交渉
「そなたらに選択肢など端からない。見よ」
そう言ってエルザは世話役の一人をスヴェンの正面に立たせた。世話役が袖を捲り、腕に嵌めた《エニグマ》を操作する。見たところかなり古い型だ。察するに、以前にこの森に彷徨いこんだ者の持ち物だろう。どうやら、俗世との交流は断っても完全なる別離を選んだわけではないらしい。最低限、世の流れについては掴んでいるといったところか。
位置情報すら搭載されていない頃の骨董品だろうが、よくもまぁ壊れずに動くものだ。ただ、ある意味、古い《エニグマ》だからこそ位置を逆探知されずに済んでいたのかもしれない。
《エニグマ》から空中に投影された映像には、擬人の暴走や狂人病の話題に加えて、指名手配犯として報道されるスヴェンたちの姿があった。
「ここを離れたところで逃げ場などないのじゃろう? であれば、ここにいた方がマシというものじゃないかぇ?」
エルザがこうも自分たちに執着するのは、次に人種がこの森を訪れるのはいつになるかわからないからだろう。
かといって、外に出るわけにもいかないだろう。彼女たちの容姿はあまりに目立ち過ぎる。一度その存在が明るみに出たら最後、棄獣を狩ってでもこの里を襲いに来る者たちが現れる危険性がある。フォスフォラでのララーナの態度、そして彼女の話に激昂したミリアーナの態度にも頷けるというものだ。
しかし、そうは言っても大人しく拘束されたままでいるわけにもいかない。
「ちなみにだが、ヴァルダという男が俺たちの仲間にいてだな……」
「あの年寄りか?」
エルザに年寄り呼ばわりされるとは、ヴァルダも可哀そうである。
「あれはだめじゃ。劣化した子種などいらぬ。他に選択肢がなければ考えなくもないが、そなたがおる以上、他に選択肢はない」
……容赦ない。さすがに不憫に思ったスヴェンは心の内でそっとヴァルダに謝った。戦力は一気に落ちるが、ヴァルダを人質として二手に分かれる――という策も使えないようだ。
「……条件がある」
スヴェンは慎重に切り出した。どれだけ理屈を重ねても平行線になることは目に見えている。落としどころを探るしかない。
「ふむ。条件とな」
「知っての通り、俺たちは厄介事に巻き込まれている。なぜこうなっているかは俺たちにもわからない。もしかしたら、俺たちがいることでここも危険に曝されるかもしれない。それだけの力を教会は持っているからな」
暗に圧力を掛けていく。実際、リコフォス教会がスヴェンたちを追ってこの森に乗り込んでくる可能性もないわけではない。
「だから、諸々片を付けるまで待ってほしい。終わったら必ず戻って来ると約束する」
「駄目じゃ。その諸々とやらを片付ける前にそなたらが死んでしまうかもしれぬ」
「そう簡単には死なないさ。数こそ少ないが、これでも腕利き揃いだ」
「あのおぞましい教会を敵に回しても同じことが言えるかぇ!?」
「現にこうして口にしているじゃないか」
スヴェンはできる限り優しく微笑みかけた。慣れない仕草に引き攣りそうになるのを必死に堪える。
「信じてくれとしか言わない。そうとしか言えない。あんたらの事情を考えれば、それがリスクを背負う行為であることもわかる。だが、こちらが抱える事情についても理解してほしい」
否定できない事実を積み重ねて、そして最終的には感情へと働きかける――先ほどまでエルザが使っていたのと同じ手法だ。
沈黙が流れる。その間、二人の視線は交錯し続けている。
やがて、根負けしたかのようにエルザが先に視線を外し、ポツリと呟いた。
「……わかったのじゃ」
ただし、とエルザは細い指でスヴェンを指しながら続けた。
「そなたらが逃げぬように監視を付けさせてもらうぞ!」
エルザとしては当然の措置だろう。足手まといを増やすことになるかもしれないが、ここは飲み込むしかない。最悪は見捨てることも選択肢として頭の片隅に残しておく。
「そうじゃのぅ……そこのララーナを連れていくが良い」
「え、えええ!?」
誰よりもララーナ本人が驚愕の声を上げる。一際大きく目を見開いているあたり、「まさか自分が!?」といった様子である。
