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動き出す影

 リビング兼応接室兼ワークスペースに入ると、語尾の伸びた声が聞こえて来る。呑気そうな声の主は四十近い中年の男だ。伸ばしっぱなしの藍色の髪には白髪が混ざっている。


「ヴァルダ、何度言ったらわかるんだ。来客用のソファで煙草を吸うな」


 ヴァルダと呼ばれた男はソファにだらしなく体を放り投げながら紫煙をくゆらせている。

 ひらひらと手を振る姿はスヴェンの叱責などどこ吹く風といった様子だ。


「堅いことは言いっこなしだぜぇ? 営業時間はとっくに終わっているんだからなぁ」


「時間の問題じゃねーよ。灰を落としてソファに穴でもあけてみろ? 給料が減っていても文句を言うなよ?」


「いつも文句言われる給料しか払えねぇ所長様が何を言っているのやらだなぁ」


「そのなけなしの給料が無になって、尚且つ以降の分からも帳消しになるまで引かれ続けても知らんからな」


「へぃへぃ」


 渋々煙草の火を消すヴァルダ。そんな彼の態度にスヴェンは眉を顰めるが、それ以上追及することはしなかった。


 ヴァルダという男は常に飄々としており、いまいち捉えどころがない。だが、そのふざけた態度とは裏腹に腕は確か。それはスヴェンだけでなくアウラやリーナシアも認めるところだ。


「アタシは今物凄く褒めて欲しいっす!」


 唐突にリーナシアがスヴェンに抱き着く。勢いを殺しきれなかったスヴェンはそのままソファへと倒れこんでしまう。


「今日一日こんなむさいオッサンと一緒に行動したことを称えて欲しいっす!」


 スヴェンに馬乗りになる形でリーナシアがずずいと顔を寄せる。

 彼女とヴァルダには要人護衛の仕事を任せていた。

 正確には、任せざるを得なかった、だが。

 本来であれば、スヴェンたち四人全員で護衛任務に当たるはずだったのだが、どこぞの教皇が押しかけて来て、無理矢理依頼を捻じ込んだ所為で手分けするしかなくなったのである。


 先に片方を片付けて、終わったらすぐさま残った方に着手、といったように順繰りこなせればまだマシだったかもしれない。しかし、護衛任務も優先度が高いということで、結局は二手に分かれたという経緯である。


 結果、一般論に照らし合わせれば四人でも足りないくらいの規模の棄獣の討滅にスヴェンとアウラは、二人で向かうことになったわけだが。


「いや、仕事だから」


「ぬぬぅ……! 時には褒めてあげないと意欲の低下に繋がるっす! 生産性の危機っす! ピンチっす!」


 どこぞで齧ったような言葉を並べるリーナシアの大きな瞳は、期待に満ちている。

 そんな彼女をジッと見ていたスヴェンは、何か思いついたのか、ポンと手を打った。


「よくこんな騒々しいのに耐えたな――ヴァルダ」


「ちっがぁぁぁうっす!!」


 リーナシアが不満そうにスヴェンの襟元を掴み、がくがくと揺らす。


「アタシを褒めて欲しいっす! めちゃめちゃ甘やかして欲しいっす!」


「こら、リーナシア。いい加減にしなさい。いつまで子どもみたいなことを言っているの」


 呆れた口調でアウラがリーナシアを咎める。


「だって……」と、リーナシアは口をすぼめて、「棄獣駆除の準備だ何だでろくに話できていなかったっすから……」


 しょげたように耳をぺたりと力なく折るリーナシア。

 しかし、落ち込んだように見えたのは一瞬のこと。すぐさま勢い良く顔を上げ、スヴェンに詰め寄った。


「――っていうかっすよっ!? スヴェンはこんな美少女に抱き着かれて何も感じないんっすか!? おっぱいバインバインっすよ!? 勃起の一つくらいしてみろっす!」


「勃っ!? お前なぁ――」


「アタシはいつだってウェルカムっすよ!?」


 リーナシアはわざとらしく身を寄せると、反論しようとするスヴェンの言葉を遮り、その豊満な胸部を押し付ける。尻尾に至っては彼の足に絡みつかせている。露出が多い恰好ということもあり、彼女の体温が直に伝わる形だ。


