ。いつもと異なるのは、昨夜ララーナに押し倒されてからの記憶がないことだ。
訝しんでいると、突然快感が全身を貫き、脳を直撃する。
「ようやく起きたかこの虚けめ」
スヴェンの腰部あたりで馬乗りになったイベリスが冷たい眼差しで見下ろしている。太腿辺りから生えるようにして上体を起こす彼女に一瞬見惚れて、すぐさま首を振る。
「いやいや、何をしているんだよ?」
「見ての通り、貴様を襲っている」
「意味がわから――」
途中でイベリスが腰を前後に動かしたことで言葉が遮られる。
「くっ……」
「良い表情をするじゃないか?」
「うるせー。何が目的だ?」
「なに、昨日貴様の体を借りて其奴を愛でてやったのだが、女としての快楽を味わうことをすっかり忘れていてな。こうして貴様を愛でている訳よ」
事情は理解した。だか、納得はしていない。
抵抗しようとして、しかし今度は上下に強く扱かれたことで阻害される。
「ほら、もう達してしまいそうなのだろう? 遠慮はするな。我はそこらの女どもと違って子を孕む心配はないからな。思う存分欲望のまま吐き出すが良い」
嗜虐的な笑みを浮かべたイベリスが上体を折り、唇を重ねてくる。口腔内を貪られ、脳に甘い刺激が走る。当然、抵抗などできようはずもなく、彼女のきつく締まった中へと吐き出してしまう。
「んっ……やはり、実際に挿入されてみると凄まじいな。久方振りの肉の感触とはいえ、ここまでとは思わなかったぞ?」
「満足したなら……解放してくれ……」
「駄目だ。貴様がまだまだ滾っているのは知っている」
それに、とイベリスが続ける。
「同化している所為か、貴様の快感が我にも伝わってくる。貴様もそうだろう? 互いが感じれば感じるほど快感は増していく。ならば、どこまでいけるか、獣のように本能のまま振る舞うだけだろう?」
「勘弁してくれ。こちとらちょっと前まで死にかけていたんだから少しは容赦というものをだな……」
「容赦だと? 大悪党たる我がか?」
「ふん。ただの寂しがり屋が大悪党とは笑わせるじゃないか」
スヴェンの言葉にイベリスの目つきが剣呑になる。
「……我が寂しがり屋だと?」
「そうだ。ついでに言うと、なんだかんだお人好しだ」
「何か勘違いしているようだな」
すぅっとイベリスの目が細められ、冷たい殺気がスヴェンへと向けられる。
「いつでも貴様のことなど喰らえるのだぞ? 言葉には十分に気を付けるべきだな」
「何だ? 図星を突かれて動揺したか?」
「貴様……」
イベリスの手がスヴェンの首へと伸ばされる。がしりと掴むその力は女性とは思えないほどの強さだ。
「げほっ……同化現象なんて……最たる例だ……げほげほっ……」
咳き込みながらもスヴェンは話すのを止めようとしない。
「独りが嫌。嫌われたくない。自分を知ってほしい。守ってほしい。……そんなところか?」
「うるさい……」
「そう思ったから、そう願ったから理術に同化なんて選んだんだろう? 理術の発現の仕方は数えきれないほどあるというのに、だ」
「違う……!」
「人が恋しいのか? 温もりに飢えているのか?」
「違う違う違うっ!! 我は――」
「――別に良いんじゃねーか? 寂しがり屋上等だろう?」
「――――っ!」
言葉を呑むイベリスにスヴェンは優しく語り掛ける。
「お前の過去に何があって魔人だなんて呼ばれ、そしてどんな思いで自分から名乗るようになったのか、正直言ってあんまり興味がない」
だから、と続ける。
「俺たちの前で孤独を気取る必要も、悪党振る必要もないぞ?」
「違う……」
「そもそもだ。ヴァルダもリーナシアも割と阿呆だぞ? ララーナたちは……まぁその、あれだ、色ボケしているが、基本的には良い奴らだ。アウラとは時間掛かるかもしれんが、あいつは糞真面目なだけだしな。冗談も通じるし、理不尽に怒ることはない」
ただし発育については触れてくれるな、と付け加えておく。
「あいつはあんまり神だ人だって気にするタイプじゃないしな。むしろ、俺たちの中で一番あいつがまともなんじゃねぇか?」
淡々と言葉を連ねるスヴェン。