「不満かのぅ?」
「い、いや、その私なんかがよろしいのでしょうか……?」
「治癒理術を使えるそなた以外に適任はいないじゃろうて」
「治療師か。珍しいな」
これは耳寄りな情報だ。回復系の理術を扱える者は世界を見てもかなり少ない。宗教色の強いことルグリカにおいては、神の秘蹟として教会に囲われたりするほどだ。味方となれば心強い。
そんな計算を見透かすようにエルザがニヤリとこちらを見てくる。貴重な治療師で、しかもララーナのような美少女を無碍に扱うなどよもやしないだろうな、そう目で訴えてくる。
「それにじゃ。ララーナ、そなたは昔からぶっきらぼうで愛想がなく、一見酷薄そうに見えて誰よりも優しく、皆を先導する懐が深い者に憧れておったじゃろぅ?」
エルザが意地悪そうに唇の端を吊り上げた。その表情はいじめっ子のそれだ。
スヴェンとしては、全く当てはまっていない認識だけに、否定が返ってくると思ってた。
「そ、それは……はい……」
しかしながら、ララーナは小さな声で肯定を示し、赤らんだ顔を見られまいと小さなその手で隠した。そんな彼女の様子を見てエルザが満足そうに頷くと、スヴェンへと視線を戻した。
「そなたも構わないじゃろう?」
「いや、構わないも何も、駄目だと言ったら聞いてくれるのか?」
「駄目なのですかっ!?」
食いつき気味にララーナが反応する。先ほどまで引っ込み思案のような態度だったのに、急変振りに驚かされる。
「い、いや、あれだ。言葉の綾だ。俺が確認したいのは、こちらに選択肢があるのかということだ」
「『選択肢』!? やっぱり変えるつもりじゃないですかっ!?」
涙目になるララーナ。そうして目を潤ませていると小動物のようだ。リーナシアとはまた別軸の可愛さである。そんな彼女にエルザは近づくと、その肢体をつつぅと指でなぞっていく。
「ララーナでは不満かぇ?」
「そういうわけではないが……」
「奥手じゃが、気立ては良いぞ? 長老である妾が保証しようぞ。それにまだ生娘じゃぞ?」
ララーナの顔が一瞬にして赤く染め上がる。
「男のほうは使い込んでいるが、女のほうはまだじゃ。そなたとしても嬉しかろう?」
喜べとばかりにエルザがこちらに視線を寄越してくる。一体人を何だと思っているのか。どうやらこの里の者は、基本的に色欲が判断基準の念頭にあるらしい。勘弁願いたいものだ。
「庇護欲を掻き立てられる可愛らしい見た目をしておるが、そのイチモツの雄々しさたるやえげつないぞ? 腰使いに至っては里一番じゃ。妾も感服するほどよ。一度に出す精の量も半端じゃないしのぅ。里の皆からも大人気じゃ。毎日こってり絞られておる」
絞り取らねば暴発してしまうのじゃがな、とくつくつ笑うエルザ。これにはもう呆れることしかできない。
……何だろう。文化の違いという言葉がある。往々にして諦めの言葉に使われるが、今ほどその理由を痛感したことはない。
「そなたの仲間の女子も歓喜すること間違いなしじゃ。そなたとララーナが繋がりながら、ララーナがそなたの仲間の女子を責めるも良し! そなたとララーナの二人掛かりで前と後ろから同時に責めて喜ばせるも良し! どうじゃ!?」
「いや、そんな『名案だろう?』みたいに言われてもな……」
きらきらと目を輝かせているところ悪いが、同意できる点が皆目見つからない。とはいえ、すっかり彼女の中では決定事項らしい、何度も満足そうに頷いている。反論は受け付けてもらえなさそうだ。
「……わかったよ。監視者の選定はそちらに任せる。それで良いか?」
「決まりじゃな! 約束の件、努々忘れるでないぞ? そなたが戻ってきたら、真っ先に妾とまぐわってもらうからのぅ?」
「何か新たな条件が追加されているのだが……?」
「ふむ。不服か? まぁ、確かに胸は小さいし、肉付きも足りぬからのぅ。些か女としての魅力に欠けることは理解しておる。じゃが! 締まりは誰にも負けぬ自信があるぞ? 何せ劣化せぬこの体じゃからな! それに加えて、この三百年で身に付けた床技術……この体全てで搾り取ってやろうぞ!」
