教皇 その1
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翌朝。
事務所の応接室は、普段の倍近い密度になっていた。ソファにはアウラ、スヴェン、ヴァルダが座っている。リーナシアの姿はない。……寝坊だ。
テーブルを挟んで対面のソファには眼鏡を掛けた男が一人。そして、その背後には彼を護衛するかのように二人の男が控えている。
「ーー期待通り、棄獣を見事退治してくれたみたいだね」
眼鏡の男が真っ白な歯を光らせ、張り付けたような笑顔を向けてくる。
壮齢の男。そんな言葉がぴったりという印象だ。歳は四十半ばといったところだろう。
マナザ・ローラン――ルグリカにおいてその顔と名前を知らない者はいないリコフォス教会の教皇である。
「まさか、先日に引き続き今日もこんな弱小事務所を尋ねられるとは。教皇様がこんなにも仕事熱心だったとは存じませんでした」
「なに。私にはこうして自ら赴いて礼を示すくらいしかできないからね」
暇なのかというスヴェンの皮肉は、さらりと躱されてしまう。やはり教皇ともなると、この程度では動揺しないということか。
「それで、目的は何でしょうか?」
「そう構えないで欲しいな。まだ英雄たちに目的を告げただけじゃないか」
「またそれですか。英雄なんて大層なものじゃないです。誰かと勘違いしていらっしゃると先日も申し上げたはずですが?」
「おっとっと。そうだった、そうだった。これは失礼。災厄級の大事件である【鮮血の黎明事件】の解決者が随分と君たちに似ているものだからつい、ね。いやぁ、年は取りたくないものだ」
はっはっは、とわざとらしくローランは笑って見せる。
「公表では政府が討滅したことになっていたはずですが? 俺たちのような弱小事務所には縁もゆかりもない話ですね」
「それはそうだろうね」と応じてローランは何やら指折り数えていく。「教会総本山への不法侵入に機密情報への不正アクセス、警備隊への暴行や拘束監禁してからの所持品の奪取……事件解決のため仕方なくとは言え、決して褒められない素敵な振る舞いの数々を自分たちのものだとは言えないだろう」
ちなみに、とローランが続けた。
「それらを揉み消すためにあちこちに根回しをしたのは、この私だ」
「……ルグリカの懐刀である龍狩りライールが、腐龍ムジナ討滅戦で動けない状態だというのに、他国に支援を求めることもせず、ただただ事態を悪化させた張本人はあなただ」
「支援という名目で他国の軍を受け入れて、そのままあれこれ理由を付けて駐留、事実上の占領なんてされたら敵わないからね。そのリスクは取れないよ。それに、君たちには関係のない話だろう?」
全く以て喰えない男である。
「はぁぁ。わかりました。無駄な腹の探り合いは止しましょう。整腸剤なんて飲みたくないですからね、お互いに」
「勿論だとも。あぁ、それと、勘違いして欲しくないのだが、これでも君たちには感謝していてね。それも、かなりだ」
「よく仰いますね。当時のことを蒸し返して棄獣狩りを依頼、もとい強制してきた方の言葉とは思えませんが?」
「個人の思いと課せられた責務が常に一致するとは限らないということだね。いやはや、実に悲しい現実だ」
「何にせよ、俺たちは依頼を果たしました。約束通り、今後俺たちに関わらないこと、あのときの行為については不問にすること、この場で正式に承認してもらいますからね」
「そうだねぇ……」
「何ですか、勿体振ったりして」
「いや、何、もう少しだけ君たちには手を貸してもらいたくてねぇ」
「はぁ!? 約束が違うじゃない!」
スヴェンが聞き返すよりも早くアウラがソファから勢いよく立ち上がる。その小柄な全身からは強烈な怒気。どうにも彼女は教会が絡むと感情を剥き出しにする傾向があるようだ。スヴェンは今にも掴みかかりそうな彼女を手で制す。
「所員の態度については後程きつく言い聞かせておきます。ですが、彼女の言い分はもっともでしょう」
「しかし、君はこうなるだろうことを承知で条件を呑んだのだろう?」
「それは……」
ローランが言う通り、確かにこの状況は想定できた。だが、それでも呑まざるを得なかった。
ルグリカ教国はリコフォス教会のために興された国だ。当然、教会の意向が強く反映される。所謂、政教一致国家である。そして、教皇は実質教会と政府のトップと言える。つまり、ローランを敵に回すということは、その二大権力を敵に回すことを意味する。
結局のところ、スヴェンにはローランからの依頼を受けるしかなかったのだ。
「まぁ、私も神に仕える身だ。あまり不義理なことはしないつもりだ」
「あまり、ねぇ……」
ヴァルダがわざと聞こえる声で呟く。そこに込められた意味は明らかだが、ローランはわざと気づかない振りをして話を進める。
「だから、君たちにはもうひと働きくらいしてもらいたくてね。そうしたら今度こそ約束を果たそう」
「流石は教皇様だぜぇ。説得力に満ち満ちていることで何よりじゃねぇかぁ?」
「そう噛みついてくれるな。これでも最大限の敬意を払っているつもりだよ。依頼ではなく、強制することだってできるんだからね」
どの口が、というアウラのぼやきが隣から聞こえてくる。
「それで、頼みたいこととは?」
