モダナイ計画
「――これはどういうことかな?」
不可解そうに首を傾げるローラン。その声音は、驚愕を隠しきれていなかった。
「見ての通り、あんたを捕まえようとしている」
スヴェンは淡々と応じながら、ローランとの間に入ってきたベルリアと鍔迫り合いを演じる。
「いやいや違うでしょ! 今ってあの性悪女神様を差し出す場面でしょ!?」
「……え、何故に?」
きょとんとするスヴェンにベルリアが驚き
の声を上げる。
「だ、だって、おにいさんたちは今まで騙されていたんだよ!?」
「騙されていた? 騙されるも何も、人員不足のところに面接を受けに来た奴がいて、使えそうだから採用しただけだが?」
「でもでも! あの性悪女神は世界の敵なんだよ!? 殺さなきゃなんだよ!?」
ベルリアを弾き飛ばしたスヴェンが「ふむ」と首を傾げる。
「――それは本当なのか?」
「…………は?」
「俺の目には、あいつがそんなことをするような奴には見えない。そもそも世界を敵に回すなんて器用な真似があいつにできるとは思えない。結果的にそうなったか、或いは今の俺たち同様に嵌められたか、だ」
昨晩、彼女が語った昔話。あのときは何を指しているのかわからなかったが、彼女がどれだけの苦悩に苛まれてきたか、今ならよくわかる。
「ーーずっと疑問だった。擬人の暴走や狂人病蔓延がどう繋がるのか、まるでわからなかった。関係ないと切り捨てるには、あまりにタイミングが出来すぎていたからな」
だが、とスヴェンは続ける。
「全ては逆だったんだよ」
推測は加速し、確信に変わり、そして証明へと至る。
「世界の敵である女神とそれを禁忌とするリコフォス教会、そして擬人の暴走に狂人病……一見関連性はないように見えるが、その実全てがたった一つの存在に起因しているとしたら?」
ここに来るまではわからなかった。だが、炎の女神という情報が増えたことで、一つの仮説が浮かびあがる。証拠はない。現状という結果からの逆算でしかない。それでも確信があった。
「重層世界――それがすべての元凶だ」
スヴェンが口にした結論にヴァルダとリーナシアが背後で驚いているのがわかる。
「重層世界がこの世界を浸食しようとしている、それを前提に考えれば全て納得がいく。擬人の暴走は、重層世界の住人が擬人というこの世に干渉するための器を得たからだろう? 狂人病も同じだ。電磁結界みたいに《エニグマ》を媒体として重層世界の住人の意識を強制的に上書きさせているんだろう?」
その裏付けが、【設計された子どもたち計画】だ。重層世界の住人の意識を子どもたちに移す。この日のための研究だったのだろう。人の精神に干渉する電磁結界もおそらく狂気の研究の副産物に違いない。
では、重層世界と交信するために《エニグマ》とはーー。
そもそも、重層世界とはーー。
そこまで考えると、察しが良い者であれば恐るべき思惑に気が付くかもしれない。
「おいおい……擬人を広めたのも、電磁結界を作ったのもリコフォス教会だよなぁ……?」
「世界の一般常識に当て嵌めればそうだな」
「ってことは、世界を危険に曝しているのは、嬢ちゃんじゃなくて教会の方じゃねぇかぁ!?」
世界がひっくり返ったような驚き方をしているヴァルダにスヴェンはコクリと頷いた。
「ああ。そして、重層世界の危険性に気付いた奴がたった一人だけいた――炎の女神だよ。そこのアホ女神は重層世界を消そうとした。これに反発したのが、女神リコフォスだ。世論を操作し、大衆を操ったリコフォスが勝ったことで真実は歪められたが、その実本当にこの世界のために戦っていたのはそこのアホ女神だ」
「で、でも、どうして光の女神が敵になったっすか?」
「これは推測というよりもただの憶測でしかないが、そのとき既に女神リコフォスは重層世界の住人に支配されていたんじゃないのか? 狂人病患者のようにな」
「そんな……相手は神っすよ……!?」
「向こうとこちらとでは理が異なる。こちらの常識を持ち出したところで意味がない」
重層世界とこちらの世界とでは理が異なる。故に、直接重層世界に干渉する術はない。
そう――世界を創った女神たちを除いては、だが。
光の女神がどういった経緯から重層世界の住人たちによって囚われたのかはわからない。
ただ、おそらくは干渉できるならばどの女神でも良かったのだろう。傀儡にできたのが、リコフォスだったというだけに過ぎないのではないかと、スヴェンは考えている。
「擬人や《エニグマ》、リコフォス教会、【設計された子どもたち計画】に電磁結界……それら全てが、重層世界が現世に干渉するための布石だったとしたら?」
積み重ねた事実は一つの結論へと収斂していく。
「重層世界の叛乱――それが答えだ」
ベルリアの腹部目掛けて蹴りを放ち弾き飛ばすと、スヴェンはローランへと向き直った。
「少々……甘く見ていたようだね。与えられた情報は決して多くのに、よくもまぁ真実へと辿り着いたものだよ」
「いいや、まだだ。どうして重層世界はこの世界を攻撃してきた?」
