表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/83

悦楽、潜入、奇襲

   ■■■


 決して広くはない一室。

 そこに獣のような嬌声と粘膜同士が擦れる音、そして荒々しい息遣いが響く。


「ああっ……んんぅっ…………ああぁぁぁぁっ!!」


 喉が張り裂けんばかりの勢いで、ララーナが一際大きく叫ぶ。

 ベッドの上で四つん這いになった彼女の背が弓なりに大きく反る。それから何度も痙攣し、終わると力を失うように崩れ落ちた。朱に染め上がったその全身は、今にも燃えんばかりの熱を帯びている。その手が握りしめるベッドのシーツは、彼女の流した汗か、或いは別の何かでぐっしょりと濡れている。


「ハァハァ……少し……休憩を……」


 荒い呼吸のままララーナが懇願してくる。

 しかし――


「――駄目だ」


『スヴェン』はこれを冷たく拒否すると、ララーナの腰の両横を掴み、高さを調整して再び己の腰を前へと突き出した。


「そんな……ああっ……!!」


 絶望の声が甘く激しい官能に塗り潰される。抽挿が何度か繰り返されたところでまたもララーナが絶叫する。


「この程度で音を上げるのか? この体にこれだけ出しておきながら、自分の番になった途端それか?」


「……もう……無理ですぅ……」


 ララーナが降参を示す。いつもは彼女が主導権を握って好き放題快楽に浸るのだが、今日に限っては完全に立場が逆転している。


「ふん。貴様に出された量に比べれば、まだまだ出し足りぬな」


 そう言って『スヴェン』は愛おしそうに自身を扱き上げた。幾度となく精を吐き出しているというのに、未だ天を突かんばかりに隆々とし、硬さを保っている。音が聞こえてきそうなほど大きく脈打つそれは、まだまだ出し足りないと訴えているかのようだ。


「その話し方……まさか……!?」


 少しだけ呼吸を落ち着かせたララーナがハッとした様子で振り返る。


「ん? ようやく気付いたか? そう、我こそ【神喰らい】イオキベ・イベリスよ」


 クハハと高笑いする『スヴェン』にララーナは唖然とした表情を見せる。


「い、いつの間に……!?」


「初めからさ。貴様がこの虚けを押し倒したその時からだな」


「なんで……!?」


「なんで、だと? 簡単なことよ。数百年ぶりの肉欲を堪能しておきたくてな。しかも、男の体など初めてだ。試さない理由がないだろう?」


 ニヤリと笑って唇に舌を這わせる『スヴェン』。その体、その声は確かにスヴェンだが、その仕草、その口振りは似ても似つかない。


「スヴェン様を喰らったのですか!?」


「否。単に我が主導権を奪って表層に出てきただけだ。今頃この虚けは、我が創りし精神世界で愉しい夢に溺れているところだろうよ。一通り終わったら返してやるから安心するが良い」


 再度クハハと尊大に笑う。


「しかし、まぁ、男の体も悪くないな。正確には、この体が、か」


 そう言って『スヴェン』はララーナの顎を掴み、クイッと持ち上げた。


「何度出しても尽きぬ精力に相手を惑わす淫靡な作用……中にいる間、此奴の記憶を覗かせてもらったが、随分と此奴の体を改造したものだな? いい仕事だ。褒めて遣わす」


「べ、別にあなたのためにやったわけでは――」


「――我も独りになったときは、貴様らのようにコレを生やしてみるのも面白そうだ」


 そう言って『スヴェン』はララーナを無理矢理仰向けにさせると、彼女のすらりと伸びる足を両脇に挟み、打ち付けるように何度も何度も腰を振る。


「良いぞ……実に良い……このまま同化してしまいたいくらいだ……」


 溺れるようにララーナの体を強く抱きしめる『スヴェン』。

 一方のララーナは、最早声を上げることすらなく、開かれた目は焦点が合っていない。「ああっ……ああっ……」と吐息が漏れるばかりだ。


「そら、トドメだ……!」


 一際強く『スヴェン』がララーナを抱きしめる。腰を押し付けて、行き止まりになってもなお押し付けて、奥の奥まで注ぎ込もうとする。

 夥しいまでの大量の精を解き放ち、逆流した分が結合点から溢れ出る。孕んだかのように腹を膨らませたララーナがぐりんと白目を剥くと同時に、『スヴェン』も脱力するに任せる。