「護衛を数日ほど頼みたい」
「護衛、ですか?」
「どうにも、ここのところ物騒でね。何かが起きるのではないか、そんな気がしてならないんだ」
教皇ともあろう者が、予感などというあやふやなもので動くとは思えない。裏を返せば、確度の高い情報が入っているということか。
とはいえ、多忙な教皇自らがそこらの棄獣狩り事務所を訪れるというのはあり得ない。裏を返すと、冒頭にローランが話していた誠意というのもあながち嘘ではないのかもしれない。
「それは、【狂神父】が呼び戻されたことと関係が?」
「さて。あれはリーザス大司教の管轄だからね。私の関知するところではないよ」
嘯くローラン。しかし、背後関係を知っている者からしたら、それが言葉通りでないことは明白だ。
「リーザス大司教といえば、あなたとは反りが合わないことで有名でしたよね」
そんな相手が、汚れ役をこの街に呼び戻した。それが意味するところはあまりに大きい。スヴェンの思考を読んだのか、ローランが辟易するように苦笑を零す。
「教会も一枚岩ではないということだ。私だっていつこの首を取られることやら」
「穏やかではないですね。聞かなかったことにしておいた方が賢明そうだ」
「まぁ、何はともあれ、そういう事情から先の話に戻るというわけだ」
「ですが、どうして俺たちに? 教皇の護衛ともなれば、わざわざ外部の人間を探さずとも精鋭が揃っているのでは?」
「内部に対して睨みを利かせなければいけないのに、近い者たちを使えるわけがないだろう? その点、教会や政府が首輪を付けられない棄獣狩りは持って来いだ」
荒事を生業とする棄獣狩り。戦闘行為が身近にある所為か、はみ出し者が多く、問題を起こす者も少なくない。しかしながら、棄獣を討滅するという大義名分のもと、棄獣狩りの蛮行は相当に目を瞑ってもらっている実情がある。言うなれば、必要悪といった扱いだ。
「棄獣狩り事務所は他にもあります。何もこんな弱小事務所を名指しせずとも……」
スヴェンのその疑問は予め想定していたのか、ローランが手を翳して制する。
「まず、ほとんどの棄獣狩り事務所は近々行われる南の棄獣掃討作戦の準備で大わらわだ。そして、教皇の護衛ともなれば相応の実績を持つ者でなければならない。付け加えるならば、口が堅いことも外せない。……どうだね? 君たちにぴったりじゃないか」
「なるほど。先の依頼はテストだったというわけですね。そして、俺たちは規模が小さ過ぎて掃討作戦から除け者にされたし、何かあったとしても口封じは容易、そういうことですか」
「捉え方は個人の自由だよ。それで、報酬についてだが」
ローランは真っすぐにスヴェンを見た。
「知りたくないかね?」
「……何をですか?」
焦らすように一拍おいて、
「――炎の女神について」
「炎の女神だと……?」
スヴェンの眉がピクリと動く。その反応に満足したのか、ローランの双眸が眼鏡の奥でほのかに笑う。
「やはり気になるかね?」
「教会は、かつて世界を滅ぼしかけた炎の女神を禁忌としているはずですが? 教皇たるあなたが知らない筈はないでしょう?」
「まったくもってその通りではあるが、世の中綺麗事だけで済まないのもまた事実でね。教皇である私だからこそ知り得る情報もある」
「しかし……」
「どうせ、断れねぇんだろぉ? なら受けた方が得ってもんだろうよぉ。お前さんの目的とも合っているんだしなぁ」
「勿論、金銭面での報酬もそれはそれできちんと支払おう。さっきの話は、あくまで私個人からのちょっとしたお礼と考えてくれれば良い」
スヴェンは手元に視線を落として思考を走らせる。
教会が絡むとろくなことにならない。棄獣狩り界隈では常識だ。
しかしながら、断ることができるのかと考えて、すぐに不可能と判断。となれば、ヴァルダの言う通り答えは一つだ。
「わかりました、受けましょう。期間は?」
「創立祭が終わるまで」
「創立祭ってことは約一週間か……」
呟いて重要なことに気付く。
「――って、創立祭が始まるのは明日ですよ?」
「そうだね」
「さらっと言ってくれてますけど、さすがに急過ぎやしませんか?」
「情報漏洩のリスクを限りなく減らすためだ。理解してくれるね?」
「いやいや、こちらにも準備というものがですね……」
反論を試みるが、無言で笑うローランを見て無駄だと悟る。
「なるほどなぁ。世界中のリコフォス教信者が入り乱れ、一番警護が難しくなる時期に備えるということかぁ」
ヴァルダの推察は当たっていたらしい。ローランは小さく頷く。
「それさえ耐えてしまえば、連中も下手に動けないだろうからね」
「……はぁぁ。承知しました。準備に今日一日は欲しいのですが?」
「構わないとも」
「では、護衛は明日からで。今日死なれても知りませんから」
「この私を前にしてそんなことを言える君は本当に面白いね」
ローランは呆れるように小さく笑うと、ゆっくりと立ち上がった。そのまま護衛に前後を挟まれながら部屋を後にしようとする。
「――そうだ」
応接室から出るか出ないかのところで、突然ローランが思い出したかのようにポンと手を打ち振り返った。
「君に一つ質問だ」
そう言ってローランは、一瞬アウラをちらりと見てスヴェンへと視線を移した。