「後はベルリアか。まだ絡みはそれほどないだろうが、あいつもまぁ真っ直ぐな奴だ。多少、いやかなりぶっ飛んでいるが、話せばわかる。表現方法に難はあるが、それは大絶賛勉強中だ。ある意味、一番お前と近しいんじゃないか?」
つらつらとスヴェンは仲間たちを紹介していく。そんな彼の首を掴んでいたイベリスの手から力は既に失われていた。
「短くなるか長くなるかはわからんけど、これからよろしくやっていくんだ。まずは知るところから始めようぜ? 気負う必要もねぇし、遠慮するだけ無駄な奴らばっかりだ。少なくとも、独りぼっちにはならんさ。それどころか、鬱陶しく感じるかもしれないぞ? そのうち、独りにしてくれって言いだすかもな」
その光景を想像したのかスヴェンが愉快そうに笑う。
「この虚けめ。何をどう言い繕っても我が大悪党であるのは変わらないんだぞ?」
「それはこれまでの話だろう? これから変われば良いじゃないか」
「変わるつもりなど毛頭ない」
「なら、どうしてお前は俺を助けてくれたんだよ? 俺やあいつらを喰らってそれで終わりでも良かったはずだ」
「そ、それは……」
「結局、なんだかんだ言ってお前はお人好しなんだよ。大悪党どころか、良くて小悪党止まりだな」
「それでも我が多くの人間を殺したことに変わりはない……」
「そうだな。それはお前がこの先もずっと背負ってかなきゃならない事実だな。……それで?」
「それで、って……」
「法で裁かれたいなら抵抗せず出頭すれば良いさ。生きるのが辛いなら、また安息の眠りに就くという方法だってあるだろう。要はお前がどうしたいかだ」
「どうしたいか、か……。長らく、いや復讐に囚われたとき以来考えたこともなかったな……」
「思い付かないなら、ひとまずは俺の中にいれば良いさ。退屈はさせないぞ?」
「お前は狡い」
ふてくされるようにイベリスが頬を膨らませる。
「そうやってすぐに保留という選択肢を突き付けてくる。つい選びたくなる劇薬だ。まるで女たらしの手管のようにな」
「女たらしかはわからないが、狡いのは否定できないな」
「そこだ。汚い部分とわかっていながら肯定するのが狡いところだ。こちらが否定できないのを知った上で言ってくるのが本当に腹立たしい」
「とか何とか言いながら、結局否定しないあたり、やっぱ良い奴だよな。なんだかんだ俺の身体も守ってもらってるしな」
「べべ別に貴様のためにやっているわけじゃない! あくまで我の食材確保のためだ! 勘違いするなっ!」
必死になって否定するイベリス。自分よりも年上の彼女がムキになる様は、どこか幼く見えて可愛らしい。
「笑うな! 本当だからな!?」
「わかった、わかったって!」
スヴェンが宥めるようにそう言うと、息を荒らげていたイベリスの呼吸が次第に落ち着いていく。
しばらくして、イベリスはスヴェンから目を背けながらポツリと呟いた。
「我はその……嫉妬深いんだ……」
その言葉の意味を汲み取れずつい聞き返してしまうスヴェン。
「……ん? どういうことだ?」
「この虚けめ! 本当に貴様という奴は虚けだ!」
「なぜ怒られているのかわからんが、とりあえずすまん!」
「謝るな! 貴様のそういうところだぞ!?」
どういうところだよ、という反論は心の内に留めて置く。なぜだか知らないが、分が悪そうだ。こういう時は撤退するに限る。
「まったく……」
大きなため息を吐くイベリス。
「貴様のような虚けを相手にすると疲れる。少し眠る」
そう言ってイベリスはスヴェンの中に溶けていった。
「勝手に出たり入ったり、騒がしい奴だな……」
苦笑するしかない。
しかし、彼女の好意で助けられているのは事実だ。いきなり襲ってきたり、体の主導権を取ったりと中々にお転婆だが、そこはまぁ目を瞑るしかなさそうだ。それに話が通じない相手でもない。自分が口にしたことだが、これから知っていけば良いかと思う。
「……もう無理ですぅ」
隣で寝ているララーナが涎を垂らしながら幸せそうな顔で寝言を零すのだった。
■■■
「おーい、そっちに行ったよー」
