教皇 その2
「君に一つ質問だ」
そう言ってローランは、一瞬アウラをちらりと見てスヴェンへと視線を移した。
「君の目の前に大勢の人がいるとする。彼らは非常に困っている。そして、君には彼らを助けられる力があるとする。しかし、悲しいことに彼らを救うと、君や君に近しい者たちに不幸が訪れてしまう。さて、君ならどうするかね」
「そんなの、傍観ないし無視に決まっているじゃないですか」
「ふむ。即答かね」
「そもそも無視して関わらなければ良い話です。関わったところで、得られるのは空虚な自尊心だけ。被る害を考えると全く釣り合わない。悩むまでもないです」
あくまで淡々と応じるスヴェンにローランは小さくため息を吐きながら笑った。
「実に合理的だ。打算的と言っても良い。人の命が関わっているのに、感情ではなく理性であっさりと損得を弾き出す。やはり、君は噂通り重層世界の住人、或いは擬人のようだ」
重層世界――一と〇という二つの数字から構成され、現世に重なるようにして存在するもう一つの領域。《エニグマ》なしでは干渉することすらできないそこは、知識と理論の巣窟で知られている。一切の無駄が省かれ、ただただ合理性だけが残ったような冷たい世界だ。
「心外ですね。知識欲しかなく、感情や倫理を知らない彼らと一緒にされるとは」
「そう言ってくれるな。情報生命体の彼らは個であり群でもある。我々と違っているのは当然だろう」
そんな者たちに例えたのは、いったいどこのどいつだーー喉元まで出掛かった不敬な言葉をグッと堪え、努めて冷静に反論を試みる。
「だからこそですよ。得た情報を瞬時に共有する彼らには本質的な死が存在しない。人と彼らとの相互理解は不可能ですよ」
「真に理解し合えないのは人同士にも言えることさ。むしろ、人と彼らとでは、種族が異なるという言い訳が効く分、まだ救いがあるとも言える」
「それでは、天下の教皇様は人同士の和平はあり得ないと認めるのですか?」
「事実だからね。それに、彼らの協力があったからこそ今日の技術の発展がある。そのことを忘れてはいけないよ」
「だとしても、人の思考を真似だけの人形と同列というのはさすがにあんまりですよ」
「と言う割にはそれほどの感慨もなさそうだが?」
ローランの指摘にスヴェンは肩を竦める。子どもでもあるまいし、擬人だ何だ言われて本気で怒る者などいないだろう。
「まったく、一体何の確認だったんですか?」
「なに、ただの好奇心だよ。さて、私はこの辺りで退散しよう」
「可能であれば、このまま二度とお会いせずに済むことを祈りたいものですね」
一瞬目を丸くしたローランはカラカラと笑い、そのまま護衛を連れて部屋を後にした。
「やっと帰ったかぁ……」
ヴァルダが大きく息を吐き、ローランの姿が見えなくなると同時に煙草へと手を伸ばす。あっという間に一本目を吸い終わり、すぐさま二本目へと移行するのは、「渋く、格好良く」をモットーとしている彼にしては珍しいことだった。それだけ、彼としてもローランに対して思うところがあったのだろう。
「本っっっ当に、不愉快な奴ね!」
怒気を露にするアウラの周囲の空気が焦げつく。
「アウラって教会が絡むと滅法敵視するよな?」
「光の女神が嫌いなだけよっ! それと、あの子を盲信する人たちのこともねっ!」
「まるで光の女神と友達みたいな言い方だな……」
「どこをどう聞いたらそうなるのよ……」
友達と言われたことが余程嫌だったのか、アウラがげんなりとした表情を見せる。
「まぁ、そうだよな。身近というにはあまりに遠い存在だ。人々に交じって暮らす神もいるにはいるらしいが、それはあまりにも特殊な事例だろうし」
「というか、スヴェンもスヴェンよ。どうしてそんなに炎の女神のことが気になるわけ? 調べたって何の意味もないじゃない」
「それはそうなんだが……」
腕を組んだスヴェンは、何と答えたら良いものかと思案する。
「俺が孤児院の出だってことは知っているよな?」
「ええ。前に聞いたわ」
「孤児院にいたとき、耳にタコができるくらい繰り返し聞かされた子守唄があってな……」
「それって、あれでしょう? 遥かな遠い昔、この世界が六翼と呼ばれる女神たちによって創られたっていう、創世詩の……」
火を興し、光を産み、闇を落とし、風を吹かし、土を盛り、水を齎した。
神々は、それぞれが得意なものを創り出した。始祖として自らを分岐させ、枝葉の神に手伝わせて。やがて創造物は数を増し、それが世界となった。賑々しい世界は繁栄と幸福を形にしたようだと伝えられている。
