覚悟
「――重層世界を止める」
「どうやってだね?」と、ローランは口にしてすぐに納得の声を上げた。「ああ、そうか。君たちは、私であればこの事態を止められると思っているわけだ」
「……違うとでも?」
「――この計画は既に私の手から離れている」
「何だと……!?」
「残念ながらと言っておこうか。もう計画は最終段階だ。後は全てが置き換わるまで待つだけの余暇でしかない」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
心の底から勝ち誇り、そしてそれを嘆くローランが嘘を言っているようには見えない。
彼を押さえれば、何かしら打開策があるのではないかとスヴェンは考えていた。
しかし、甘かった。これだけ用意周到に準備を進めてきた敵だ、最終段階を実行に移した時点で止められないように仕組んでいたのだろう。
(ここまで来て可能性が潰えるのか……?)
いや――と、スヴェンは内心で否定する。
一つだけ……そうたった一つだけ未来が残されている。
しかし、それは選べない。選べるはずもない。
なぜならば――
「――いいえ、未来はあるわ」
アウラの凛とした声が静かな室内に響く。
「私の炎は浄火を司るわ。滅却し、まっさらにする力。弱ったとは言え、世界創造の力よ。理が異なる重層世界でさえも燃やし尽くせるわ」
世界を創造せし女神たち。彼女たちだけが何の媒体もなしに重層世界に干渉できる。
女神の中でも屈指の力を誇り、浄火を司る炎の女神だけが、重層世界を止めることができる。故にローランは計画に邪魔な存在である彼女を葬ろうとしたのだ。
「しかし、それは重層世界との決別を意味しますよ? ありとあらゆるものが重層世界と繋がり、通信しているこの現代において、重層世界なしに生活が成り立つとでも? 人々から技術を奪い、利便性を奪い、日常生活を奪い、その代わりに混乱と暴動を齎すと? 貴女だけの一存で?」
連続の問いの意図は明確だ。重層世界なしの現代の生活はあり得ない。そうなるように重層世界が時間を掛けてじわりじわりと世界を侵食してきたのだから当たり前だ。
そして、置き換わる世界に――自分たちに気付かぬまま滅んだ方が幸せだと、ローランはそう主張しているのだ。
「時代は逆行するわね。――でも、生きていくことはできるわ」
千年前のあのときに手を打てていればまだ傷は浅かったのだけれどね、とアウラは自嘲するように笑う。
「生きていく、って不便な世界をですか? 知らなければ何も思わないだろうが、我々はすでにその魅惑の味を知っている。知ってしまっている。事情を知らないままそれを取り上げられた人々は貴女を多いに恨むでしょうな。自分たちの生活を返せと! よくも幸せを奪ってくれたなと! それでも、貴女はその力を振るうのですか?」
アウラは一瞬視線を落とし、そしてすぐに顔を上げる。その真紅の双眸には強い意志が見て取れる。
「――そんなこと千年前から覚悟していたわ」
アウラの揺るぎない返答に、「そうか……」と、スヴェンは納得した。
彼女は千年前から孤独な戦いを続けてきたのだ。
誰からも称賛されず。
それどころか忌み嫌われ、恨まれながらも、たった一人その身を削って抗ってきたのだ。
災いの象徴として語り継がれ、精神体となってもなお世界のために一人戦い続けてきたのだ。
世界から弾かれ、罵られ続けることはどれだけ辛かっただろうか。
誰にも理解されず、孤独に苛まれるのはどれだけ悲しかったことだろうか。
想像しようとして、スヴェンは自身の想像力の至らなさに直面する。
「例え私がどれだけ恨まれても、石を投げられようとも、為すべきことを為すわ。どれだけ傲慢だと罵られても、どれだけの辛苦を人々に強いるのだとしても」
アウラは一瞬躊躇し、続きを口にする。
「そして、その結果として――私が消えるとしてもね」
やはりか――スヴェンは心の内で静かに呟く
先ほど、ローランは彼女が精神体であると言っていた。この世界に顕現するだけで精一杯であるとも。そんな彼女が重層世界を滅却するほどの力を行使すれば、どうなるか考えるまでもない。