通りに間延びした声が響く。声の調子からして、どうやら他人事と思っていることを隠す気はないらしい。
声の主はカミツレである。彼の前には逃げ去っていく男の背中。そして、その先にシーリアの後ろ姿が見える。
カミツレの喚起に気付いたシーリアは肩を落とし、大きなため息を一つ。
「だ、か、ら! どうしてあなたが追いかけないのよ!?」
苛立ちを露にしながら振り返り、同時に剣帯から得物を抜き放つ。
「【剣神の娘】だとっ!?」
露店から商品をくすねた男が、目の前に立ちはだかったシーリアを見て驚きの声を上げる。走り去ろうとしていたところを急停止。慌てて踵を返す。
しかし、男が逃げるよりも早く神器『プロト・グラディウス』が男の首筋に突き付けられる。
「大人しく投降するのが長生きのコツよ?」
シーリアの無情な降伏勧告に観念したのか、男は地に膝を突いて頭の後ろで腕を組んだ。
そんな二人の背後に呑気な足取りで近寄ってきたカミツレが立つ。
「えー? だって、君の方が近かったんだもん。君に動いてもらった方が確実じゃない?」
「あなたのことだから、どうせ気付いていたんじゃないの?」
疑うような視線がカラカラと惚けているカミツレに向けられる。
サイフォンのアジト強襲から二週間。あの後もシーリアたちは王族殺しを追って情報収集を続けていた。そのかたわらで続けていた賞金稼ぎで最も対象の捕捉に貢献しているのがカミツレである。
端的に言うならば、よく気付くのである。
あれほどに空気が読めず、周囲のことなど全く気にする素振りも見せない癖に、きっかけを見つけるのは、シーリアでもシレネでもスタークでもなく、決まってカミツレだった。
着眼点が良いのか、或いは自分の興味関心のあるものについては凄まじい観察力を発揮するのか、どこに起因しているものかはよくわからない。
ただ、実際にカミツレと行動するようになってからというもの、検挙率が目に見えて上がったのである。
「たまたまだよ、運が良かったというか、悪かったというか、悩ましいね!」
やはりカミツレはカラカラと外連味のない笑顔を浮かべるのみである。
そんな彼がふと真顔に戻る。
「そう言えば、シレネとスタークは?」
「ああ、別に私たちはいつも一緒というわけじゃないわよ?」
「え? そうなの?」
「そりゃあ、そうよ。年がら年中一緒にいるわけにもいかないでしょう?」
「それはそうなんだろうけど……ていうか、そもそも君たちってどういう関係なの?」
「私たち? う~ん。ちょっと説明が難しいわね……」
シーリアは言葉を選びながらポツリポツリと思い出すように話し始めた。
「最初に組むようになったのはシレネね。元々あの子は王宮で働く女給の一人だったの」
「え、てことは何かい? 女給から賞金稼ぎになったの?」
「そうなるわね」
「相当訓練積んだとか?」
「というより、護衛も兼ねた側仕えだったから、元から戦闘もこなせたみたいよ」
「ああ、護衛侍女って奴ね。最悪の場合は身代わりとして肉盾になるっていう……」
カミツレの遠慮のない物言いにシーリアの眉が顰められる。
「まぁ、間違ってはいないけど、あの子の前で同じことを言ったら許さないから」
「おお、怖い怖い。肝に銘じておくよ」
カミツレは大袈裟に驚いた振りをしながら「それにしても……」と続けた。
「彼女はどうしてまた護衛侍女になんか? 滅私奉公なんてタイプには見えないんだけど?」
カミツレの問いに腕を組むシーリア。どう説明したものかと悩んでいるらしい。
「正直言うと、私もあの子がどうして女給なんてしていたのか、正確なところはわかっていないのよねぇ」
「へぇ。意外だね」
「そうかしら? 相手の全てを知るなんて無理よ。家族だろうが友人だろうがね」
「仮にも王族の君が言うと、説得力に満ち満ちているね。言葉が重すぎて受け止められないよ」
「端から受け止める気がない癖によく言うわ」
ジトリとした目がカミツレに向けられる。
「変わった子がいるってのは噂で聞いていたし、一目でわかったわ」