「さて、我もそろそろ眠るか……」


 最後の一滴までララーナの中に出し尽くした『スヴェン』は、満足した様子でそう呟き、その目を閉じた。


   ■■■


「――ここが?」


 地底に吸い込まれそうな階段を降り、シーリアは神器『プロト・グラディウス』を剣帯から引き抜く。目の前には重厚な金属製の扉。来るものを拒むような威圧感がある。


「そのはずだけど……」


 歯切れの悪いスターク。それもそのはず、裏社会の者たちの根城にしては、あまりに無防備だ。普通であれば、入り口に護衛の一人や二人いてもおかしくない。それなのに、ドアノブに手を掛けても誰も出てくる気配がない。


「邪魔が入らないなら好都合よ」


「あ、ちょ鍵が――」


 制止しようとするスタークを無視してシーリアは『プロト・グラディウス』を振るう。

 次の瞬間、城砦の如き鉄扉がバラバラに裁断され、重力に沿って落下する。


「おお~。鮮やか! 五閃、いや六閃かな? あの一瞬でそれだけの連撃を繰り出せるなんて、凄絶の一言に尽きるね!」


 パチパチパチと手を叩きながら感嘆の声を漏らすカミツレ。


「いやいや、アレを目で追えるカミツレ君こそ何者?」


「え? スタークにも見えたでしょ?」


「いやいや……そんな『これしき普通でしょ』みたいに言われても……」


「本当に意味のわからない男です……」


 別の意味で呆気に取られているスタークとシレネ。そんな二人を他所に、シーリアは破片を踏み越えて中へとあっさり踏み込む。敵地への潜入の瞬間だというのに、全く警戒する素振りがない。まるで自分の家に帰るかのような気軽さだ。何が起きても対処できるという自信の表れだろう。

 そして、それは確信でもあり、事実でもあった。どれだけ隙を突かれたとしても歯牙にも掛けない。

 それが、【剣神の娘】である。

 それが、【剣神】サルファリアの契約者である。

 圧倒的暴威を以て捻じ伏せる。捻じ伏せられる。誰が相手でも、どんな状況でもそれは変わらない。


(だからこそ、隙に喰い付いて欲しいんだけどね……)


 チラリとシーリアが視線を向けると、それに気付いたカミツレが例の能天気な笑みを返してくる。当然、眉を顰めて不快感を露にして応じる。

 昨夜然り、ここに至るまで然り、シーリアは随所でわざと隙を作り、カミツレに晒してきた。だというのに、カミツレはまるで気付いた素振りを見せない。それどころか、その振る舞い――いや存在そのものが隙なのではないかとすら思うほどの無警戒っぷりである。

 神経質になっているのは君だけだよ、そう言われている気がしてならない。気にしている自分が馬鹿馬鹿しく感じてくる。


(まぁ、それもこれもこの後ハッキリするか……)


 敵の根城に足を踏み入れたシーリアは心の内で静かに呟いた。

 薄暗い室内。明かりは最小限に抑えられているのか、目を凝らさないと自分の足元ですら見えない。そんな中で狭い通路をゆっくりと進む。今のところ人の姿はない。まるで、一人残さずこの空間から逃げ出したかのようである。

