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トーリンデルス王国 その2

「私もそろそろ行こうかしら」


 髪も乾いたし、服装も問題ない。日焼け止めも塗った。靴を履こうとして忘れ物を思い出す。いそいそと部屋へ戻り、神器『プロト・グラディウス』を手に取った態勢で十秒ほど硬直。さすがにこの格好で剣を持ち歩くのはないなと思いながらも、一応鏡の前に立つ。

 映し出された姿を見て苦笑。


 うん。やっぱり、ない。あり得ない。再確認完了。


 そっと『プロト・グラディウス』をソードラックに戻し、太腿に小剣用の剣帯を巻き、そこに護身用程度の短剣を仕込む。

 いざとなれば理術で『プロト・グラディウス』を作り出すことも可能だが、そのためだけに代償を払うのは出来れば避けたい。そもそも帯剣する必要すらないかもしれないが、用心するに越したことはないだろう。

 ドアを開け、外に出る。一気に明るさが増す。事前に確認しておいた通りの晴天だ。真夏ということもあり、かなり日差しが強い。

 ついつい、「そのうち自分も日傘を作ってもらおうかな」などと考えてしまう。柄の中に刃が仕込まれた、所謂仕込み刀というものを。そうすれば、太腿を締め付ける必要もないし、紫外線も緩和できるし、一挙に二つの問題を解決できる。

 そう考えて、フッと鼻で笑ってしまう。剣に生きると決めた自分が、一介の女よろしく日焼けを気にするとは。まだまだ修行が足りないなと自省する。

 通り抜けていく潮風に髪が流されて髪留めを忘れたことに気付く。まぁ、たまには良いかとも思い、流されるままにする。


 トーリンデルス王国の東部に位置するパルミラ市。街の東端、つまりはバスケア大陸の東端はアプリゾム海に面し、一年を通して街中を潮風が通り抜けていく。

 生まれはルグリカ教国に程近い西部の方だが、紆余曲折あり、一年を通して陽気なこの街の雰囲気を気に入って引っ越してきた。

 それが今となっては、街全体が沈んだ空気に押し潰されようとしている。

 それもこれも、現在全世界を大絶賛困らせている通信障害の所為だ。あれが原因で、王国も例に漏れず混乱している。


 世紀の大事件。その主犯とされているユザ・スヴェンは、何を思ってこんな事態を引き起こしたのか。あらん限りの想像力を動員するが、狂人の考えなどまるで理解できる気がしない。

 そして、それ以上に大きな問題がある。

 ランキッサ帝国が、トーリンデルス王国を名指しで批判したのである。

 食料を大量に保有し、生産できる彼の国が自国の利益を優先せんがために、重層世界との通信を途絶させ、この大混乱を引き起こした――と。

 当然ながら王国側は、言われなき批判としてこれに反発。

 しかし、ランキッサは聞く耳を持とうとせず、トーリンデルスに事件解決のための期限を一方的に叩き付けたのである。

 条件は、事態の解決、もしくは主犯の確保。

 達成できなければ、報復行動に出るという。事実上の戦線布告を受けた形だ。

 これが、約二週間前の出来事というわけだ。


「まぁ、いつかはこうなるだろうとは思っていたけどね」


 元より、トーリンデルス王国は地政学的に非常に難しい場所に位置している。

 王国の北部はランキッサ帝国に、西から南にかけてはルグリカ教国に隣接し、二つの大国に挟まれている形である。

 しかも東部は海に面している所為で逃げようにも逃げ場がない。

 それでいて、トーリンデルス王国自体は比較的領土の小さな国だ。そんな王国がこれまで独立を貫けたのには二つ理由がある。


 一つ目は、バスケア大陸全土を賄うほどの食料生産能力だ。

 海に面し、且つ比較的南よりということもあり、一年を通して温暖な気候が続く。しかも、寒冷地であるランキッサからトーリンデルスを通ってアプリゾム海へと抜けるようにクナクマ川が流れ、丁度王国がある位置に豊かな土壌を形成している。【肥沃の村】ミーベなどは世界でも有数の穀物の生産地として有名だ。

 そんな土地をランキッサやルグリカが放っておくわけがない。双方ともに喉から手が出るくらいトーリンデルス王国を欲している。

 しかし、下手に戦火が広がれば自国の食料問題にも繋がり兼ねない。それ故に、手を出そうにも出せなかったというのが実情だ。


 そして、奇妙に聞こえるかもしれないが、ランキッサとルグリカという二大国に挟まれているのが二つ目の理由だ。

 ランキッサが動けばルグリカも動く。逆もまた然り。そして、双方が正面から衝突したら、互いに尋常ではない被害が出る。それがわかっていたからこそ二国ともおいそれと手を出せず、膠着状態という名の均衡が生まれたのである。皮肉にもランキッサとルグリカという二大国に挟まれることで緩衝地帯になったというわけだ。


 しかし、その均衡が最近になって崩れた。

 ルグリカ教国が最高指導者である教皇ローランを失い、擬人の暴走の責任を各国から追及され、各方面での対応に追われることになったのである。

 これを好機と見たランキッサが、混乱に乗じてトーリンデルスを押さえ、そのまま食料生産能力を掌握し、後のルグリカ侵攻の足掛かりにしようとしている。


「こういうときこそ私たちの出番よね」


 まずは、情報収集のために賞金稼ぎの溜まり場である集会場に向かう。

 集会場に着くと、中は今が稼ぎ時とばかりに多くの者で溢れていた。


「そんな格好で来るなんて珍しいな?」


 話し掛けてきたのは顔馴染みの男だ。過去に二、三度組んだことがある。腕は悪くない。


「非番だからね。それにほら、私も一応女だから」


「お前さんみたいなのが女を名乗ったんじゃ、世界は女だらけってことになる。剣にそっぽ向かれても知らないぜ?」


「うっさい! そういうあんたこそ少しくらい身綺麗にしたらどうなのよ?」


 眼前の男の顎髭は伸ばし放題だ。身に纏う服は土埃に塗れ、風呂に入っていないのかキツイ体臭が漂ってくる。不潔を体現したかのような状態だ。


「なに、身綺麗な賞金稼ぎはド三流ってな。足を使って泥臭く標的を追い詰めてこそよ」


「追い詰めた後まで汚いままでいる理由にはならなくて?」


「今ばっかりはしゃあねぇだろ。野盗があちこちで幅を利かせているんだからな。休んだ分だけ損をする。『良い街の条件は賞金稼ぎが少ないところ』って言うが、今ほどそれを実感するときはないぜ?」


「本当にね。そして今やその『良い街』ってのがどこにもないのだから泣けてくるわ」


「いんや。一つだけ楽園はある」


「どこよ?」


「――ランキッサ帝国」


 そう言って男はニヤリと笑った。

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