「君に『変わった子』なんて言われるって相当だね。他の人相手に絶対言っちゃいけないよ?」
混ぜっ返してばかりのカミツレに、ピキリとシーリアの額に青筋が浮かぶ。
「……死ね」
「ちょ! あぶなっ! 神器を人に向けるなって教わらなかったの?」
「幸運なことにね」
「幸福の定義を見直した方が良いよ! 絶対に!」
カミツレが非難するような視線を寄越してくるが、シーリアはこれを無視する。
「まぁでも、実際変わり者同士息が合ったというのはあるかもしれないわね。最初は挨拶くらいだったけど、少しずつ話すようになって、一緒に過ごす時間が長くなっていったっていう感じね」
「スタークは? 正直、君と彼が連んでいるのが今でも謎なんだけど?」
「まぁ、私の嫌いなタイプを上げるとしたら、真っ先にアイツを指名するでしょうね」
「だよね。なおさら、なんで?」
「本当に腹立たしいんだけど、あれはあれで、意外と真面目なところもあるのよ」
そう言って苦笑するシーリア。
「初めはナンパだったわね。【剣神の娘】に興味持ったのか知らないけど、王宮で声を掛けられてね」
「王宮?」
「ええ。スタークも元々は王宮勤めだったのよ? 警邏隊上がりって奴ね」
「うっそっ! 石頭で融通の利かないあの警邏隊出身なのっ!? 似合わなっ!」
「同感ね。実際、当時からチャラチャラしていたし、しょっちゅう女給と関係を持っては問題を起こしていたわよ」
「そこはイメージ通りだね……」
王女に手を出そうとするなんて……とカミツレが呆れ返るように肩を竦める。彼に呆れられるとは、スタークもなかなかのものだ。
「で、ナンパされて受けたの?」
「まさか。ぶっちゃけ、色々噂は耳にしていたし、実際にナンパされて印象はもう最悪」
でも、とシーリアは続けた。
「あるとき街でアイツを見掛けてね。ガラの悪い連中に絡まれたおじいさんを助けているところだったわ」
「へぇ。困っているのが女性だったとかじゃないんだね」
「そこなのよね。私もそれが一番驚きで。後から話を聞いたら『ああいうの格好悪いじゃん? 弱い者イジメもそうだし、それを見て見ぬ振りするのもさ』って言うわけよ」
自他ともに認める女好き。それがスタークである。そんな彼でも、彼なりの道義を持っているということだろうか。
「ああいう場面で行動に移すのって、実際問題相当難しいと思うのよ。いくら警邏隊員だって言ったって、武力行使は緊急時を除いて許可制なわけだし」
「そうだね。関わらなければ、少なくとも何も起きない。相手に逆恨みされることもなければ、自分が関与したことでもっと騒動を大きくするといったこともないわけだしね」
「だからこそ、そこで動けたっていうのは、本当に凄いことだと思うわ」
「そういう意味での真面目ってことね」
「正論並べるだけで何もしない奴よりもよっぽど信用できそうじゃない?」
「そうだね。女性問題さえなければ完璧そうなんだけど……」
「別にそれにしたって言うほど興味があるわけじゃないわ。だって、それって結局当人たちの問題でしょう? アイツを受け入れた相手にも問題は十分にあるわけで」
シーリアの忌憚のない意見は予想外だったのか、カミツレが驚いたような表情を浮かべる。
「へぇ。意外と中立なんだね。『同じ女性として許せない!』って話かと思ったんだけど?」
「だって、そんなことを言う人たちって、いつだって自分の都合の良いようにしか言わないじゃない? それは卑怯よ」
「でも、世の中はその『卑怯』な人たちの方が圧倒的多数だよ?」
「だから皆生き辛いんでしょう? 気付いていないのよ、自分で自分の首を絞めているってことにね」
バッサリと切って捨てるシーリアにカミツレは一瞬キョトンとし、そして呆れるように肩を落としながら笑った。
「何て言うか……君はやっぱり真面目だね。真面目に過ぎるね。同性に嫌われそう」
「何よ? 文句あるの?」
「いや。大変そうだなと思ってね。もっと賢く、要領良く立ち回ることもできるだろうに敢えてそれを選ばないんだなって」
「あなたみたいなタイプから見たら相当馬鹿らしく映っているんでしょうね」