しかし、輝かしい世界の終わりは突然訪れた。
六翼のうち、【浄火】と【再生】を司る炎の女神が世界を滅ぼそうとしたのだ。
世界に牙を剥き、その燃えるような紅髪で包むように、次々と世界を朱に染め上げる炎の女神。
始祖同士が争うのは良くないと、当初は交渉による平和的な解決を目指していた他の女神たちだったが、世界滅亡を前にとうとう光の女神が立ち上がる。
多くの人々を味方につけて戦った光の女神は徐々に炎の女神の力を削っていき、そして長く激しい戦いの末、人間の英雄ランバルドによって炎の女神はその命を絶たれた。
「世界を滅ぼそうとした炎の女神は、創生の神ではなく、世界の敵として知られるようになった。そのときに齎した被害から、【災火】や【災厄の化神】といった忌み名をつけられてな」
「世界の敵なんて、それはもう凶悪な奴だったんでしょうね」
「伝承を聞く限り、だけどな」
「あら? 引っ掛かる物言いね?」
「だって、皆が知っている通り戦いは光の女神の勝利で終わるわけだが、炎の女神がどうして世界を滅ぼそうとしたか、ってどこにも語られないだろ? 疑問に思わないか?」
「まぁ、言われてみればそうね……」
「どうして炎の女神は世界を滅ぼそうとしたのか、どうしてその理由が語られないのか。歴史は事実とは異なる。語る者たちによって騙られるからな。それこそ歴史が証明してきた通りだ」
「だがよぉ、それは今の世界を真っ向から否定する考え方だぁ。そんなことを言っていたら、リコフォス教会に目を付けられるぜぇ?」
「ヴァルダの言う通りね。多数派意見に迎合することも時として必要よ。数の暴力ほど恐ろしいものはないもの」
「まるで知ったような口ぶりだな」
「それはもう、痛いほどに」
自嘲するかのように小さく笑うアウラ。傲岸不遜な彼女にしては珍しく弱気な物言いだ。それが少しばかり気に掛かったが、言っていること自体はもっともだ。
「でも、そんなことを知ってどうするのよ?」
「……別にどうもしないさ」
なぜならば、その謎を追うことそれ自体に意味があるから。
孤児である自分には確固たる地盤がない。明確な背景を持たず、寄る辺もなく、自らを定義づける根っこがあるわけでもない。
どうして生きるのか。
何のために生きるのか。
ふと立ち止まった時、延び行く道を霧で覆い隠し、ともすれば生きる力を根こそぎ奪いかねない猛毒。それに対抗するための生の指針として、炎の女神の謎はうってつけだった。一生がいくらあっても足りないくらいである。
「何よ、それ」
「さてな」
「あのね――」
尚もアウラが追及しようとしたときだった。トタタと階段を下る軽やかな足音が聞こえてくる。
ガチャリとドアを開けて入ってきたのは、
「――およ? 皆さんお早いことで」
パジャマ姿のリーナシアだった。寝起き丸出しの乱れた髪。ズボンはずり落ち、臍部が露になっている。あまりに緊張感に欠ける彼女を見てアウラとヴァルダが唖然としたのも束の間、すぐに握り拳を作る。
「あなたが遅いのよっ!」
「オメェが遅ぇんだよぉっ!」
二人分の猛烈なツッコミにより、事務所の窓という窓がビリビリと鳴るのであった。
ーーーー
「良かったの~? おにいさんたちと接触して~?」
影を帯びた少女の言葉には敬意の欠片もない。しかし、男は特に意に介した風もなく、さらりと応じる。
「同類がどんな選択をするか見ものじゃないか」
「うぅわ~。性格悪っ!」
「なに、これくらい許して欲しいものだね」
「知らないよ~? 遊びが過ぎて痛い目を見ても」
「それはそれで楽しみの一つさ。どう足掻こうが結果は変わらない。いや、変えられるのなら変えてみて欲しいくらいだ、むしろね。私はきっと大いに賞賛するだろう」
「嘘つきめ。無理だってわかっている癖に」
「勿論だとも。そうでなきゃ困るからね」
男は人を喰ったように笑う。しかし、彼が本当に笑っているところを見た者は、もう長いこといない。貼り付けたような表情だけが、針山の上を歩いてきた彼を表している。
「さてさて。状況は絶望的。救いは皆無。果たしてそんな中で彼らはどんな道を選ぶのか……気になって仕方がないだろう?」
「本っっっ当に性格が悪いね。狂ってるよ」
興味がなくなったのか、少女が去っていく。
「そうでなければ、やってられないよ」
男のくつくつという含んだ笑いは誰の耳に届くこともなく消えていった。