 しかし、それはあり得ない。

 なぜか。


「――簡単よね?」


 通路を抜けて広間に出ると、シーリアは『プロト・グラディウス』を構えた。

「こんなにも殺気を駄々洩れにされちゃ、気付かない振りなんてできないわよね?」

 問いを投げつけた瞬間、息を潜めタイミングを見計らっていた構成員たちが広間へと殺到する。その手には光モノやら小銃やら物騒極まりないものが握られている。


「そりゃあ罠だよね……」


 ほら見たことかと言わんばかりに呆れた様子のスターク。


「言っている場合ですか!?」


 怒気を露にするシレネの前には理術で構築された氷の壁。放たれた弾丸が氷壁に衝突し、チュィィン、チュィィン、と澄んだ音が幾度となく響く。


「どうもこうも、叩っ斬れば全部解決よ!」


「それはシーリア様だけですよ!」


「あら? 自衛に専念していて良いのよ? 他はこっちでやっちゃうから」


「そんじゃ、ありがたくそうさせてもらうよ~」


 スタークがヒラヒラと手を振り応じる。どこまでも飄々としたその振る舞いを崩すつもりはないらしい。


「――ちょっ! 元凶がサボるなです!」


 襲い来る敵を捌きながらシレネが異を唱える。


「元凶だなんて、心外だな~。オレは良かれと思って情報を集めていたのにさ~」


 嘯くスタークの手には理力銃。取り回し易さ重視のためか、拳銃程度の大きさである。

 理力を弾丸として放つ理力銃には三つの利点がある。

 一つは、実弾を使わない分、弾丸の重さに苦しめられず、リロードに困らないこと。

 一つは、火薬の炸裂による射出ではないため、射撃音が目立ちにくいこと。

 そして最後の一つは、射出するものが理力の塊であるため、放った後に爆発させたり、軌道を多少逸らせたり、弾を細分化させたりと多彩な攻撃手段を持っていることである。

 一方で、実弾に比べ理力障壁衝突時は威力減衰の影響を受けやすく、高硬度の障壁を展開可能な理術士に対して無力である。また、取り回しの良さは、裏を返すと浪費しやすく、理力切れに繋がりがちという矛盾を抱えている。

 故に、ほとんどの者が扱えるが、使いこなせるのは極少数。それが理力銃である。


「その情報が腐っていたら話にならないって言ってんですよ!」


「そんなこと言われもな~。そこまでは担保できないぜ」


 飄々と応じながらもその手に持つ理力銃の照準は敵を捉えて離さない。彼が引鉄を絞る度にカチリ、カチリという無機質な音が響き、緑色の独特のマズルフラッシュが暗い室内に咲く。

 一人、また一人と室内に閃光が走る度に敵が倒れていく。相手だけでなく彼自身も動いているというのに、脅威の命中精度だ。


「んなっ! なんて無責任なんですか!?」


「今更じゃね~?」


「それはそうですが……」と、納得しかけて、ふと我に返るシレネ。「って、それで許されたつもりですか!?」


「え? ダメだった?」


「当たり前です!」


 言い合う二人を傍目にシーリアはというと、酷く退屈そうな表情を浮かべている。


 ――絶技【鋒閃華】。


 シーリアが剣を振るうと同時に、敵の足元に無数の剣山が出現。剣閃に呼応するかのように、剣山が弾ける。射出された刃の群れは敵へと殺到、正確に対象の得物を貫いていく。

 放たれた超常の技は、貪るように男たちを薙ぎ倒していく。あまりに強引、あまりに圧倒的、そして何より【剣神の娘】という響きからは想像できないほどあまりに暴力的に過ぎる一撃。それを呆然とした様子でスタークが眺めている。


「うわぁ~。いつ見ても凄絶だねぇ~」


「美しくも苛烈……剣姫であるシーリア様にしか扱えないと謳われるまさに絶技です……」


 剣術と理術の統合。それが絶技の根幹である。

 言葉にしてしまうと、非常に簡単なことのように思える。事実、思想そのものは古くからある。警邏隊や各国の軍、棄獣狩りにも同様の技を用いる者たちもいる。ただ、それを絶技にまで昇華できた者は少ないという話だ。故の絶技である。

 シーリアの周りには気を失った男たちの山ができている。彼女にとってこの程度の相手では遊びにすらならないのだろう。戦闘の最中だというのに、時折欠伸を挟む始末である。


「それにしても、私たちがここに来るとわかっていたかのような仕込みっぷりですね……」


 敵は息を潜め、襲撃のタイミングを見計らっていた。シーリアたちが訪れてから慌てて準備したとはとても思えない周到さである。


「つったって、ここに来るって決めたのは王宮にいたときだぜ?」


「それってつまり――」


 ――王宮内に真の敵がいるのではないか。


 シレネがハッとした様子で喉元まで出掛かった言葉を飲み干した。

 彼女の気まずげな表情に気付いたシーリアは苦笑して応じる。


「――敵は身近に、ってことかしらね?」


「い、いえ、そういうつもりでは……」


「良いのよ。だって、可能性として高いのは間違いないもの」


 言って、シーリアは悔しそうに唇を噛み締める。

 帝国との戦争。一度戦端が開かれれば、甚大な被害が出るのは目に見えている。

 しかし、だ。国王然り、長兄然り、紛うことなき危機が目前に迫っているというのに、一枚岩になれない。なろうとしない。

 そしてまた、国難を前にして全くと言って良いほど役に立っていないのは自分も同様だ。

 それがただただ腹立たしい。己の無力さが恨めしい。【剣神の娘】だの何だの持て囃されても、一人の影響力など高が知れている。吟遊詩人たちが謡う英雄たちには遠く及ばないことを知っている。痛感している。