「遠慮しておく」
「ああ! その目は疑っておるな!? 良かろう。この場で味わわせてやろうぞっ! そなただってパンパンに膨らませて、満更ではないのじゃろぅ?」
エルザの視線が舐めるようにスヴェンの腰のあたりへと下ろされていく。「さぞや苦しかろう?」と知ったような口を利いてくるが、余計なお世話である。
「遠慮しておく」
強めの否定。
「つまらぬのぅ。これだけ惑いの香りを漂わせておるのに、傾きもせぬとは……」
うぅむ、と悔しそうに爪を噛むエルザの言葉には引っ掛かるものがあった。
「『惑いの香り』って、もしかしてこの甘い匂いの……?」
「なんじゃ、気付いておらなんだか。この匂いは、ロロリトがまぐわった後の香りじゃぞ? ちなみに、そなたが来るまでにそこの従者としておったのじゃ」
指差されたロロリト族が赤らんだ顔を伏せる。
「いや、聞いてないし。と言うより、知りたくもないし」
「言ったではないか。妾たちの体液には催淫効果があるとな。妾たちの汗が蒸発したら甘く官能的な香りとなって嗅いだ者を惑わせる。故に惑いの香りじゃ。そなたを篭絡するつもりで用意しておったのじゃが、いつまで経っても靡かぬし、ほんにつまらぬ男じゃ」
じゃが、とエルザは何が楽しいのか、コロコロと笑う。
「惑いの香りを嗅いでもなお揺らがぬ芯がある。実に良い男じゃのぅ」
そう言ってエルザはスヴェンに近寄ると、ゆったりしな垂れかかった。つつぅっと細い指先で頬をなぞり、その小さな手で彼の股間の辺りを弄る。
「お、おい――」
「体は正直なようじゃぞ?」
くふふ、と挑発的な笑みを浮かべ、硬くなったソレを握ってくる。艶めかしく見上げながら服の上から扱いてくるのは、完全に狙っているとしか思えない。
そうとわかっていても、エルザが近くに来たことで甘い香りが一層強くなり、直接脳が揺さぶられる。華奢なその体を力いっぱい抱き締め、そのまま押し倒したい情動に駆られるスヴェン。思考が鈍り、ハッと気づいた瞬間には、その小さな肩に手を回していた。慌てて手を引き戻し、霧散しそうになる理性を強く意識する。
まさか、ここまで本能というものが生物の行動に強く影響を及ぼすとは思いもしなかった。理性という唯一とも言える武器を失いかけたことに未熟さを悟る。
――それが隙となった。
エルザがニヤリと笑みを深めた瞬間、後頭部に手を回され、強引に引き寄せられる。
「むぐっ!?」
唇を重ねられ、舌を捻じ込まれ、触手のように絡まされる。どうにか引きはがそうとするが、なぜだか手に力が入らない。為されるがまま口腔内を蹂躙され、唾液を流し込まれる。エルザによって上から舌を押さえつけられている所為で、拒否できずにこくりこくりと数回に亘って嚥下させられる。甘く官能的な味が広がる。全身が弛緩し、脳が蕩けていく。
理性を手放しそうになったところで、ハッと我に返り、エルザを押し退ける。
「ぷはぁ……」
ようやく解放されて、肺一杯に空気を取り込む。酸素が足りない所為か、頭がくらくらとする。
「いきなり何すんだ!」
突然の事態にさすがのスヴェンであっても動揺を隠せない。
「なに、今のはほんの挨拶よ。本番はこれからじゃ」
艶やかに唇を舐める彼女のその顔は最早捕食者のそれである。
「勘弁してくれ……」
エルザが押し倒そうとしてくるのにあわせて後退する。直後、壁にぶつかったかのような衝撃。おかしい。壁は遥か後方のはずだ。こんなにも早く行き止まりにぶつかるはずがない。それが意味するところを察して、全身からさっと血の気が引いていく。
恐る恐る振り返ると、ララーナとミリアーナが実ににこやかな笑みを浮かべていた。その手はスヴェンの両肩をがっちりと掴んでいる。左肩が激痛を訴えるが、それどころではない。脱出しなければと理性が警鐘を鳴らすが、なぜか全身が火照り、言うことを聞かない。
「お、おい、やめ、あぁ――」
スヴェンの絶望に染まった悲鳴は館の薄闇に掻き消えていった。




