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トーリンデルス王国 その1

        ■■■


 翌朝。

 吐き気とともにシーリアは目を覚ました。

 夜中何度トイレに駆け込んだかわからない。眠りに就いては嘔吐感に叩き起こされるというのを何度も繰り返しているうちにいつの間にか朝陽が昇っていた。

 のそりと這い出るようにベッドから離れる。テーブルの上の小さな鏡で顔を確認する。


 ……酷い有様だ。


 目の下には深いくま。げっそりとした顔に生気はなく、髪はぼさぼさだ。よく見ると、髪のあちこちに吐瀉物のようなものが付着している気がするが、気の所為だろう。そう思うことにする。

 ガラスでできた水差しを手に取ると、コップも使わずに直接口をつけて飲む。重層世界との通信が途絶え、混乱の渦中にある現状でも、理術により水に困らないことは救いと言えるだろう。水系統の神々と、それらと契約している者たちに感謝だ。

 ひとまず、シャワーを浴びることにする。温めることができない所為で、流れてくるのは冷水だが、二日酔いの体にはちょうど良い。これが冬だったら――想像してありもしない寒気に全身を振るわせる。

 それにしても、とシャワーに打たれながら考える。


(あいつ……ただ者じゃないとは思ったけど……)


 思い出して再び腹の底で何かが煮え立ってくる。言葉の一つ一つがこうイラッと来るのである。あんなにも不愉快な人物は久しぶりだ。世の中には本当に失礼な奴がいるが、それでも人口全体からすれば少ない。そんな相手と出くわすこともそうそうない。だからこそ、そういった類の者と久々に関わると酷く疲れる。

 しかし、とも思う。

 いくら酔っていて常の鋭さがなかったとは言え、ああもあっさり往なされるとは。

 しかも、刃を交えて伝わってきたものは全くの無だ。


 ――刃を通して心を読む。


 それが剣神と契約し、研鑽を積み重ねた先に得た権能だ。刃を交えた相手の真意が勝手に流れ込んでくるため、理術というよりも反射に近い。反強制的なその性質に最初の頃は戸惑いもしたが、今では相手のことを知るのに役立っている。

 故に一度刃を交えれば、相手のことがある程度わかってしまう。

 しかし、だ。

 昨日出会った青年からは何も感じなかった。何も流れ込んでくるものがなかった。積み上げてきたものも、そこに込められた思いも、何一つとして感じることができなかったのである。まるで、空を切っているかのようだった。目の前にいるのに、いない。そんな感触だった。


(こんなことは初めてね……)


【剣神の娘】と呼ばれるようになってからも数えきれないほどの相手と斬り結んできた。だが、こんなことは初めてだった。

 放った殺気に対する反応は明らかに素人のそれだ。だというのに、自分の剣をあっさり捌いたあたり、相当の技量の持ち主のようにも見えた。まるでちぐはぐだ。どうにも怪しい。

 そして、何より自分の直感が外れたというのも気になる。単に勘が外れたということを認めたくないだけかもしれないが、本当に勘違いだったのかという疑問が消えないのである。


「もしかしたら……」


 この国で近頃起きている王族殺し。厳重な警護を突破し、標的を仕留め切るあたり、相当の手練れであろうことが伺える。だが、今のところこの国でそれほどの腕を持った目ぼしい者はいない。

 となると、外から入ってきた者の犯行と考える方が余程現実味はあるだろう。

 しかし、なぜ外の者が王族を狙うのかという疑問がある。しかも、わざわざ遠戚の者から狙う理由がない。

 だが、一つだけ。そう、一国だけ可能性はある。


 ――ランキッサ帝国。


 二大国の一角である帝国は、同じく大国であるルグリカ教国の弱体化により、名実ともに最強の国となった。

 その帝国が、ここトーリンデルス王国を狙っているという。

 示威行為としての王族暗殺。その可能性は高い。

 そして、昨日の青年が帝国の寄越した刺客という仮説。突拍子はないが、少なくとも怪しい人物は疑って掛かるべきだ。


(髪の毛先ほども見つからなかった犯人の手掛かりに繋がるかもしれないわね……)


 ――クシュン。


 くしゃみをしてすっかり全身が冷えていることに気付く。タオルで体を覆いながら浴室から出ると、無駄に明るい声に出迎えられる。


「シーリア様! おっはようございまーす! 今日も麗しい――ヒブゥ!」


 いつどこから入ってきたのか、鼻血を垂らし、呼吸を荒らげているシレネへと濡れて重くなったバスタオルを勢いよく投げつけた。蛙が踏み潰されたような呻き声を無視して下着へと手を伸ばす。


「いきなり酷いですよ~」


「不法侵入者が言うに事欠いてそれ?」


「やだな~不法侵入だなんて~。汚らわしい男どもの毒手からシーリア様を守ることこそわたしの使命! そのためにはいついかなるときも御身の側に、って言ったじゃないですか!?」


「聞いたことも承認したことも記憶にないのだけど? それ以前に、シレネの魔手の方が、現実問題として脅威度が高い件についてはどう思う?」


「けしからんですね。脅威度が高いだけで、未だにこの手でシーリア様を堕とせていないなんて。実に不甲斐ないです」


「…………」


 冷めた視線がシレネに突き刺さるが、本人は全く気付いていない様子だ。一つため息を吐いて、服を着る。


「あれ、今日はいつもの格好じゃないんですか~?」


「二日酔いでまともに動けなさそうだし、たまには休みも良いかと思ってね」


 そう応じてシーリアは、胸元が開いた黒の肌着の上に薄手の白シャツを重ねた。下には淡い青色のロングスカートを履いている。


「まともに動けない……はっ! もしやこれはチャンスでは……!?」


 何やら良からぬことを企んでいる様子のシレネを視線で牽制する。わざとらしく鳴りもしない口笛を吹く素振りを見せるシレネ。


「ちなみにですが……」と、チラリとシレネが視線を寄越し、「シャツ、表裏逆ですよ?」


「――――っ!?」


 慌てて確認する。――シレネの言う通りだった。


「シーリア様って本当にお茶目ですよね。『剣に生きる!』って普段はとってもクールなのに、そういうちょっと抜けているところがすっごく可愛いですぅ~」


 シレネがはぁはぁと呼吸を荒らげながら詰め寄ってくる。


「うっさい!」


「もう照れないで下さいよぅ~実は隙だらけのシーリア様のことわたしは好きですよ?」


 なおも詰め寄ろうとするシレネの顔を手で押さえるシーリア。

 その顔は恥辱で赤く染まっている。そんな彼女を見て満足したのか、


「さてと、この辺りでわたしはお暇しますね」


「へぇ、シレネがこんなにもあっさりと引き下がるなんて珍しいじゃない?」


「今日は用事がありまして。本当ならこのまま片時も離れずシーリア様とイチャコラしけこみたいところなんですけどね~」


「何、馬鹿言ってんのよ……ていうか、それならどうしてわざわざうちに不法侵入したのよ?」


「それは、愛しのシーリア様が二日酔いで死んでないか心配だったからですよ!」


「不法侵入したことは否定しないのね」


「最早今更かと思いまして! てへ!」


 舌を出して誤魔化そうとするシレネ。ふざけた態度ではあるものの、気遣ってくれたのは事実なのだろう。その思いはありがたく受け取っておくことにする。


「それでは!」


 パタパタパタとシレネが部屋を後にする。まるで嵐のように騒がしい少女だ。いつもの如くふらっと出現してはふらっと消えていく。スタークもそうだが、シレネも未だによくわからない。謎多き友人である。

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