剣神の娘 その1
――英雄なんて探して見つかるものじゃない。
あのときの自分の発言を訂正する気はない。
ただ、不正確だったことを認めないわけにはいかないだろう。
――英雄は作れる。
その事実の証明に一体どれだけの犠牲が払われ、そして払ったのか。
(これがあなたのやりたかったことなの……?)
答えは出ない。これから先、明かされることも解かれることもないだろう。
自分にできることと言えば、ただ彼の成し遂げたものを守り通すことくらいだ――。
■■■
裏寂れた宿酒場――敢えて表現するならそんなところか。
店内は今のトーリンデルス王国の情勢を反映しているかのように薄暗く、客も数える程しかいない。おそらく店主であろう老齢の男は、まだ客がいるというのにカウンターの奥で椅子に座り、コクリコクリと船を漕いでいる。
「――るっさいわねぇ」
カウンターに突っ伏しながら管を巻く女性。明らかに呂律が回っていない。どうやらかなりの量の酒を飲んでいるらしく、確認するまでもなく酩酊状態にあることが窺える。
「けいやくのらいしょうなんらから、しからないれしょうよぉ……」
「やれやれ……【剣神の娘】とまで呼ばれた麗しの乙女が形無しじゃん」
軽薄な口調で応じたのは、蒼海を思わせる青髪の青年だ。
青年が女性の肩を揺らそうとすると、
「――何言ってやがるんですか! シーリア様はこれが良いんですよ!」
銀髪の少女が、青年と女性の間に割り込むようにして入る。
「普段の凛然とした姿は嘘の如く、べろんべろんになっただらしないシーリア様……そのギャップがもうたまらんのですよ!」
鼻息荒く握り拳を作る少女。これに青年は呆れるように嘆息し、半目で少女を見た。
「知らんし。てか、シレネは可愛い子だったら誰でも良いんしょ?」
「否定はしませんよ? それに、女好きなのはスタークも一緒でしょうが」
「モチのロン! この命、この体全てこの世の美人のためにあると言っても過言じゃないぜ?」
傲然と言い放つスタークにシレネが眉を顰める。
「美人に限定する辺り、相当な屑野郎です死にやがれどうぞ?」
「可愛い女の子が好きだと宣うシレネに言われたくないなーどうぞ?」
二人がバチバチと睨み合っていると、
「ああもう……頭に響くわ……」
こめかみを押さえながら女性が起き上がる。ふわぁと一つ大きく欠伸をして、肩の辺りで切り揃えた桃色の髪を気怠そうに頭の後ろで結い直す。
「うぷ……気持ち悪い……」
慌てた様子で近くのグラスに注がれていた水を仰ぐ。ただでさえ白い肌だというのに、今やその顔は青白いを通り越して土気色だ。
――イカイダ・グラジオラス・シーリア。
現代で剣神サルファリアの翼名【グラジオラス】を唯一下賜された女性。それが、この酔っ払いの正体である。
「恒例のこととはいえ、やっぱりしんどいわね……」
ボヤくシーリア。普段であれば力強い意思を感じさせるやや吊り上がった双眸も、今や鋭さを失っている。
「シーリアちゃんはお酒弱いのに、理術行使の代償が飲酒って何度聞いても笑えるぜ~」
「笑い事じゃないわよ、ったく……」
剣神サルファリアと言えば、剣術の女神であると同時に大変な酒好きとして知られている。酔剣で邪神ファブナールを討ち取ったという伝説はあまりに有名。そして、酒が原因でよく失敗もしていることも。
ある意味で親しみ深い神であるとも言える。
そんなサルファリアだが、剣に関してはあまりに真っ直ぐ、且つ苛烈。彼女が契約するのは、まさしく剣に一生涯を捧げることを誓った者のみと言われている。
「まぁ、真面目過ぎるシーリアちゃんには良い薬なんじゃない?」
スタークがけらけらと笑いながら空になったグラスに水を注ぐ。
マキメ・スターク。
歳は今年で二十五。すっきりとした鼻筋に切れ長の目。軽薄な人柄を表すかのようにその唇は薄い。長身痩躯で顔立ちも整っている、見目だけはまさに好青年だ。
「さてと、シーリアちゃんも目を覚ましたみたいだし、オレは女の子と約束があるからこの辺で失礼するぜ~」
ひらひらと手を振ってスタークが店を後にする。「一に女、二に女、三四なくて、五に女」と臆面もなく豪語する彼の自由な行動は今に始まったことではない。シーリアもシレネも止めるどころか、目を遣ることすらしない。
「いつか、背中から刺されて死ぬタイプよね、スタークって……」
「むしろさっさと死んだほうが世の女性のためです! あいつに泣かされた女の子がどれだけいることか……一刻も早く首を取るか、去勢するべきです!」