「なに、簡単な話さ。蓋を開けてしまえばたいした理由じゃないとも。それまで一と〇というデータの世界で過ごしていた重層世界の住人が、たまたま重なり合ったこの世界の住人に興味を持った。それだけの話だよ」
ローランは実にくだらないといった様子で吐き捨てる。
「どうして人同士で争い、殺しあうのか。どうしてこんなにも非合理的なのか。感情とは何なのか。同じ肉体を待てばわかるのだろうか……尽きることのない知識欲が、その対象である肉体を欲するのは当然の帰結だろう」
故に重層世界の住人は人になろうとした。
人になって、同じように争うことにした。
戦い、競うことこそが人の本質だと考えたのだ。
それこそが、人を人へと昇華させた根幹であり、その派生した先に様々な感情があると思い至ったのだ。そして、擬人と人、それぞれの肉体を利用し、差異を確認し、仮設と検証を重ねることにしたのである。
「彼らにはわからないんだよ。『私とあなたは違う』――こんな単純なことが理解できないのさ。全ての情報を瞬時に同期し、個であり集団でもある彼らには、ね」
ずれているのだ。どこまでも噛み合わない。すれ違ってすらいない。同じ言語を解していても、その理解には埋めがたい断絶がある。それ故、彼らは人と擬人という、有機物と無機物の肉体とで結果に差が出るかなどと考えるのである。
「だから、彼らは人々に知識という名の禁断の果実を与えた。神を傀儡にし、宗教という苗床を創り、《エニグマ》を創らせ、擬人を創らせ、遅効性の毒のように人の世に撒き散らしていったのさ」
人々は疑うことなく利便性を享受し、齎される進歩を自分たちで成し遂げたものと誤認した。それが、自分たちの未来を壊すものであるとも露知らず――。
「【モダナイ計画】――この世界に生きる全ての人を重層世界の住人へと変えてしまうおぞましい計画の名前だよ」
ローランが告げた言葉の意味を、スヴェンは記憶の海から引き揚げた。
「モダナイ――確か、既存の環境を刷新し、置き換えるという意味だったか」
なるほど、どうやら重層世界の住人たちは、この現世を作り替えるつもりだったらしい。自分たちが人と取って代わる――差し詰め、人は刷新される側の古き存在といったところか。冗談ではない。
スヴェンの心境を読んだのか、ローランが首肯して同意する。
「いっそ喜劇さ。実験のために棄獣などというものを放ち、人を滅びに追い込んでみせた張本人が重層世界だというのに、人々はこれを有り難がっている。安穏と暮らす彼らにもつくづく嫌気が差すというものだよ」
新たに告げられた真実にララーナが驚愕の声を上げる。
「棄獣が重層世界によるものなんですか!?」
強固な壁で守られた都市の外、しかも棄獣が蠢くパルテミシア大森林で暮らしてきた彼女たちは、ある意味で棄獣狩り以上にそれらと接することが多かったはずだ。それ故に、棄獣の被害も少なくなかっただろう。驚くのも無理はない。
「まぁ、とっくの昔に彼らの管理からは外れているがね。正確には、彼らが興味を失ったからだが」
「やはり棄獣は重層世界産だったか……」
「ほぅ。その様子では、気付いていたのかね?」
「当たりはついていた。人を攻撃し、その肉体を変異させ、自分たちの仲間とする。その繁殖方法に雌雄の概念はない。そして、奴らは執拗に人だけを襲う。まるでそうあるように決められたみたいに、だ。外見こそ生物を模しているが、その単調な動作の反復は機械のそれに近い。まるでシステムを侵すウィルスのようじゃないか。もし、人為的なものだとしたら、生み出した奴が絶対にいるはずだ。そして、それは重層世界以外にない、そう思っていたからな」
「ふむ……やはり君は異端だな。事実をありのまま受け容れ、そこから可能性や結果、過程を導きだせる。普通なら主観によるバイアスが掛かって、あり得ないと切って捨てるところもするりと潜り抜ける。感情が抜け落ちているようなその思考は、到底人らしからぬものだな。それこそ重層世界の住人のようじゃないか」
ローランが吐き捨てるように続けた。
「滑稽だとは思わないか? 自分たちの生きる指針が、未来がすべて重層世界の住人の形代になるためだなんて、彼らの好奇心を満たすためだけのものだなんて……そんなもののために生かされている自分に吐き気を覚えないか?」
「どうしてあんたは何もしなかった? 真相を知ったのに、何故手を打たなかった?」
「逆に聞くが、私一人が足掻いたところでどうなる? 世界を創りし女神の一翼でさえも抗えなかったシナリオだぞ? 遥か昔から定められていた道筋は変えられない。そこに自由などない。精々、与えられた役目を自らの意思で全うすることだけがささやかな抵抗さ」
絶望と虚無感。ローランの口からは怨念のようにそれらが吐き出される。全てを知った彼の目には、この世界が箱庭のように映ったのかもしれない。滑稽に見えたのかもしれない。必死になっていることが全て無為であると知らされた末路はあまりに残酷だ。
「だからと言って、このまま重層世界にやられるのを指咥えて観ているつもりか?」
「他にどうすると言うのかね? 他に何ができると言うのかね?」
「――重層世界を止める」