 自然、剣を握る手に力が入る。

 わかっている。これは、八つ当たりだと。ある意味で傲慢な歯痒さを敵にぶつけているに過ぎないと。それでも、そうせずにはいられない。


「――優しいんだね」


 敵の制圧が完了すると、突然背後から声が掛けられた。

 振り返ると、頭の後ろで手を組んだカミツレが興味深そうにこちらを見下ろしている。


「自分を襲ってきた相手だっていうのに、殺さないんだ?」


「別に。無力化すればそれで事足りるわ」


「逆恨みされて禍根を残すかもしれないよ?」


「そのときはそのときよ。むしろ、私を相手に報復しようと考えるなら、その気概を買うべきじゃないかしら?」


「なるほど。君はそれで良いだろうね」


 含みを持たせたカミツレの言い方にシーリアの目付きが剣呑になる。


「……何か言いたそうね?」


「そんなことはないとも」


 ただ、とカミツレは続けた。


「君は良くても、君の周りの人たちはと思ってね?」


「それは……」


「懇意にしている人、大切な人……君への直接的な報復が難しいなら、って奴さんたちは考えるだろうね」


 例の能天気な態度は鳴りを潜め、その声はやたらと真剣だ。

 やはり、ちぐはぐである。何度探ってみても掴み切れない。

 飄々としているという意味ではスタークもそうだ。彼も捉えどころがない。ただ、彼の場合はどちらかというと、追うと逃げられる、そんな印象だ。煙に巻かれる感覚に近いだろう。裏を返せば、相手にしなければ良いだけの話である。

 しかし、カミツレの場合は何かが違う。目の前にいるのに、いない。強いて例えるならそんな感じだ。実体のある虚像とでも言うべきか。

 目に見える姿とそこから受ける印象は大きく異なる。その違和感の正体を突き止めようとして、ふと疑問を抱く。


「……よく無事だったわね?」


 無傷のカミツレから疲労した様子のシレネとスタークへと視線を移していく。二人とも大きな傷こそ負っていないものの、それでも無傷ではいられなかったのだろう。あちこちに傷をこさえている。


「君がほとんど倒しちゃったからね。僕は必死に逃げ回ることしかできなかったけど」


「あれだけの乱戦で逃げに徹するなんて不可能だと思うのだけど?」


「運が良かったよ、ほんと!」


 胸を撫で下ろすカミツレは、ただただ素直に幸運を喜んでいるようにしか見えない。

 しかし、シーリアの勘はそうではないと訴えている。


「そもそも、戦っているときにあなたの姿を見掛けなかったような気がしたのだけど?」


「へぇぇ、交戦中ともなれば、さすがの【剣神の娘】でも視野が制限されるんだね」


「あなた――」


 なおもシーリアが問い詰めようとしたときだった。


「――危ない!」


 ハッと目を見開いたカミツレがシーリアの体を突き飛ばす。直後、意識を取り戻した敵の一人がカミツレに襲い掛かる。

 敵はカミツレの足へと突進し、彼が転倒したところで馬乗りになる。そして、ナイフを取り出すと、その胸元目掛けて振り下ろした。

 刃の先端が到達する、その直前に敵が「うっ!」と小さく呻き、停止。目を見開いたまま倒れていく。


「――わざわざ面倒な方に進めないでもらえる?」


 苛立った様子でカミツレを見下ろすシーリア。微塵たりとも慌てた様子はない。カミツレが突き飛ばす前から敵の気配に気づいていたのだろう。それどころか、カミツレの介入により予定が狂わされたことを怒っているらしい。


