光明
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「……落ち着いたかしら?」
しばらくして、ようやく解放される。当然、アウラの顔を直視できるはずもなく……。
「うっせーよ……子ども扱いすんな……」
「ガキは皆そう言うものよ?」
「お前にだけは言われたくねーよ」
だがまぁ、とスヴェンは顔を背けたまま続けた。
「その、なんだ、あれだ……助かった……」
「え? 何? 聞こえなかったわー。もう一度言ってくれるかしらー?」
「絶対に聞こえていただろ……」
白々しい棒読みに目を細めるスヴェン。
一方のアウラはというと、ニヤニヤと随分楽しそうにしている。彼が弱った姿が新鮮なのか、ここぞとばかりにイジろうとしているのか丸わかりだ。
そんな彼女を見てスヴェンは大きく息を吐いた。
そして、彼女のペースに乗せられるのも癪だとばかりに湖に足を伸ばした。
「本当に馬鹿らしいな。固執すればするほど、他人から見ればくだらないものなんだろうな」
「本当にね。でも、どれだけしょうもないものであっても、当人にとっては大切で大切で仕方ないものなのよ」
「それに縋るしかない者は愚かなんだろうか……?」
「さてね。本人が決めることよ」
「優しいようでいて、厳しいじゃないか」
「仕方ないじゃない。決めるというのはそういうことなのだから」
「そりゃそうだ」
他愛のない会話に一区切りがつく。しんみりとした静寂だけが場を支配している。
どこか心地良さもあるそれは、しかし長くは続かなかった。
「ねぇ……」
突然、アウラの柔らかな声音がスヴェンの耳元で囁かれる。いつの間に体を寄せていたのか、振り返ったスヴェンの目の前にはアウラの端正な顔があった。真紅の瞳は潤み、吐息には熱が帯びている。真剣な表情だというのに、どこか思い詰めたようにも見える。
「私とエッチなことしたい……?」
「………………は?」
さすがのスヴェンであってもキョトンとした表情を浮かべてしまう。それほどまでにアウラの一言は衝撃的だった。
「スヴェンだったら良いわよ……?」
アウラに肩を押されて地面に倒されるスヴェン。そのまま跨られ、丁度馬乗りになった彼女を下から見上げる構図が完成する。
「……割と真面目に意味がわからないんだが?」
「そう? 文字通りの意味よ?」
「なおさら理解できない」
「私に魅力がないから?」
挑発的な視線。自分で訊いておきながら、絶対にありえないといった口調だ。
「悪いが、俺にはわからない世界の話だ」
「なら、わからせてあげるわ」
「こんなときに馬鹿言ってんじゃ――」
アウラを押しのけようとして、伸ばした手を躱されるだけでなく、上半身を寄せられてしまう始末だ。密着されたことで彼女の体温がスヴェンへと伝わる。
「こんなときだからよ」
「本当にどうしたってんだ? この前から様子がおかしいぞ?」
「――――っ!」
一瞬目を見開いたアウラは、しかしすぐに微笑を浮かべ、スヴェンの上から退ける。
「なぁんてねっ!」
クスリと笑いアウラはスヴェンに舌を出してみせる。
「冗談よ、冗談! 驚いたかしら?」
「だとしたら随分と性質が悪い」
「あら、もしかして期待しちゃった? 期待させちゃった?」
「アホか」
「ふぅん。それにしてもあなたって本当に不器用ね。絶世の美少女である私がエッチなことしてあげるって言ってんだから、大人しく、そしてありがたく受け取ってれば良かったのに」
「…………」
やたらと明るく振る舞うアウラをスヴェンは怪訝そうな目で見つめる。
破滅的。或いは自罰的。
まるでこれから消えようとしている者が、何とかして自身の存在を、生きた証を刻み込もうとしているかのような必死さ――敢えて形容するならばそんなところか。
しかし、理解できない。どうしてアウラがそんな態度を取るのか。
「何を抱え込ん――」
「――こんなところにいらっしゃいましたか」