自嘲するように吐いて捨てるシーリア。
彼女自身、世渡り下手であることは理解している。軋轢を生む場面が多いことも承知している。敵を作りがちであることも。
それでも、自分を曲げることができなかった。それをしてしまったが最期、母から託された思いもこれまでの道のりも全て失ってしまうように思えたからだ。
わかっている。
そんな自分のことを第三者が見たら滑稽に映るだろうことは。
「――そんなことないよ」
柔らかな声で、しかしハッキリと否定したのはカミツレである。
「君は君の正しさを信じている。信じ、体現している。他人に押し付けるでも、押し付けられるでもなく、自分で選び、腹を括り、覚悟している――」
「――――っ!」
予想とは百八十度異なる反応に思わず息を呑んでしまう。
「――そんな君に敬意を払うことはあれど、馬鹿にすることなんて決してできやしないよ」
柔らかく微笑むカミツレ。
不思議な充足感がシーリアの中に広がっていく。
(誰にも理解されないと思っていた……理解してもらえないと思っていた……)
自分自身気付いていた。
遠回りしている、と。
効率的ではない、と。
実際、誰からも賛同を得られることはなかった。二人の兄にはもちろんのこと、本当の意味ではシレネやスタークにも。
同じような経験をした者にしかわからないと、高慢とも取れる言い訳を用意して、自分で自分を慰めて孤独感と疎外感に耐えてきた。例え近道でないとしても、自分の進む道こそが正しいのだと、そう信じてきたのである。
それでも、どこかで歪みが出てくるものだ。
ふとした拍子に惑う。迷い、自信を失う。自分の中にある尺度しか判断材料にならない中で、いきなりそれを信じられなくなる。足元から地面が消えるような錯覚に陥るのである。
不意に冷静になり、自分自身とその影に目を向けたときに辛くて辛くて堪らなくなる。全てをかなぐり捨てて逃げ出したくなる。誰かにみっともなく吐き出して、慰めてもらいたくなる。
それでも、他人に縋ることができなかった。相談はおろか、愚痴を零すこともできず、ただ強くあろうと気丈に振る舞うことしかできなかった。
自分の選んだ道だから、と。
他の生き方を知らないから、と。
別の可能性に目を向けず、自分自身からも目を背けて鍛錬に打ち込んだのである。
しかし、剣の道を突き詰めたかったわけではない。
それでしか自分を保てなかったのである。
そんな自分のことが嫌いだった。
それなのに――
「――どうして」
カミツレが……『あの』カミツレが知ったような口を利くのか。
そして、どうして自分は彼の言葉を素直に受け入れてしまっているのか。
不思議と彼の言葉はすとんと入ってきた。これが上面の言葉だけだったら、なにくそと反発していたことだろう。実際、【剣神の娘】という二つ名を好奇に思って近寄ってくる連中の言葉には苛立ちしかなかった。
しかし、彼の言葉は違った。
同じような内容、同じような言い回しだというのに、なぜか彼の言葉は『刺さった』のである。ただただ嬉しかったのである。
初めて、自分の生き様を認めてもらったようで。
初めて、自分の進んできた道が間違いではなかったと言ってもらえたようで。
その言葉をくれたのが『あの』カミツレだというのだから実に腹立たしい。
悔しくて、でもやっぱり嬉しくて。
綯い交ぜになった感情の処理の仕方がわからず戸惑う。何せ初めてのことだ。わかるはずもない。
「もしもだよ――」
動揺を隠せずにいる彼女を他所に、カミツレは破顔しながら冗談めかして続ける。
「――君を嗤う人がいれば滅却してあげるよ。君が望めばだけどね」
「笑顔で物騒なことを言わないでよ……」
「あはは。ごめんごめん」
どこまでも呑気に笑うカミツレ。
しかし、今ばかりはその能天気さも笑って受け止められる気がした。
「……あなたって本当に意味不明ね」
「酷いっ!?」
「だって、そうじゃない? 発言はその人の立っている場所、見えている世界によって変わるものよ。さっきの発言って、同じように腹を括っていなきゃ出てこないはずでしょ?」