「ありゃ。余計なお世話だったようだね」


「それもとびきりのね」


「あっはっは。それは失敬!」


 言葉とは裏腹に、全く悪びれる素振りのないカミツレ。

 そんな彼のことが理解できず、


「……どうして?」


 シーリア自身気付かぬうちに疑問を口にしていた。


「え?」


「どうして私を助けたのよ?」


「『どうして』だって?」


 シーリアの質問の意図が掴めないのか、訝しそうな視線をシーリアに向けるカミツレ。


「知らないよ、そんなの。体が勝手に動いたんだもん」


「それで自分がやられたら元も子もないと考えなかったの?」


「そんなことを考えられる余裕があったら、もっと賢い選択をしていただろうね」


 苦笑で応じるカミツレにシーリアはため息を吐いて肩を落とした。


「あなたが相当の馬鹿だっていうことは理解できたわ……」


「否定はしない!」


「自信満々に応じないでもらえるかしら?」


「――和んでいるところ悪いんだけどさ~」


 冷やかし交じりの声はスタークのものだった。

「ここは一応敵のアジトだってこと忘れないで欲しいんだが~?」


 別に和んでなどいない、と反論しようとしてシレネも同様に責めるような目でこちらを見ていることに気付く。喉元まで出掛かった否定は大人しく引っ込めることにした。


「はぁぁ。そうね。本丸がまだだし、先を急ぎましょう」


 広間から出ようとしておそらく奥へと繋がっているだろう扉を開ける。

 直後、蒸気室に足を踏み入れたかのような熱波が駆け抜けていく。たまらず顔を背けたところに、遅れて異臭が流れ込んでくる。その強烈な臭気に思わず「うっ」と手で鼻を覆う。


「酷い臭いね……」


「髪でも燃やしたのか~?」


 あまりの臭気に顔を歪めたスタークが応じる。

 彼の言葉の意味を察して、シーリアは咄嗟に通路を見渡す。

 しかし、彼女の予想したものは見当たらなかった。

 それどころか、通路には何もなかった。

 あるのは、橙色の点々。それが熔解した床だと理解するには時間を要した。


「一体何があったのかしら……?」


 理術の跡だろうか。しかし、局所的に極高温を生み出せる理術士など聞いたことがない。

 最近になって凄腕の爆炎の使い手が現れたという話だが、その者はルグリカを拠点に活動しているという。今回の件とは関係ないだろう。

 そもそも、この通路は先ほど広間に流れ込んできた敵も使っていたはずだ。となれば、自分たちが広間で戦っている間に何かがあったということに他ならない。


「全員気を引き締めなさい。不測の事態かもしれないわ」


「それは敵さんにとって? それともオレたちにとって?」


 珍しくシーリアがゴクリと唾を飲み込む。


「……その両方よ」


 応じてシーリアは慎重に歩みを進めていく。気配を殺すようなその足取りには、ここに突入したときのような軽率さはない。


(敵が出てこない……)


 シーリアの予想に反して、道中実に静かなものである。

 広間を出てしばらく経つが、敵の現れる気配が一向にしない。いくら何でも広間で交戦したあの団体が敵勢力の全てではないだろう。腕利きの理術者を少なからず囲っているはずだ。そして、それに該当するような者は先の戦いにいなかった。

 つまりは、まだ温存されているはずなのである。

 だというのに、だ。


(おかしい……これも含めての罠なの……?)


 疑問に答えが出ないまま、行き止まりにぶつかった。

 目の前には、一際立派な装飾が施された扉。他に同様のものがなかった以上、おそらくはここに敵のボスであるサイフォンがいるのだろう。これで扉前に屈強なガードマンが立ってくれていたら確信できたのだが、それすらもない。

 シーリアは無言でシレネたちに視線を送った。全員が首肯するのを確認して中に突入する。

 入ると同時に室内を見回し、敵がどこにどのように配置されているのかを確認しようとする。

 しかし、それは徒労に終わった。

 カーペットの敷かれた床の上に倒れている男が一人。それ以外に気配はない。

 罠にしては、あまりにお粗末だ。

 シレネがうつぶせに倒れている男に近づくと、恐る恐るといった様子でその体をひっくり返した。露になった顔はここの主であるサイフォンのもので間違いない。胸部が上下しているあたり、死んではいないらしい。どうやら気絶しているだけのようだ。