「少しくらい手を出したらどうっすか!?」


 そこまで言ってリーナシアは、何かに気付いたのか、「はっ……!」と驚きの表情を浮かべる。


「も、もしかしてスヴェンって……機能不全?」


「誰がだ」


「え、じゃあ、同性愛者っすか?」


「誰がだ」


「なら……」と、リーナシアはちらりとアウラへと視線を向けて、「まさかのロリコンっすか!?」


「だから、誰がだよ!」


「ちょっと! なんで一回私を見たのよ!」


 遠くで抗議するアウラ。発育不足気味であることは自覚しているらしい。


「胸は大きいし、腰のくびれには自信あるっすよ? それに超一途で尽くすタイプっす! 機能不全でも同性愛者でもロリコンでもないなら何が不満っすか!?」


「不満も何も、俺は所長でお前は所員。つまり、雇用主と従業員だ。他に言葉が必要か? あと、言っておくがお前に対する評価はだだ下がり中だ」


「うっ! そ、そうだとしてもっす! ちょっとはドキマギしたり、気まずそうに視線をそらしたり、初々しい反応したらどうっすか!?」


 要は、スヴェンがあたふたしているところを見て楽しみたいらしい。

 しかし、


「……はぁぁ」


 スヴェンは一つ嘆息すると、


「いや、だってお前いつも抱き着いてくるじゃないか」


「…………」


「…………」


 スヴェンとリーナシアが見つめ合った状態で静止すること数十秒。


「ガッデェェェム!!」


 何とも言えない沈黙を破って、しまったとばかりに頭を押さえたのはリーナシアである。


「確かに……」


 深く頷き同意を示したのは、普段から彼女の被害を受けているアウラである。


「リーナシアって事あるごとに抱き着いてくるし、ハグ魔よね」


「スキンシップというには過剰だな」


「何というか、ありがたみに欠けるわ」


「酷いっす! 二人には悪い虫が近づかないようにアタシの匂いを擦り付けてあげているのにあんまりっす!」


 しれっと仲間外れにされるヴァルダ。涙ぐんでいるのは、既に消したはずの煙草の煙が目に入ったからだろうか。きっと、そうに違いない。


「いやいや、犬のマーキングかよ」


「乙女に向かってマーキングとは何すか! スヴェンはもっとデリカシーを学ぶべきっす!」


「そういうリーナシアは慎みを知るべきね」


 アウラの鋭い指摘。

 むむぅ、と唸るリーナシアを押しのけてスヴェンはソファに座り直す。


「そんなことよりも、だ。そっちは問題なかったか?」


「余裕っす!」


「つつがなく、ってやつだなぁ」


「さすがだな。まぁ、心配はしていなかったが……」


 二人とも腕利きの理術者だ。リーナシアは身体強化系の理術を用いた接近戦に秀で、ヴァルダは理鋼糸を用いた攻守両面での高度な戦闘を得意とする。そんな二人であれば相手が棄獣でなくとも十分以上に対応できるはず――そう考えての配置である。


「ただなぁ、少しばかり気になる話があってなぁ……」


 ヴァルダはそう言って思案するように無精ひげを撫でた。


「狂人病が増えてきているとか、【狂神父】がフォスフォラに戻ってきたとかって風の噂で聞いたなぁ」


 狂人病――文字通り人が狂う病のことである。発症原理は不明。罹患すると、まるで別人のように暴れ尽くすという。すぐさま死ぬといった類の病ではないが、最近になって発見された病の所為か、厄介なことに治す術がない。発症者数自体は少ないのが、まだ幸いと言うべきか。


「感染症ではないって話らしいが、こうも耳にするとそれも疑わしいもんだな」


「それよりもあのイカレ神父がここに戻るなんて、絶対何かあるっすよ!」


「教会のお家事情は、俺たちには関係ない話だ」


「関係ないと言えば……」ふと思い出したかのようにヴァルダはそう切り出し、ニヤリと笑った。「【死刃の舞手】――ベルリアも何やら動いているって話だぜぇ?」


「またあいつかよ……暗殺者の癖に噂されるって馬鹿なのか?」


「本人は掃除屋気取りだからなぁ。どうせまたお前さんにご執心なんだろうよぉ」


「勘弁してくれ……」


 スヴェンは過去に成り行きでベルリアと対峙したことがある。その際、彼女の任務を妨害する形になってしまい、それからというもの、逆恨みした彼女に事あるごとに付きまとわれているのである。


「まぁ、今日のところはお偉い教皇様の依頼も果たしたことだし、ゆっくり休みましょうよ」


 スヴェンとしてもアウラの提案はありがたかった。素直に頷くことにする。


「ひとまず、今日は解散だな。各自、休息はしっかり取るように」


 事務仕事に一区切りを付け、寮として使っている二階へと向かう。


(擬人の暴走や狂人病の増加。それに【狂神父】にベルリアも動いているという……)


 言いようのないキナ臭さ。普段なら考えても無駄と切って捨てるところだが、今回ばかりは何故だか引っかかるものがある。


(それに何より、教皇の目的が見えない……)


 どうして教皇は自分たちのような弱小事務所にわざわざ声を掛けてきたのか。棄獣狩り事務所ならば他にもある。

 相手は教皇であることを考えると、その行動に意味がないとはとても思えない。

 となると、教皇の思惑は何か。

 思考を走らせてみるが、疲労の所為か、うまく頭が回らない。

 結局は、考えても仕方がないという当たり前の答えに回帰し、大人しく休むことを選択するのだった。

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