力を使い果たした彼女はあっけなくこの世界から消え去るだろう。
そして、理解する。ここ最近の彼女の思い詰めたような態度を。事務所に入ってきたときに感じた必死さの理由を。彼女は決死の思いでこの世界を守ろうとしてきたのだ。その代償として、自らを犠牲にしなければならないとわかっていたのだ。
「散々傍若無人に振舞った挙句に自分は早々に退場ですか。随分と身勝手ですね」
「あら、それでこそ荒ぶる神というものじゃないかしら?」
皮肉で応じるローランにアウラは精一杯強がってみせる。
(本当に不器用だな……)
出会ったときから一向に変わらない。いっそ呆れるほどだ。要領は良い癖に、大事なことほど一人で抱え込もうとする。辛いものであればあるほど、自分一人で背負おうとする。
「他人を頼れないっていうのは弱さでもある――前にそう指摘したはずだが?」
「頼りたくても頼れないものもあるわ。そして、その頼れないことを為す、それが今の私の責務よ」
「違う。そうじゃない。例えそうだったとしても、その辛さを共有しろって言ってんだよ」
「あら、感情論とはあなたらしくないわね」
「茶化すな。お前の悪い癖だ。しんどいときはしんどいって言え。言われなきゃこちとらわからねーんだよ。何か策がないか考えることもできねーんだよ。察しろなんて無責任は許さねーからな」
「よりにもよってあなたがそれを言う? しかも、神に向かって随分と偉そうじゃない?」
「神? 馬鹿言え。俺は『アウラ』に話してんだ。棄獣狩りで、要領は良い癖に不器用で、クソがつくほど馬鹿真面目な『アウラ』にな」
「スヴェン……」
「もし、お前が世界を敵に回してでもその身を削ると言うなら、俺たちだけは最後まで仲間でいてやるよ。忘れたのか? お前の言葉だ。世界がお前を恨むっつうのなら、俺たちが『それは違う』と声を上げてやる。どれだけ世界が混乱しようとも俺たちが後始末を付けてやる」
ヴァルダとリーナシアが強く頷く。出会って間もないララーナまでもコクコクと何度も首を縦に振っている。
「いいか、よく聞け。お前は一人じゃない。神だか何だか知らないが、その前にお前は事務所の一員だ。そのことを物覚えの悪いその頭に忘れないよう刻み込んどけ」
「……馬鹿ね」
泣くように、笑うように零しながらアウラはその華奢な腕で目元を拭った。
「――青臭いやり取りをしているところ悪いんだけどさぁ!」
突如、横から怒声が飛び込む。
――ベルリアだ。
建材と一緒に転がっていたベルリアは跳ね起きると、巨大な鎌を振るいながらスヴェン目掛けて突進してくる。柱ごと両断してくる膂力は相変わらず凄まじい。衝撃で空気が軋む。
「重層世界を消すとか言っているけどさ、そんなことしたらおにいさんもまずいんじゃないのかな?」
ベルリアが交錯時にアウラたちに聞こえないよう囁き掛けてくる。彼女の重たい一撃を【まほろば】と【イニシャライザ】を交差させて受け止め、その言葉の意味を察する。
「それは、重層世界が消えたら俺も消えることについて言ってんのか?」
正解とでも言うようにベルリアの狂気の笑みが深まる。
「合理的なおにいさんならわかるでしょう? 計画が進んで皆が重層世界の住人になってもおにいさんは無事でいられる。わざわざ重層世界を消すなんて……貧乏籤を敢えて引く必要なんてないんだよ? 誰も感謝しないどころか、おにいさんには何のメリットもないんだよ?」
諭すような声音だ。甘い……実に甘美な囁きである。
「そんなに頑張らなくても良いんだよ? おにいさんは良くやったよ。どうせ、皆同じ道を辿るんだもん。誰もおにいさんの所為にしないよ?」
「そうだな……」
「なら――」
「――だが、選んだのは俺だ」
「え?」
「他の誰でもない、ユザ・スヴェンが選んだんだよ。合理的なんて知ったことか。クソ喰らえだね。俺が決めたんだ。望んだんだ。例え偏向されていようとも、それが俺にとっての真実だ!」
答えは既に出ている。自分に何ができるか。何をすべきか。やると決めたらやる。自分の意思で、だ。それは今も昔も変わらない。であれば、最初から何も変わらない。迷う必要などない。
「重層世界は消すっ! 答えは変わらないっ!!」