「え? そうだけど? そう見えない?」
「全然。全く見えない。欠片も。微塵も」
「重ね重ね酷いっ!」
ガクリと肩を落とすカミツレ。
そんな彼にシーリアは疑問という名の確信を突き付ける。
「――英雄を探しているっていうの、あれ嘘なんでしょう?」
「……どうして?」
カミツレが柔らかな笑みを浮かべながら聞き返してくる。しかし、その微笑みは先ほどまでのものとは全く異なる。それに気づかないシーリアではない。
「だって、英雄なんて探して見つかるものじゃないわ。前にも言ったけど、成したことに対して人々から賞賛を込めて呼ばれる存在、それが英雄よ」
「その通りだとも。だから、僕は『後に』英雄になる人を探しているんだ」
そう語るカミツレはどこか遠くを見るように視線を虚空へと移した。
「……見つかったの?」
「見つかって欲しくない、というのが正直なところだね」
「何それ? 本当に意味がわからないわ。というより、わからせるつもりないでしょう?」
「あれ? バレちゃった?」
「否が応でもね」
無遠慮に踏み込んでくる癖に、自分のことになった途端に霞のように消えるのがカミツレという青年だ。
どこにも実体がないという印象は今も変わらない。
ただ、当初ほどの警戒はない。
サイフォンのアジトを強襲したとき、彼が王族殺しに関係していたのであれば、わざわざ自分の身を危険に晒してまで庇う必要がない。そして、自分が止めなければ、まず間違いなくカミツレはサイフォンの攻撃をその身で受け止めることになっていた。演技や仕込みでないことは明らかだ。
勿論、自分が止めるだろうことを想定しての振る舞いだった可能性はある。
しかし、その後の彼の様子を見ていても何か企んでいる気配はない。
ただ一つ、彼が何らかの事情を抱えているだろうことだけはわかる。
問題は、それがどんな事情なのかまるで見えないということだ。ふざけた態度ばかりだが、実はその裏で相当の覚悟を背負っているのだろうか。あれこれ考えてみるが、答えは一向に出ない。
「――すっかり日が暮れちゃったね」
夕日を名残惜しそうに眺めるカミツレ。茜色に染まったその横顔は、どこか切なさそうに、辛そうに笑っているようだった。
鬱陶しいくらい能天気に振る舞う彼がそんな表情をするのが意外で。
そして何より、それが似合っているのがまた意外で。
(どんな世界なのかしら……?)
彼が見ている世界は何色なのか。
どんな経験をしてきたのか。
どうしてそんなにも苦しそうに笑うのか。
なぜ何も教えてくれないのか。
次々と疑問が浮かんでくる。
(私が他人のことを詮索するなんてね……)
ふと冷静になって小さな笑いがこみ上げてくる。
あまり、自分は他人に興味を持たない方だというのは自覚している。
自分の道を進むことに精一杯過ぎて、周りを見ている余裕がなかったからだ。
他の人たちとカミツレ。何が違うのかわからない。どうして彼のことが気になるのか、それはわからない。
でも、何となくだが。
非常に腹立たしいのだが。
自分と彼は似ている気がする。根本的な部分とでも言うのだろうか、重心の置き所が近しいように思えるのである。
そう感じる明確な理由はない。
ただ直感的にそう思うのだ。
「……そうね。帰りましょう。この後、シレネとスタークに会う予定だったし」
「あ、そうだったの?」
「帝国が示した期限日はもう目と鼻の先よ。この国に留まるのかとか、そろそろ話さなきゃいけないでしょう?」
「なるほど。それなら僕は外していた方が良さそうだね」
「どうしてよ?」
「え? だって、僕は部外者――」
「もう関わっちゃったんだから十分関係者よ」
キッパリと言い切るシーリア。
これにカミツレは一瞬目を丸くし、次いで呆れるように頭を振った。
「……やれやれ。本当に君は強引だね」
「あなたの図々しさや面の皮の厚さに比べれば可愛いものよ」
「さいですか」
他愛のない憎まれ口の叩き合いをしながら二人は歩いていく。
影を落とすように夕日は沈み、夜の気配が濃くなっていった。




