帰還
■■■
――なんでだろう。
それが幼い少年の率直な感想だった。
孤児院の先生に毎晩決まって聞かされる子守歌。その内容とはこうだ。
光と炎の衝突。
一方は世界を救おうとし、一方は世界を滅ぼさんとした、世界を創りし神同士の争い。
今よりずっと昔に起きたというそれは、救世を掲げる光の女神の勝利で終わる。人々は訪れた安寧に歓喜し、やがて光の女神を礼賛する者たちにより国が興された。
片や敗北した炎の女神はというと、肉体を失うだけでなく、名を奪われ、代わりにこう呼ばれるようになった。
災厄の化神ーーと。
まるでそれこそが罰だと言わんばかりに、忌むべきものとして語り継がれるようになった。
しかし、幼い少年にとってその響きはしっくりこなかった。耳にする度に何とも言えないもやもやを感じた。
ーーどうして炎の女神は自分で創った世界を滅ぼそうとしたのか。
ーーどうしてみんなはそのことを不思議に思わないのか。
大人に聞いても、すとんとわかる答えが返ってきたことはない。それどころか聞く度にこっぴどく叱られたりもした。そのうち、この広い世界には触れてはいけないことがあるのだと、子どもながらに何となく理解するようになった。
そして、自分がどうやら他の子どもたちとは違うのだということも――。
■■■
大国の一つであるルグリカ教国の首都フォスフォラ。世界で最も信者数の多いリコフォス教の総本山フォスフォラ神殿があることでも有名なそこは、神殿を中心として行政区画、商業区画、居住区画と明確に区分けされた街並みが放射状に延びている。そんな商業区画と居住区画の中間付近。そこにユザ事務所はある。
「お帰りなさいっす~」
スヴェンが扉を開くと、よく通る明るい声によって出迎えられた。彼が声のした方へ顔を向けると、奥からパタパタと駆け寄ってくる少女が一人。彼女の頭の上には獣人特有の三角の耳。髪と同じ胡桃色の毛に覆われたそれは、事務所に入り込む風を受けてゆさゆさと揺れている。ホットパンツと臀部の間からはふさふさの尻尾が一本。これまた獣人の象徴である。
「ただいま、リーナシア」
出迎えに現れた少女ーーリーナシアにスヴェンは手を振って応じた。
「またアウラっちに助けてもらったんすか?」
リーナシアが挑発するかのようにスヴェンを下から覗き込んだ。必然、彼の視界は彼女で埋め尽くされてしまう。
日に焼けたような小麦色の肌は、活発さの象徴だ。アウラとさして年齢は変わらないはずだが、その身体はすでに出来上がっているらしい。豊満な胸部がその証拠だ。見下ろす構図も手伝って、谷間がよく見える。きゅっと引き締まった臍部が露になるほどの軽装ということもあり、肉感的な見た目がより強調されている。つまりは、目の毒だ。
「アウラ様々だよ、まったく」
意地悪っぽくニヤリと笑うリーナシアにスヴェンはおどけるように肩を竦めて見せる。そんな彼の横をアウラが澄ました顔ですり抜けていく。
「そう思っているのなら、もっと労いなさい」
「あはは……アウラっちは、相変わらずアウラっちっすね……」
リーナシアが苦笑で応じると、アウラの歩みがピタリと止まる。
「当然でしょう? リーナシアだっていつでもどこでもリーナシアなのだから」
「それはそうっすけど……」
釈然としない様子のリーナシア。
すると、何かを思い付いたのか、アウラがそっとリーナシアの背後に忍び寄る。
そして、アウラは小首を傾げてうんうん唸っているリーナシアの尻尾へと手を伸ばした。
「ーーンニャッ!?」
目を丸くしたリーナシアが身体を跳ねさせた。
「え、何でいきなりアタシの尻尾を触るっすか……」
「少しくらいご褒美があっても良いんじゃないかと思って」
「それがどうしてアタシの尻尾を触ることに繋がるっすか?」
「だって、リーナシアの尻尾って手触りが良いんだもの。あと、耳もフサフサだし」
「はぁ、それはありがとーーって、ちょっと!?」
「どうしたのかしら? 突然、そんなに声を荒らげて?」
「尻尾の付け根は弱いんす!!」
「それはつまり、もっとして欲しいということかしら?」
「違うっすー!!」
心からの叫び声だった。
普段はリーナシアがアウラに何かとちょっかいを掛ける側だが、今回は逆らしい。
「はいはい、そこまで」
スヴェンはパンパンと手を叩き、リーナシアからアウラを引っ剥がす。
「依頼完了の報告も終わってないんだから、その辺にしとけ」
「むぅ……わかったわよ」
不承不承ながらといった様子でアウラが手を引く。リーナシアには比較的気安い態度を取るが、基本的には真面目そのもの。仕事を引き合いに出されたら引かざるを得ないことをキチンと理解している。
「ううっ……油断したっす……」
「いつもの仕返しとばかりにたっぷりやられたな?」
「ふん! 問題ないっす! 次はあたしがアウラっちの頬っぺたを堪能してやるっす!!」
ムガー、と拳を作りながら吠えるリーナシア。
なんだかんだ言っても仲の良い二人である。
「まぁ、実際問題として、アウラがいなかったら今回の依頼は厳しかっただろうな」
「さっきの話っすか?」
「あぁ」
対棄獣戦闘において、理術の占める割合は大きい。いくらワクチンがあっても、強靭な肉体を持つ棄獣に近づくことは、それ自体がリスクだからだ。遠隔からの一方的な攻撃。それが、現代における棄獣狩りの基本戦術である。
「まぁまぁ。良いんじゃないすか? 大将は大将らしく飾られていれば良いんすよ」
「誰がお飾りだ」
スヴェンがリーナシアを捕まえようとすると、彼女はその手を掻い潜り、「にしし」と小首を傾げ、からかうように笑ってみせる。
しかし、そんなリーナシアの表情が一転して訝しむものへと変わる。
「何か、随分とお疲れのようっすね?」
突然の問いに一瞬だがスヴェンの動きが止まる。
「そりゃあ、大量の棄獣を倒してきた後だからな」
「んーあんまし上手く言えないっすけど、前だったら棄獣倒したとしてもそこまでじゃなかったような気がするっす」
「つったって、今回のは数が数だからな」
「でも、大半はアウラっちが倒したんじゃないんすか?」
ーー色んな意味で嫌なところを突いて来るじゃないか。
彼女は頭で考えるより先に体が動くタイプだ。行動理由の言語化をかなり苦手としている。それでも今のように時折ハッとさせられる。ろくすっぽ思考してい癖に場面場面の選択の正答率は極めて高い。理屈や背景をすっとばして、結論に直で辿り着いているのだろう。所謂、天才肌気質である。
「やっぱり、何か変っすよ! 絶対疲れた顔しているっす! 最近何かあったんすか?」
「だーかーらー、気の所為だよ、気の所為」
納得しかねるといった様子のリーナシアの額を指先でピンと弾き、通路を進む。
無理矢理誤魔化したが、彼女が指摘した通り、ここ最近明らかに疲労し易くなっている。
原因は不明。一応、医者にも診てもらったが特に異常はなかった。今のところ静観するしかないという状態である。
「――おぅ。帰ったかぁ」




