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顕現せし浄火

「――状況が変わった」


 背筋を冷たい汗が伝っていく。


「このまま連絡が十五分なかった場合は、里の奴ら全員連れて逃げろ」


 詳しい説明をせずにそうとだけ言って通信を終えるスヴェン。

 その目の前には巨大な狒狒らしき棄獣の姿が一つ。こちらを憎らしそうに見下ろしている。


 ――新種。


 確認するまでもない。なんだかんだ棄獣狩り歴の長い自分が見たことのない型となれば、新種以外あり得ない。大方、突然変異だかで発生した類だろう。幸いにして不幸なのは、現れた新型棄獣が一体だけだということにある。

 数が多ければそれだけ慎重な立ち回りを求められる。

 一方で、数が少ないというのは、多数を必要としないほど強いということの裏返しでもある。

 つまり、たった一体だが、その一体が非常に強力である可能性が高いということだ。


「どうやら、俺の出番が来ちまったらしいな」


 スヴェンが言うと同時に新型棄獣も動く。その巨体に似合わない素早さで距離を詰め、筋肉に覆われた極太の腕を振るった。

 最初は様子見をしようと決めていたスヴェンだったが、咄嗟に後退を選択。空を切った新型の一撃はこの森を構成する巨木を粉砕、なぎ倒す。


「あんな太い樹を一撃かよ!」


 さすがのスヴェンでも驚愕を隠せない。棄獣化云々以前に、一撃もらえば粉々にされてしまうだろう。


「これは、本気で英雄たちと肩を並べるときが来たか?」


 冗談めかして言ってみるが、とても笑う気になれない。

 ヴァルダとアウラともに理力切れ。これ以上、理力を熾したら後遺症になりかねない。もっとも、ここで死んでしまったら後遺症もないが……。

 それをわかってか、ヴァルダが意味深な視線を送ってくる。その意図を察して、無視する。最悪な事態を想定する前に、まずは温存されてきた自分が体を張る番だ。


「とは言ったものの、全く勝てる気がしねーな」


 剣を握り直して、返ってくるその頼りない感触に頭を抱えたくなる。

 撤退からの逃走を考える。

 しかし、この新型は他の棄獣よりも素早く、知能も高いと見える。仮にこの場から撤退できたとしても、ロロリト族を連れて逃げるのは難しいだろう。

 つまり、ここで討滅するしか道は残されていない。

 リーナシアには十五分と言ったが、失敗だったかと後悔する。五分持つかも怪しい。


「まったく、変異するにしても変わり過ぎだろ!」


 不満を漏らすが、当然棄獣に届くはずもなく、再度その腕が振るわれる。

 身を屈めてスレスレのところで躱すと、そこへがっちりと握られた両手がハンマーのように振り下ろされる。轟音と同時に地面が爆ぜ、大地が激しく揺れる。その振動に驚いたのか、一斉に鳥たちが羽ばたいていく。


 地面にめり込んだ狒狒の巨腕の上をスヴェンが疾走する。肩付近まで登ると、一気に跳躍。狒狒の喉元目掛けて剣を突き出す。

 しかし、鉄のように固い皮膚を切り裂く前に、負荷に耐えられず剣が中ほどから折れてしまう。

 やはりと思う間もなく、じたばた暴れる狒狒に弾き飛ばされ、巨木に激突する。


 大量の血を吐きながら地面にずり落ちるスヴェン。明滅する視界の中で、傷を確認。どうやら外傷はないらしい。棄獣化と思しき症状も見られない。内臓がどうなっているかは考えたくもないが。

 震える足に力を込めて、巨木に寄りかかるようにして立ち上がる。その視線の先では、今まさに狒狒がアウラとヴァルダに襲い掛かろうとしていた。


「こんのっ……!」


 腰に提げたベルトから投擲用のナイフを取り出そうとして、空を切る。疑問に思い確認すると、腕があり得ない角度でひしゃげていることに気付く。先ほど受けた一撃で駄目になっていたらしい。


「やっべ……」


 視線の先でヴァルダが咄嗟に理鋼糸を展開しようとするが、理力切れの所為か制御に苦しんでいるらしい。その顔には焦燥。いつもの飄々とした雰囲気は消え失せている。

 数秒後に肉塊と化すヴァルダの姿がスヴェンの脳内で描かれる。


(何か……何かないか……?)


 圧縮される時間の中で限界まで思考を加速させる。

 しかし、この状況を打破する手段はない。

 そう――一つを除いて。


(成功するかどうかじゃない……やるしかない!)


 成功率そのものが低く、例え成功したとしても爪先大の炎しか灯せない理術。

 しかし、今はそれに縋るしかない。それしかないのだ。


(あの炎の女神との契約者だろうが!)