「いよいよ謎ね」


「罠かと思いきや、罠を張っただろう本人は気絶しているって、本当かよ?」


「何が起きているのでしょうか?」


 状況を飲み込めずにいると、サイフォンが小さく呻く。


「くっ……一体何が……」


 目を覚ましたサイフォンが後頭部を擦りながら上体を起こす。


「元気そうね?」


「【剣神の娘】……どうしてここに……?」


 シーリアの姿を捉えたサイフォンが目を丸くする。これにシーリアは呆れるように目を細めた。


「しっかりと待ち伏せしていた癖に、今更しらばっくれるつもり?」


「ち、違う! 警邏隊がここに踏み込んでくるというから……」


「警邏隊? どうして?」


 シーリアが何か知っているかとスタークに目をやるが、スタークは首を横に振って応じる。


「オレたちはゾニエ家と懇意にしていたあんたらに用があってきたの」


「ゾニエ家だと? じゃあ、やっぱりお前らも……?」


「やっぱり? お前らも? どういうことかしら?」


 首を傾げるシーリア。

 何かがおかしい。サイフォンが罠を張っていたのは間違いないが、自分たちのことを警邏隊だと思っていた。それはつまり、彼もまた嵌められたということではないか。

 しかし、そうなると、王族殺しの犯人はサイフォンではないということになる。だとすれば、犯人がサイフォンをも嵌めた理由は何だというのか。


「彼らからあなたたちに王国転覆の依頼があったそうじゃない?」


 シーリアが直球で迫ると、一瞬サイフォンはきょとんとした表情を見せ、次いで腹を抱えて笑い始めた。


「はっはっは。そういえば、そんな話もあったなぁ!」


「『そういえば』ってどういうことよ?」


 シーリアが目を細めると、心外だとばかりにサイフォンが嘆息してみせる。


「あのなぁお姫さんよぉ……俺たちがそんな依頼を受けるとでも?」


「……金に汚いと聞いているわ」


「なら聞かせてもらうが、国を敵に回すような行為の対価を王族の末席如きが払えるとでも? いや――誰だろうが関係ない。割にあうものがあるなら、見せてもらいたいもんだ」


「それは……」


「あの一家とは確かに懇意にしていた。それは間違いない。あいつらの小遣い稼ぎに一枚噛ませてもらっていただけだがな」


「それじゃあ……」


「叩き返したとも。『勘違いしてんじゃねぇ』ってな」


 シーリアは考え込むように顎に手を当てる。

 確かに、よくよく考えると、おかしな話だ。サイフォンが言うように、あえて危険な橋を渡って国と敵対する理由がない。見合うものなどない。

 これが例えば帝国に唆されたとかであればまだわからなくもないが、犯人が帝国側の人間でないとその線は消える。もしくは、そもそも犯人が帝国側ではないという前提そのものが間違っているか、だ。実際、それにしたってカミツレの推測をもとに話を進めているだけで何か確固たる根拠があるわけでもない。強いて言うならば、カミツレの理屈にシーリア自身が納得したというだけに過ぎない。

 それに、先ほどのサイフォンの言葉も気になる。

 お前らも、ということはゾニエ家絡みで誰かがサイフォンの許を訪ねたということだ。

 それは一体誰なのか。


「――てかさ」と、スタークがサイフォンに向き合う。「オレたちが来る前に何があったのさ?」


 スタークの問い掛けにサイフォンが床へと視線を落とし、何かに怯えるようにカタカタと小刻みに全身を震わせる。裏組織のボスらしからぬ姿だ。


「わからない……」


「わからないって、そんなことはないだろう?」


「わからねぇんだよ!」


 床に拳を打ち付けるサイフォン。どうやら演技で言っているわけではないようだ。


「入ってきたんだ、影が……」


「影ですか?」


 要領を得ない回答にシレネが眉を顰める。何か知っているかとシーリアに視線を送るが、彼女もまた肩を竦めるばかりだ。


「夜闇を型に嵌めたような全身真っ黒な奴だった。護衛役の部下に始末させようとしたんだが……」


 後悔を露にするように額を押さえるサイフォン。


「明らかに腕が違った……違い過ぎていた……」


 サイフォンの前ということもあり、護衛役の部下たちは果敢に侵入者へと襲い掛かった。

 しかし、侵入者は排除されるどころか、護衛役たちの攻撃を全て躱したのである。


「護衛役の姿がないようだけどどこに行ったんだい?」


「……燃えたよ、全員な」


「「「『燃えた』?」」」


 顔を見合わせるシーリアたち。

 そんな彼女らを他所に、そのときのことを思い出してか、サイフォンが大きく身震いをした。


「そいつに襲い掛かった奴は一瞬で燃やされた。いや、滅却させられたんだ。あれはただの炎なんかじゃ断じてねぇ……存在そのものを消滅させるようなあんな理術……オレは知らねぇ……」


 人を滅却させられるような理術。そして、ここに至るまで点在していた橙色の熔解地点。

 それらが人の燃えた跡だとすると、かなりの数が僅かな間に死んだことになる。


(いや、殺されたと言うべきかしら……)