シレネ――ナキリ・シレネが憤然とした様子で応じる。二十歳手前だが、その顔には未だ幼さが残っている。蒼海色の大きな瞳に丸みを帯びた輪郭はさながら小動物のようである。小柄な体格ということも相俟って自他ともに認める愛嬌のある外見だ。ただし、口と性格には物凄く癖があるが。
「わたしたちもそろそろ帰りましょう! そうですね……一緒に近くのホテルにでも――」
ゲヘゲヘと汚い笑いを漏らすシレネを無視して、シーリアは立ち上がる。
「今日も収穫はゼロかぁ。捕まえても捕まえても雑魚の賞金首ばかりだし」
軽く流されたことにシレネが「ムムッ」と少しばかり頬を膨らませながら応じる。
「そう簡単に王族殺しの尻尾を掴めるはずがないじゃないですか~?」
「それはそうなんだけど……」と、シーリア。「でも、このひと月で三人よ? 犠牲になったのは全員遠戚みたいだけど、国王や王子に魔の手が及ぶのも時間の問題じゃなくて?」
言いながら、椅子から立ち上がる。太腿や膝を守る甲冑がガシャリと擦れる音が静かな店内に響く。剣士というよりもさながら騎士のような出で立ちだ。斬り合うことを前提にしながらも、動き易さを残した軽甲冑と呼ばれる格好である。
「これで足りるかしら?」
椅子に座って眠っていた店主はゆっくりと瞼を開け、カウンターに置かれた数枚の貨幣に目をやった。
そして、何が気に入らなかったのか、わざとらしく嘆息する。
「……正確な物の価値がわからない今、それは嫌味かね?」
「いらないなら私の懐に戻るだけだけど?」
言葉を重ねる彼女に、店主は恨めしそうな視線を向ける。だが、結局は一度舌打ちをして貨幣へと手を伸ばし、カウンターの下へとしまうのだった。
「なんですかあの店主っ!?」
店から出ようとしたところで、シレネが憤然とした様子で愚痴を零した。これをシーリアが「まぁまぁ」と宥める。
「重層世界と通信できなくなったんだもの。仕方ないわ」
価値という実体のない概念。それをデータというこれまた実体のないもので管理するという仕組み。その弊害が出てしまった。
かねてより、重層世界で資産を一元管理することの危険性は訴えられていた。何者かの手により既存の環境を支える重層世界と隔たれた場合、インフラというインフラが動作不良に陥ると。故に、何らかの回避策を講じる必要があると。セーフティネットを作るべきだと。
しかし、誰もそれに耳を貸すことがなく、結局危惧されていた事態が現実のものとなったというわけだ。
貨幣を発行し、分配しようにもそれまで誰がどれくらいの資産を持っていたかわからなければどうしようもない。それでは貨幣を発行する意味がない。
新たに価値を創造し、一から始めようとしても、今まで資産を形成してきた者から強い批判が噴出するのは目に見えている。
畢竟、通貨というシステムが成り立たなくなった状況は、改善されることなく今なお続いている。リーナシアのように最低限の貨幣を手元においている者も中にはいるが、今となっては前時代的物々交換が主流というのだから世の中何が起こるかわからない。
「それでも食べていかなきゃ人は死んじゃう。だから、ご飯にありつこうとする。このご時世、ご飯が一番価値のあるものになるのは当然のことよね」
だからこそ、ここトーリンデルス王国はランキッサ帝国に攻め入られようとしているわけだが。
頭の痛くなる話題を振り払うかのようにシーリアは頭を振った。
そこで気付く。
いつからいたのか、店の出入り口すぐ近くの席に客が一人。体格から察するにおそらく男だろう。店内だというのに、人目を忍ぶかのように薄闇に溶ける外套を身に纏い、フードを目深に被っている。
不安定な情勢のもと、荒くれ者たちが増えてきた事実は否めない。脛に傷でもあるのか、人目を避けようとする者も少なくはない。その意味では、取り立てておかしいところはない。
しかし、賞金稼ぎであり、【剣神の娘】とまで呼ばれるシーリアの直感が否定を返す。
眼前の男はそこらのゴロツキと同じではない、と。
何がそこまで彼女を警戒させるのか、彼女自身理解できてない。それでも、困ったときは直感に従うと決めている。幾多の戦場を潜り、鍛え抜かれた感覚こそが最終的には物を言うと信じているからだ。確信しているからだ。
深く息を吸い、途中で溜め、そしてフッと浅く吐き出すと同時に殺気を放つ。
「うわあぁぁっ!!」
男が奇声を発しながら発条仕掛けのように椅子から飛び上がった。酷く驚いた様相で店内を見回している。何が起きたかわからないといった表情だ。