後ろから声を掛けてきたのはララーナだ。
「お姿が見えず心配したんですよぅ?」
ほっと安堵したように胸を撫で下ろすララーナ。
「すまなかった。気を付けるよ」
「い、いえ。ただ、棄獣の死体とか普段とは異なることが起きて……少し神経質になっているかもしれませんね」
「棄獣の死体だって……?」
妙だ。棄獣は普通の生命の概念からかけ離れている。およそ寿命といったものはなく、何者かに倒される以外は死なないはずだ。そして、ララーナたちロロリト族が棄獣を倒せるとは思えない。それが意味するところはそう多くない。
「は、はい。狩りに行った方たちが、少し前にここから北西の森のはずれ近くで棄獣の死体を発見したそうです。それもあって里近くの警備を厳重にしていたのですが……」
「なるほど……」
「あ、あの……それがどうかしたのですか……?」
恐る恐る訊ねてくるララーナ。まずいことでも口にしたのかと不安がっているようだ。
そんな彼女の手を勢いよく握るスヴェン。
「ひゃっ!」
「よく教えてくれた! お手柄だぞ!」
「お手柄!? じゃ、じゃあご褒美に私と一緒に寝――」
「それは断る」
「酷いっ!?」
即答、しかも拒否されてあからさまに項垂れるララーナ。
そんな二人を遠巻きに見ていたアウラが嘆息する。
「ふざけてないで、説明して欲しいのだけれど?」
「いいか。棄獣は殺されでもしない限り死ぬことはない」
「知っているわよ、そんなこと。誰かが棄獣を倒したんでしょう?」
「それは誰の仕業だ?」
「誰のって……棄獣狩りじゃないの?」
「殲滅作戦で忙しいっていうこの時期にか?」
「それは……でも、棄獣狩りじゃなきゃ一体誰が……」
「もっと言うと、何のために棄獣を殺した? そもそも棄獣を殺すことが目的だったのか?」
「じゃなかったら、何のためにわざわざ棄獣を殺すのよ?」
「誰かが何らかの目的でこの森を訪れた。その際にたまたま現れた棄獣を倒したのだとしたら?」
「こんなところに来る奴なんているのかしら?」
「いないだろうな。普通は」
フォスフォラに近く、誰も立ち入らない死の森。そこを縄張りとする生態系でも最上位の棄獣。そして、その死体。森の近くでは、溢れてきたであろう棄獣の群れ。そして、それを討伐して欲しい依頼したのは誰だ?
「どうしてローランは俺たちに依頼してきたんだろうな?」
「どうしてって、他の棄獣狩りは棄獣掃討作戦で空いていないからでしょう?」
「俺もそう考えていた。だが、それはおかしいんだ」
「おかしい? 何がよ?」
「棄獣狩りの全員が全員掃討作戦に参加するわけじゃない。俺たちに『しか』依頼しなかった理由にはならないんだ。そもそも、いくら本職の俺たちほど慣れていないとは言え、本当に危険が迫っているのだとすれば、警備隊とかも投入するはずだ。少なくとも、ローランにはその権限があったはずだ」
言葉にすることで、思考が整理されていく。推測は加速し、真っ暗に閉ざされていた世界に光明が生まれる。
「それに、俺たちが四方を囲んでいるあの状況でローランを暗殺するのは不可能だ。俺たちの中に裏切り者がいるというより――」
「――まるで教皇様が自分から死を選んだみたいですぅ」
ララーナのその感想こそスヴェンが思い至った結論そのものである。
「自殺したってこと? どうしてそんなことを?」
「それはわからない」
「そりゃそうでしょうね」
アウラは困ったように長い白髪をくるくると弄ぶ。
考えられることと言えば、自分たちを教皇殺害犯として仕立て上げたかったからか。だとしても、どうして自分たちがという疑問が残る。
「ローランが死んだ以上、この状況はどうしようもないんでしょうけど…」
「いいや、そうとも限らない」
スヴェンは徐に立ち上がる。
「はぁ? さっきから話が見えないわ」
「教皇にはいくつもの影武者がいると聞く。都市伝説の一つだが、もしそれが本当だったとしたら?」
「それって――」
「――ああ。ローランは生きている」