 改めて世界の名立たる強者を頭の中で展開してみるが、やはり該当しそうな者はいない。


「それよりも、どうしてあなただけ生き残ったんです?」


「そんなの、部下を皆殺しにしてくれた奴に聞けってんだ、クソッタレ」


「そもそも、警邏隊が来るってどういうことよ?」


「それは、オレたちがゾニエ家を殺すと思ったからじゃないか?」


「……話が見えないわ」


「さっき言ったろ。あいつらが殺される前に、オレたちのところを訪れた奴がいたのよ。『ゾニエ家を滅ぼさないか』ってな」


「誰なのよ、そいつは?」


「さてな。顔を隠していたし、声も変えていた。小柄な奴だったから女だとは思うが、使いっ走りの可能性もある。まぁ、どこの誰かなんて最初から明かす方が珍しいけどな」


 言われてみればそれもそうか、と納得するシーリア。

 そう簡単に素性を明かすとも思えない。事が大きければ大きいほどに。


「どうしてあんたらに?」


「大方ゾニエ家の阿呆がオレたちに叛逆を持ち掛けてきたのと同じ理由だろうよ」


「じゃあ?」


「ああ。断ったさ、勿論な」


「それならどうして警邏隊が絡んでくるのよ?」


「誰かが奴らに垂れ込んだって話があってな」


 その誰かとやらはおそらく自分たちを嵌めた者だろうとシーリアは推測する。


「馬鹿真面目なあいつらは、オレたちを捕まえたくて仕方ないはずだからな。口実があれば喜んで踏み込んでくるさ」


「どうして罠なんか……」


「見せしめだ。この業界舐められたら終わりだからな。確たる証拠もないのに乗り込まれるなんてあっちゃいけねぇ。それどころか、こっちは誰と仲良くするべきなのか損得勘定すらできない間抜けと思われたわけだぞ?」


「それで警邏隊を敵に回したら意味ないんじゃないの?」


「アホか? 何のために、賄賂やら接待やらをやってると思ってんだよ?」


 言われて、「なるほど……」と納得するシーリア。

 サイフォンはこの国で幅を利かせている。彼らに鼻薬を嗅がされている要人は少なくない。だからこそ、これまでに捕まらずにいたのである。決して安くはない対価を払っている彼からしたら、家宅捜索など許せるはずもないだろう。


「ゾニエ家を潰そうとした奴に心当たりはないの?」


「それは――うっ」


 突然、苦しそうに喉元を押さえるサイフォン。口の端から泡を噴き、限界までその目が見開かれていく。


「ちょっ! どうしたってのよ!?」


 シーリアがサイフォンに駆け寄り、肩を揺する。

 しかし、サイフォンは一際大きく目を見開いた後、動きを止める。目から光が失われ、糸が切れたかのように体が斜めになり、そのまま倒れていく。


「死んだ……」


 頸動脈に手を当てたシーリアが頭を横に振る。


「毒、みたいだね……」


 カミツレがサイフォンの瞳孔や心音を確かめる。


「でも、毒なんていつ仕込まれたのよ?」


「その侵入者が仕込んでいたんじゃないですか?」


「――いや、それはないと思うよ」


 カミツレが真正面から否定する。


「殺すつもりだったら、気絶させて放置してわざわざ毒で殺すなんてそんなまどろっこしいことしないよ」


「それはそうですが……」


「でも、それならその侵入者がサイフォンを生かしておいた理由がわからなくね~?」


「もしかしたらだけど、サイフォンの持っている情報を僕たちに吐かせたかったのかもしれないね」


「何それ? それじゃあ、その侵入者は私たちの味方ってこと?」


「さぁ。そこまではわからないよ。それどころか、さっきの予測が合っているかすらわからないしね」


「その割には随分と確信を持っているようだったように感じたけど?」


 シーリアの訝しむような視線がカミツレに突き刺さる。

 しかし、カミツレは肩を竦めて応じるばかりである。


「ひとまず、ここを出た方が良いんじゃないかな?」


 と、スターク。


「スタークと同意見なのは不服ですが、私もそうした方が良いと思います」


 渋々といった様子でシレネも同意する。


「それもそうね……」


 疑問は山積している。だが、ここでこれ以上の発展はないだろう。

 得られた情報はというと、掛かった労力に比べてほとんどないに等しい。割に合っているとはとてもではないが言えないだろう。

 それでも、前に進んでいると信じて立ち上がる。


「帰りましょう。立ち止まっている暇なんてないわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