 始祖の女神の中で最強と称される炎の女神。その力の一端でも借りられることができれば或いは――。


 鍛錬を思い出し、理力を熾す。相変わらず猫耳教官の言葉の意味はわからないが、それでも熾す。


「うぉぉ! 巡れぇぇぇ!」


 咆哮。一心不乱に理力という理力を全身から掻き集める様子をイメージする。すると、体の中から燃え上がるような激しい脈動が鳴り響く。


 ――これが理力を熾すということなのか。


 酷い頭痛。次いで全身がバラバラに引き裂かれるような激痛に苛まれる。あまりの熱さに、体の中から炎が溢れ出す錯覚に陥る。

 果たしてこの状態が正解なのか。それすらもわからない。だが、今は成功していると信じて進むしかない。


 熾した理力を一点に集中させて、イメージをなぞるように一気に解放する――。


 お手本ならつい先ほど本家本元が目の前で見せてくれたものがある。

 無事な左手を正面に翳し、体の内からこみ上げる衝動を一気に解き放つ。

 次の瞬間、白蛇のような炎が出現し、新型棄獣目掛けて空を這った。

 そして、ヴァルダとアウラを屠ろうとしたその巨体に絡みつくや、一瞬にして劫炎の檻に閉じ込めてしまう。


 本家に比べれば随分と迫力に欠けるが、それは紛れもなく浄火そのものだった。鍛え上げた観察力が功を奏したのか、はたまた間近で戦う様を見続けてきたからか、或いはその両方か、何れにせよ世界の理にすら干渉し得る力の一端を顕現させることができたのだ。

 さすがの新型棄獣と言えど、その火勢には太刀打ちできず、白炎の中でもだえ苦しんでいる。


「あいつ、この土壇場で成功させやがったぁ……」


 珍しく唖然とした様子でヴァルダが呟いた。


「…………」


 しかし、一方のアウラはと言えば、剣呑な様子でスヴェンを見つめている。

 やがて新型棄獣は動きを止め、そして跡形もなく蒸発する。


「何とかなったか……」


 ふぅっと大きく息を吐き出して、スヴェンは巨木に背を預けるようにして座り込む。

 負傷した所為もあるだろうが、やけに体が重い。指一本動かすことですら至難だ。

 これが理力切れか、と理解する。

 加減がわからず、とにかくありったけの力を込めた所為でガス欠になってしまったのだろう。


「これは確かにしんどいわ……」


 理力切れを起こしたアウラやヴァルダの姿は何度か見たが、実際に体験してみないとわからないものである。これまでの二人の貢献に頭が下がる思いだ。

 そんなことを考えていると、端末から着信音が鳴り響いていることに気付く。

 端末を操作し、履歴を確認するとリーナシアからのものだった。余程心配したのだろう、履歴が彼女からのもので埋まっている。


「あー、俺だ」


『ようやく出たっすか!!』


 あまりの声量にキンキンと耳が鳴る。


『無事っすか!? 何があったんすか!?』


「ひとまず問題ない。新型が現れたんだが、何とか倒した」


『はぁぁ!? 新型!? 新型って言ったっすか!?!? 怪我は!?』


「右腕がおしゃかになったのと、内臓がちと駄目そうだが、棄獣化は免れたみたいだ。早いところララーナを連れてきてもらえると助かる」


『了解っす! 最速で向かうっす!』


 ぶつりと一方的に通信が切られる。

獣人のリーナシアが最速と言うからには、あと数分もしないうちにララーナを人攫いよろしくその肩に担いでここに到着するだろう。

 治療師であるララーナの理術があれば、致命傷にはならずに済むか。

 重層世界の叛乱時に胸に風穴を開けたベルリアを助けたのもララーナだ。負傷した際は安心と信頼のララーナ様である。

 程なくして、案の定ララーナを肩に担いだリーナシアが駆け付ける。


「まだ生きているっすか!?」


「人見知りな所為か、あの世への川渡しに嫌われたみたいだ」


 軽口を叩いて立ち上がろうとして踏ん張りがきかずによろけてしまう。慌てて巨木に手を突いて転倒を防ぐ。


「こんなにも理力切れがしんどいとはなー」


 気丈に振る舞おうとするが、膝が笑って上手く自重を支えられない。


「使えるようになったからこその苦しみってやつ――」


 言い終える前に、世界が傾いた。

 何が起きたか探ろうとして、視界が闇に閉ざされる。敵の攻撃かとも思い戦いに備えようとするが、疲労の所為か体が言うことを聞かない。


『――ェン!』


 遠くでリーナシアらしき声が聞こえた気もするが、膜が張られているかのように不明瞭だ。やがてその音すらも遠のいていく。


 何だか眠い。途轍もなく眠い。


 猛烈だがどこか甘美でもあるそれに抗え切れず、ふっと意識を手放してしまう……。

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