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慰めはほろ苦く

 背後から、からかうような声。振り返るまでもなく気配でアウラだとわかっていた。


「……そんなんじゃねぇよ」


「あら、驚かないのね。お得意の気配探知かしら? 驚かし甲斐がないわ」


 アウラはつまらなさそうに口を尖らせると、そのまま隣に座り、湖にそっと足を入れた。


「この前とは逆ね?」


 先日の事務所でのことを言っているのだろう。どうやら、自分のことを気に掛けてくれているらしい。


「リーナシアがぷんすか怒っていたわよ?」


「…………」


「ちなみに私も少しばかり腹を立てているわ」


「…………」


「またダンマリ?」


 呆れた、と溜息で返される。


「何をそんなに考え込んでいるのかしら?」


「別に」


「図星ね。本当のことほど無表情になるの、悪い癖よ」


「知ったような口を利くじゃないか」


 突き放すが、これにアウラはクスリと笑った。


「……何がおかしいんだよ?」


「だって、あのスヴェンでも落ち込むことがあるんだって思ったら、おかしくて」


「うるせー。急に周りの奴ら全員が敵になったんだぞ? 世界に追われ、そしてその世界も危機ときた。一体これは何の冗談だ?」


 その上さらにお前は紛いものだと突き付けられたのだ。愚痴が口を突いて溢れてくるのも仕方ないだろう。そんなことを言っても意味がないと頭では理解していながら、止めることなどできはしなかった。


 どんな結論であっても前に進むためと、区切りを付けるためと答えを欲したのは自分自身なのに、だ。それなのに、いざ自分が考えもしなかった答えを突き付けられると、こんなんじゃないと駄々を捏ねる。あまりに虫の良い話だ。一貫性がないにもほどがある。


「俺がこれまでしてきたことって何だったんだろうな……」


 答えは出ている。全て無意味だったと。

 木々のざわめきが、まるで愚かな自分を嘲笑っているかのように聞こえてくる。

 湖面のきらめきが、嘲弄を浮かべる観測者たちの視線のように見えてくる。


「――自分のしてきたことが無為に感じられるときってあるわよね」


 アウラは近くにあった小石を手に取ると、湖に向かって放り投げた。


「他人の、或いは自分の期待に沿えなかったときとか――」


 恥ずかしそうに小さく笑いながらスヴェンを見る。


「――自分の決死の行為が顧みられなかったときとかね」


「本当に知ったような口を利くんだな」


「私ね、前に手痛い失敗をしたの」


 遥か遠い昔に思いを馳せるように遠くを見る目をしたアウラは、ポツリと切り出した。


「皆が正しいと信じていること、それが実は間違っているって私一人が気付いちゃったの。どうにかして皆を説得しようとしたのだけれど、誰も信じてくれなくて、終いには私の頭がおかしいみたいに言われてね」


 小さく零すように笑うが、その苦笑はあまりに痛々しかった。


「仕方ないから、私一人でどうにかしようと思ったんだけれど、これが失敗しちゃってね。しかも、その失敗の原因が、妹のような子に邪魔されたっていうんだから、馬鹿みたいでしょう?」


 本人は冗談めかして言っているのだろうが、気軽に相槌など打てる内容ではない。


「私が間違っているのだったらわかるのだけれど、でも、そうじゃなかった。どれだけたくさんの人が正しいと信じていようが、どう考えても理は私にあったの。なのに、結果はさっき話した通り。もうね、『どうして!?』ってなるわけよ。こっちは心身擦り切れそうになりながら必死にやってんのによ? 正直、皆を恨んだりもしたわ。というより、今もその気持ちは消えていないわね。どうしてもシコリとなって消えないの。いっそ憎らしいとか思ったりもしてね」


 空気が重くなりすぎないようにするためか、はたまた気を紛らわすためか、アウラは水の中に投げ出した足をバタつかせる。


 ぴちゃりぴちゃりと水が弾けて、湖面が揺れる。

 水しぶきに目を細めた彼女は、不意にその動きを止めて、波打つ湖面を静かに見やった。


「見なかったことにできれば良かった。気付かない振りができれば良かった。面倒ごとには関わらないって器用に立ち回れたら良かった。だって、皆は気付いていないんだもの」


 それでもね、とアウラは続けた。


「どうしてもそこを素通りできなかったの。だって、私はやっぱりこの世界が好きだから。酷いことも惨いことも悲しいこともたくさんたくさんあるけれど、この世界のことが嫌いにはなれないの、絶対にね。だから、私がやらなきゃいけないの。だから、私はやると決めたの」


 アウラは背中から地面に倒れ、青白い月を仰ぎ見る。


「――ね、馬鹿でしょう?」


 同意を求められても、何と応じれば良いのか。


「……正直、よくわからねー。具体性の欠片もないし」


「人が折角辛い記憶を思い出しながら話してあげたのに、酷い言い草ね」


 むすりとした様子で頬を膨らませる。そうしていると年相応だ。


「前に失敗したというが、今はどうなんだ?」


 その問いにアウラは顔だけをこちらに向けてきた。


「あなたがいるでしょう? あのときの『約束』忘れていないわよ? それにヴァルダにリーナシアもいる。一人じゃない。前とは全然違うわ」


 何か約束をしただろうか。それ以前に、いつの間にか彼女の何らかの計画に巻き込まれているような口振りだ。


「同じことよ。あなたにも私やヴァルダ、リーナシアがいるわ。まだ知り合ったばかりだけれど、ロロリト族だっている」


 だから、とアウラは続けてその真紅の双眸で真っ直ぐにスヴェンを見た。


「――あなたはあなた自身を信じなさい。例え、他の誰があなたの敵になっても、私たちはあなたの味方よ」


「――――っ!」


 突然の不意打ちに言葉を失う。何か返そうとして――何も言葉にならない。こう、喉元辺りまでは何かこみ上げてくるのだが、それがあまりにも激し過ぎて、つっかえているのである。


「あなたはあなたよ。他の誰でもない。選択するのもあなた。それを後悔したり、或いは誇らしく感じたりするのも全部あなた。誰に遠慮することもないわ。誰がどうだろうと、決めたのはあなたなのだから。決めたらやる。前に進むだけよ。これまでだってそうしてきたんでしょう?」


 スヴェンの顔を覗き込んだアウラが、突如「プッ」と頬を膨らませて笑いを堪える。


「何? 泣いているの?」


「うるせー。そんなわけねーだろ」


 顔を背けるスヴェン。


「はいはい。本当に強情ね」


「誰がだ――んんっ!?」


 上体を起こしたアウラに、突如抱き締められる。ふわりと甘い匂いに包まれた。


「大丈夫よ。あなたが頑張っているのは皆知っているわ。大丈夫。大丈夫よ」


 何度も何度も『大丈夫』と繰り返すアウラ。その手はポンポンと優しくスヴェンの背中を叩いている。

 その拘束を振り解くことなど容易い。だというのに、何故だか抵抗ができない。為されるがままだったーー。

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